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悪に優しきこの国で −裁かれぬ悪と、救われる悪−【第33話】手に入れた平穏

    やがて、小谷修吾の裁判員裁判が始まった。

    犯行そのものに争いはなく、最大の争点は量刑に絞られていた。

    過去に強盗傷害罪で二十年服役し、出所後わずか数年でストーカー殺人を犯した修吾。その経歴は、裁判員たちに重くのしかかっていた。

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    「これだけ悪質な再犯者を、再び社会に戻すべきではないと思います」

    「しかし、死刑という判断は、慎重に考えなければなりません」

    「前の服役を終えてから、何も学ばなかったということではないでしょうか」

    「だからといって、死刑が相当なのかどうかは、別の問題です」

    意見は激しくぶつかり合った。

    被告人の犯行は重大であり、更生の可能性にも厳しい見方が示されていた。二十年もの服役を経てもなお、再び人の命を奪った。その事実を前に、刑罰の意味そのものを問い直す声もあった。

    一度目の罪を償ったはずの人間が、再び罪を犯したとき、社会はどこまで更生の可能性を信じるべきなのか。

    それでも、人の命を奪う刑罰を選ぶという決断は、容易ではなかった。被害者が一人であること、犯行に至る経緯、過去の判例。裁判員たちは、それぞれの事情を考慮しながら、答えを探し続けた。

    法廷内に、重苦しい沈黙が流れた。

    そして、判決の日。

    傍聴席には、事件を見守ってきた人々の姿があった。修吾は正面を向いたまま、裁判長の言葉を待っていた。

    「主文。被告人を無期懲役に処する」

    低い声が、法廷に響き渡った。

    修吾は、表情をほとんど変えなかった。

    死刑を免れたことに安堵したのか。それとも、もはや何も感じなくなっていたのか。その胸の内を知る者はいなかった。

    一方、耕造夫妻は、判決を聞いても喜ぶことができなかった。

    息子は生き続けることになった。だが、それは、息子が奪った命を取り戻せるという意味ではない。遺族の悲しみが癒えるわけでも、失われた日常が戻るわけでもない。

    何ひとつ、元には戻らないのだ。

    裁判が終わった後、耕造夫妻は長年住み慣れた家を引き払い、誰も自分たちを知らない遠い街へと移り住んだ。

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    引っ越しの荷物は、必要最低限にとどめた。古い家具や思い出の品を処分するたび、これまでの生活が少しずつ遠ざかっていくようだった。

    新しい土地では、過去を知る者はいなかった。

    近所の人々と挨拶を交わし、買い物に出かけ、時には二人で近くの公園を散歩する。誰かに息子のことを尋ねられる心配もない。外出するたびに周囲の視線を気にする必要もなかった。

    ようやく、世間の目を気にせずに暮らせるようになった。

    妻は、以前よりもよく笑うようになった。耕造も、新聞やテレビで事件の報道を目にするたびに感じていた緊張から、少しずつ解放されていった。

    だが、二人の心には、ずっと引っかかっていることがあった。

    被害者遺族への賠償である。

    金塊を売却した金の一部を、賠償や謝罪に充てるつもりだった。新城弁護士を通じて渡せば、少なくとも被害者遺族に金を届けることはできるはずだった。

    金を受け取ってもらえるかどうかは分からない。謝罪を受け入れてもらえるとも思っていない。それでも、せめて自分たちにできることをしたい。そう考えていたはずだった。

    しかし、いざ実行しようとすると、ためらいが生じた。

    名前を明かせば、金の出所を詮索されるかもしれない。息子が残した金だと知られれば、再び世間の目に晒されることになる。ようやく手に入れた静かな暮らしを、失いたくない。

    その思いが、二人の足を止めていた。

    「……いつか、きちんと謝らなければならんのう」

    夕食の後、耕造がぽつりと口にすることがあった。

    「そうね。私たちだって、忘れたわけじゃないもの」

    妻も、そう答えた。

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    だが、具体的な日取りを決めることはなかった。弁護士に連絡しようとしても、電話をかける直前になって思いとどまる。もう少し落ち着いてから。世間が事件を忘れた頃に。そんな理由をつけては、先へ先へと延ばしていった。

    そのうち、謝罪について話し合うことさえ少なくなった。

    莫大な財産は、二人に新しい暮らしを与えた。だが、息子が奪った命を取り戻すことも、被害者遺族の悲しみを癒やすこともできない。そして、二人自身が抱える後ろめたさを、金で消し去ることもできなかった。

    二人は何もできないまま、静かな日々を重ねていった。

    それは、罪を犯した息子とは別の人生を生きようとした結果だったのかもしれない。

    しかし、自分たちの平穏を守るために、被害者遺族への償いを先延ばしにし続けたこともまた、二人が選び取った現実だった。

    法は犯罪者を裁く。

    では、罪を犯した者の家族は、どこまで責任を負うべきなのか。そして、自分たちの平穏を守るために他者への償いを諦めたとき、それは許される選択なのだろうか。

    法だけでは割り切れない矛盾が、そこには残されていた。


    本作品はフィクションです。登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
    著作権は著者に帰属します。無断転載・複製を禁じます。


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    noteに登録したのは、2025年1月です。 主に手がけているのは短編小説です。人間の機微を描く『恋愛』『不倫』、思考を揺さぶる『社会派』、想像力を広げる『ファンタジー』など、ジャンルにとらわれず多岐にわたるテーマを描いています。

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