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【明治文豪、令和を歩く】第30回:メルカリに目配り

    現代の東京、とある落ち着いた喫茶店の奥まった席にて。路地裏の静けさを好む二人の文豪が、湯気の立つカップを前に向かい合っている。

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    夏目漱石                                                                                                                      

    荷風君、先ほどから君が熱心に眺めているその小さな機械……スマートフォンと言うんでしたか。そこに映っているのは、古本屋の店先ですか? なんだか、見慣れぬ色とりどりの品物が並んでいるようだが。

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                                                                                                                         永井荷風

    ああ、先生。これは『メルカリ』という、現代の寄席の楽屋よりも猥雑で、それでいて不思議と整然とした市場でございますよ。かつて私が、父の蔵書を持ち出しては酒代に替えていたあの疚しい喜びが、今や指先一つで、白日の下に晒されているようなものでございます。

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    ほう、個人が直接、物を売り買いするのか。それは面白い。僕が『三四郎(※)』で描いたような、故郷から送られてくる煮干しや、使い古した辞書なんかも、そこでは金に換わるのかね? 文明の利器もここま来ると、もはや個人の生活の隅々までを『商品』に変えてしまうのだな。

    (※)初出1908[明治41年]朝日新聞
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    左様でございます。かつて私たちは、古書肆の店頭で掘り出し物を探すのに、それこそ老眼鏡をかけ替え、埃に塗れて歩き回ったものですが、今はどうでしょう。この画面の中では、誰が書いたかも分からぬ手紙や、使い古された帯留め、果ては道端に落ちている石ころまでもが、記号となって売買されております。江戸の露店が、そのまま電脳の空中に浮かび上がったような光景です。……おや、先生、ここに先生の『吾輩は猫である(※)』の初版本が出品されておりますよ。なかなかの高値だ。

    (※)初出1905[明治38年]ホトトギス
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    よしてくれ。自分の書いたものが、そうやって見知らぬ誰かの手垢に塗れ、値踏みされるのを見るのは、あまり気味の良いものではない。……しかし、そうか。かつての生活の断片が、捨てられずに誰かの手に渡っていくというのは、どこか『物の哀れ』を感じさせなくもない。僕がかつてロンドンで買った、あの古びた洋書たちも、今の世なら、こうして誰かの元へ旅立っていったのかもしれないな。

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    先生はそう仰いますが、私はこの『メルカリ』という場所に、現代特有の浅ましさを感じずにはいられません。かつて私が夢之助と名乗って寄席に通った頃、師匠の引幕を背負って歩いたあの重み……。そこには、物と人との間に、断ち切りがたい情念があった。しかしこの画面上では、物はただの数字に置き換えられ、人はただの配送伝票と化す。便利になればなるほど、物に対する敬虔な心が、霧のように消えていく気がいたします。

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    なるほど、君の言うことも一理ある。しかしね、荷風君。人間というのは、元来そういう浅ましさを抱えて生きる動物だ。僕たちはそれを小説という形で切り売りしてきたが、現代の人々はそれを『メルカリ』でやっているだけのことかもしれない。……ただ、一つ気になるのは、その取引の果てに、何が残るかだ。金か、あるいは一時の満足か。……どうだい、君が大切にしているその古い草稿も、試しに出品してみたらどうだね? 君の『濹東綺譚(※)』なら、それこそ銀座のカフェーが一軒買えるくらいの値がつくかもしれないぞ。

    (※)初出1937[昭和12年]東京朝日新聞
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    (苦笑して)お戯れを、先生。私の書いたものなど、この浮世の塵のようなものです。それを売って金にするくらいなら、私はやはり、誰にも知られぬ路地の奥で、ひっそりとカビを生えさせておく方を選びますよ。……ただ、この画面の隅に映る『昭和の古道具』という文字を見ていると、どうにも、あの失われた東京の残影を追いかけてしまう。私も結局、この現代の仕組みに、密かに魂を売っている一人なのかもしれません。

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    ははは、自嘲気味なところも相変わらずだ。まあ、僕もこの珈琲代くらいは、自分の古い万年筆でも売って工面してみようかな。……いや、やはり止めておこう。そんなことをしたら、それこそ鏡子に何を言われるか分かったもんじゃない。

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    異文化ライター / AI対戦会主催 / 年間マンガ500冊レビュー / SF短編小説家 / プロいく一期生 スターバックス勤務20年。ゲーム実況15年。シェアハウス10年。 ヘッダ画像はタプローム遺跡(本人撮影)。木の根が寺院を包み込む様子が神秘的。 amazonアソシエイト参加