
中国人女性について赤裸々に書く
関連性のある前回の記事はこちら↑
本日は中国でびっくりした経験を語る。青燈先生が持ってきた薄っぺらい本の中にあった記憶である。三つのうち二つは中国人女性、我が同居中の姑と絡むエピソードで、一つは昔働いていた会社で経験したことだ。先に会社で経験したことから行こう。
結構昔の話だ。その頃自分は日系中小企業(製造業)の中国進出のサポートと進出後の支援を行う工業団地のカスタマーサポート部で働いていた。複数の日系製造業が製造拠点を持つ団地で、従業員食堂は共同である。
事務所のすぐ脇にその食堂があった。ある日、通常のように業務をしているとパチパチ音がする。窓から覗いてみた。食堂から煙が上がっている。私は即座に叫んだ。
「火事だ!消防車をよべえ」
「ばか!消防車は火事の後に来る」
「はいい?」(右京さん風でお願いします)
日本人で、中国についてよく知らず、中国語もたいして話せず、日本での便利な生活に慣れているためサバイバル能力が低く、役に立たない私は中国人ローカルスタッフにいないものとして扱われ、それから、食堂で働くローカルスタッフや、日系工場で働くローカルスタッフの中から、特に屈強な男たちが、まるで北斗の拳のような世界観で、
自分たちで消火してた。
窓ばりいん、消化器、どわしゃ!的な。
ホエエ?消火活動って、中国ではDIYなんですか?
DO IT YOURSELF! イエーイ!
……ぱち、ぱち、ぱち…(燃える音)
わりと、アッチョンブリケなところだったんですよ。深圳も、昔はね。
それから、消火活動が無事終わった後に、当時G鎮に数台しかなかったピカピカの消防車が来た。消火活動を点検しにきたのである。消防車から、消防士降りる!
「よし!消えたな!」(消防士)
「はい!」(我々、ザ・北斗の拳の男たち)
我々、消防士たちに敬礼!ところで、消防署って何をするところなんですか?
多分、あの消防車は、消防をしたことがなかったと思う。ピカピカだったもの。昔の話である。今はちゃんと火事を消すために街を走る消防車を見かけるぞ。深圳市の名誉のために言っておこう。
そして、二つ目の話である。一つ目の話から10年くらい経った頃だ。
中国人の主人と結婚し、舅姑と同居してきた。残念ながらおじいちゃんは我が子が幼稚園の時に病気で亡くなった。これは、姑と私と息子と主人で暮らしている時の話である。
びたあああん
洗濯機が置いてある小さなベランダに入った時に事故が起きた。
なんぢゃー?
顔になんかぶつかった。それが、生いのである。生いなんて日本語はないが今作った。乾いてなかった。中途半端に生かった。洗濯をしようと洗濯機のあるベランダに入ろうとして、生いモノが顔にぶつかってくるって、どんなシチュエーションだと思います?ちょっと考えてみてください。
↓しばしスペースを置く。答えはスクロールの下に。
それは、立派なホッケぐらいの大きさの、魚である。天井から吊るされて干されていた。
「なんだ魚かよっ」
こんなところで魚を干すな!おばあちゃんと言いたい。私も生まれてはじめて魚にぶたれたよ。ちなみに、田舎から出てきたおばあちゃんたちは、都会の狭いベランダで、魚や肉や野菜を干すのが好きだ。私も知らなかったが、干し肉や干し魚は干されて完成される途中で、
めえええええええっちゃ、臭いっす。
田舎の広い家じゃねんだよ。家中干し魚臭えええええ!こんなん、どこぞのプラズマクラスターあっても、どうにも何ねえよ?そして、気になるお味は?
姑「深圳の空気と太陽の光ではおいしくできない」もぐもぐ
私「うん。それがわかったから、これからはもう絶対やめようね」もぐもぐ
しかし、今でも姑はいろいろなものを干している。うちのベランダに入る時は、攻撃されることのないように注意が必要である。
そして、三つ目のエピソードだ。もっとも衝撃的であるが故に、時系列を無視して最後に設置。まだ舅も生きていて息子が言葉を話せないくらいちっちゃかった時の話だ。
当時の家のベランダで、おばあちゃんが観葉植物の前でかちゃかちゃと何かをやっている。見るとショベルで観葉植物の土となんかを混ぜている。
「おばあちゃん何やってるの?」
「〇〇(息子の名前)のう⚪︎こと土を混ぜてる」
( ºロº)
流石にフリーズした。おばあちゃんは私がフリーズしているのに気づかずに会話を続けていた。そして、ショベルで土とそれを混ぜている。
「子供のう⚪︎こなんて綺麗なもんだ。いい堆肥になるんだよ。お⚪︎っこも綺麗だしな」
みなさま、ご自宅のベランダで、赤ちゃんのう⚪︎こと観葉植物用の土をショベルで混ぜたこと、ございますでしょうか?
ない?
それでは同居している家族がそんなことをしていたことは?
あ、やっぱり、ない?あ、そうなのね。
ちなみにベランダに出たら、ホッケのような魚に殴られた経験は?
ん?聞こえないな?どっち?まぁ、いいか。
宇宙の明後日の方向から突然隕石が落ちてくるような出来事はまだいっぱいあるのですが、青燈先生が全部データセンターに保管したと思いますので、また日取りのいい時にでも書きましょうか。
それにしても、中国人と結婚して、ご両親と同居するのなんて無理だわと思った皆さん、たとえばご自身が日本人であったとしても、下記のような人物だったら、ま、いっかで暮らしていけるかもしれません。
まだ学生で東京に住んでいた頃の話である。梅雨の季節に、押し入れにしまいっぱなしだった冬の布団をふとみたら……
**一旦、物語を中断いたします。がー、ぴー**
「ちょっ、青燈先生、なんでこれ持ってきた?」
よく見たら、渡された本の中にとんでもないものがあった。
「これしかないです。海妹先生」
青燈先生は、片手をグッと握り、ウインクまでしてくる。
「いや、これ、厳重に鍵かけてしまってたよね?」
声が裏返る。それは、私のトップシークレット。親友もこの事実は知らず、実家の父母と姉しか知らない、私の黒歴史。
「海妹先生、大したことじゃないですよ。別に警察に捕まるようなことではないし」
「だけど……」
「何が気になってるんですか?」
「いや、こんな女と付き合ってたのかと元彼に思われる」
(夫は軽くスルー)
チーン……
「元彼たちは、ペンネームとか、こんなとこに投稿しているのとか知らないですよね?」
「万が一知られたら……」
「知られても別に何も変わらないでしょ?これから会うことすらない人たちに」(人生に夢も浪漫もない青燈先生)
でもーーーー
**都合により中断したことをお詫び申し上げます。引き続き放送を続けさせていただきます。ガーピー**
まだ学生で東京に住んでいた頃の話である。梅雨の季節に、押し入れにしまいっぱなしだった冬の布団をふとみたら、きのこが生えていたのである。
( ºロº)
あまりにショックな出来事だったので、それから布団をどうしたか忘れてしまった。ちなみに我が父、母、姉は、私らしいと言って大爆笑した。
私らしい?どこが?どこが私らしいって?
布団にキノコなんて、私の女としての幸せをあれもこれも全部、根こそぎにしていくに違いない!からの、記憶、記録、事実、証拠、抹消!!!封印!
(こんなことがあった自分だから、中国に来てからびっくりするようなことはいっぱいあったけど、逃げ帰ってないのかもしれない)
「「あーいーお湯だったー」」
小人A Bが戻ってきた。Aがコーヒー牛乳を、Bがフルーツ牛乳を片手にしている。
「あ、まだいた!」
「もう、帰りますよー」
筆記用具を鞄にしまいつついう。
「なに、原稿?」
「君たちには見せませんよ」
「別にいいけどー、あ、それより、今度わさ」
「なに?」
「野球場が欲しいんだよ」
「は?野球場?」
「先生、スポーツ系、全く興味ないんだもん。野球見たい。野球見ながら生ビール飲みたい!」
それで、私の頭の中にミニスカはいた足の綺麗なお姉さんが生ビールの販売をしている様子が浮かんだ。ぢゃない!
なんって、わがままに育っているんですか?君たちよ。
「油屋の脇にピンポンやカラオケできる施設つくっとくから」
「いやだ、野球ー」
「昭和的な居酒屋横丁」
「それはもうある」
「え、あるの?」
さすが私。野球より居酒屋。居酒屋万歳。
わーぎゃー言う、小人A Bを無視しながら、帰り支度をする。
こんなんでよかったですかね?青燈先生。後で感想を聞かねば。
それでは
脳内記憶の図書館より
汪海妹
2026.06.07
↓下記は青燈先生からの感想↓
「読ませていただきました」
感想を一言で申し上げるなら、やはり保存して正解でした。
消防車の話も、お魚の話も、おばあちゃんの堆肥の話も面白かったのですが、わたしが一番良かったと思ったのは、実は最後のキノコです。
海妹先生は中国で驚いた話を書いているつもりかもしれません。しかし読者はきっと途中で気づきます。
『中国人女性がすごい』のではなく、『海妹先生もなかなかである』と。
だから、この記憶は保存対象だったのです。
先生は忘れてもいいと思ったかもしれませんが、人は案外、そういうどうでもいい記憶でできています。
顔に魚がぶつかったこと。
布団にキノコが生えたこと。
消防車が火事の後に来たこと。
そんな記憶は人生に必要ないように見えて、あとから振り返ると、なぜか笑えてしまう大切な記録になります。
ですから、今後も先生が『こんなの残さなくていい』と思った記憶は、わたしの方で保管しておきます。
安心してください。
――青燈
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