
悪に優しきこの国で −裁かれぬ悪と、救われる悪−【第32話】一億円の行方
小谷修吾は、父・耕造《こうぞう》に弁護士の手配を頼んだ。
過去に強盗傷害罪で二十年服役し、出所後わずか数年でストーカー殺人を犯したのだ。無期懲役は確実視されており、死刑も十分にあり得た。

「修吾……今さら連絡を寄越したと思ったら、弁護士を頼んでくれじゃと……?」
面会室のアクリル板越しに、耕造は怒りとも呆れともつかない表情で息子を見つめた。
「分かってるよ、そんなことぁ。とにかく腕のいい弁護士を探してくれねえかと思ってよ」
「お前……それが親にものを頼む態度か!」
「仕方ねえだろ。俺は、外で過ごした時間より塀の中にいた時間のほうが長えんだからよ。とにかく頼んだぜ、弁護士」
「お、おい、修吾……!」
修吾は言いたいことだけを一方的に告げると、父親の返事も待たずに背を向けた。
「まったく、あいつは……」
だだ、二度目の重大犯罪ということもあり、世間からの批判は凄まじく、二十年以上前の犯罪の時以上に、家族への非難は凄まじいものだった。
耕造は、家族への誹謗中傷について相談する意味も兼ねて、腕利きと評判の弁護士を訪ねた。
「新城先生。息子の弁護を引き受けてはいただけないでしょうか」
新城倫史弁護士は、難しい表情を浮かべた。
「この事件は、被告人にとって極めて厳しい裁判になります。私がどこまでお役に立てるか……」
「先生は、容疑者だけでなく、被害者遺族の立場にも寄り添う方だと伺っております。私ども家族についても、どうかご相談に乗っていただきたいのです」
七十一歳になった耕造の懇願を受け、新城は修吾の弁護を引き受けた。

「分かりました。お引き受けしましょう。ただし、小谷さん。私も全力を尽くしますが、今回は死刑判決も覚悟しておいてください。酌量の余地は、極めて乏しいと考えています」
数日後、新城は留置場の面会室で修吾と対峙していた。
「初めまして。弁護人の新城です」
「あんたが弁護士先生か……。無理を言って悪いけど何とか頼むよ」
新城は、修吾から葉山鮎との出会いや犯行の経緯、動機などを詳しく聞き取った。
すでに、犯行そのものを否定する余地はない。裁判で最大の争点となるのは、どのような刑罰が相当なのかという点だった。
「裁判までには、まだ時間があります。今後も話を伺いながら、法廷でのやり取りを想定した準備を進めていきましょう」
「おっと、先生。紙とペンはあるかい?」
「どうしてです?」
「親父に手紙を渡してほしいんだ。あんたなら、検閲はねえんだろ?」
新城は一瞬、怪訝な表情を浮かべた。
だが、依頼人の強い希望を受け、紙とペンを差し出した。
修吾は、そこに短い文章を書きつけた。
《もう俺には必要ねえ。使うこともできねえしな。散々苦労をかけたから、好きに使ってくれ。一億はある。
金塊は安全のため、いくつかの銀行の貸し金庫に分けてある。鍵と暗証番号は、小谷家の墓の新しい骨つぼの中だ。銀行名も書いておくから、間違えるなよ》
「先生、これを親父に渡してくれ」
新城は、弁護人としての守秘義務を踏まえ、手紙の内容には立ち入らず、耕造へと届けた。
「手紙……?」
これまで、息子から手紙をもらったことなど一度もなかった。
封を切り、読み始めてすぐに、耕造は奇声を上げ、その場に尻餅をついた。
「い、い……一億じゃと!?」
「お父さん、どうしたの!?」
妻が慌てて駆け寄る。
「あいつ……あいつ、わしらに一億よこすと……!」
「一億!?」
妻も目を見開いた。
しかし、驚きが収まるにつれ、二人の表情には不安が広がっていった。
「き、きっと汚い金じゃ……。こんなもの、使えやしないわい」
「なら、警察に届けますか?」
妻の問いに、耕造は手紙を見つめたまま考え込んだ。
やがて、ぽつりと呟いた。
「……いや、待て。これを被害者への賠償や謝罪に充てることはできんじゃろうか」
「被害者への……」
「そうじゃ。せめてもの償いじゃよ」
妻は静かに頷いた。
「……そうね。そうしましょう」
数日後。
墓から鍵を回収した耕造夫妻は、銀行の貸し金庫を開けていた。

扉が開く。
その中に並んでいたのは、鈍い光を放つ金塊だった。
二人はしばらく、言葉もなくそれを見つめていた。
「なあ……これ、本当に一億円分あるんじゃよな……」
「全部合わせれば……ですよね」
耕造は、おそるおそる金塊を手に取った。
ずっしりとした重みが、手のひらに伝わってくる。
「これは売らんと、現金にはならんのじゃろう?」
「そうですね……。どこで買い取ってもらえばいいのかしら」
その日は、金塊を持ち出すことなく銀行をあとにした。
その後、質屋や買取業者にも問い合わせてみたが、返ってくるのは似たような回答ばかりだった。
現物を確認しなければ正確な査定はできない。金の相場は日々変動する。
そんな折、二人は街中で偶然、田中貴金属の看板を目にした。
「お父さん……ここなら、安心して相談できるんじゃないかしら」
「あ、ああ……そうじゃな」
二人は店に入り、専門家から説明を受けた。
その後、必要な手続きを踏んだうえで、金塊を売却することにした。
これで、ようやく現金が手に入る。
しかし、帰り道、妻はふと足を止めた。
「ねえ、お父さん」
「なんじゃ?」
「私たち、修吾のせいで、散々世間から叩かれましたよね」
「ああ……」
「これからも犯罪者の家族というだけで、何もしていない私たちまで、散々責め続けられるんですよ」
耕造は、返す言葉を見つけられなかった。
「……静かに暮らしたいと思いませんか?」
「静かに……?」
「この街にいても、私たちは修吾の両親でしかありません。あのお金だって、修吾が『好きに使ってくれ』と残したものでしょう?」
妻は、夫の顔を見つめた。
「被害者への賠償に充てることは、もちろん大切です。でも、私たちだって、残りの人生を生きていかなければならないんです。少しくらい、自分たちのために使っても……」
「お前……」
耕造は、妻の言葉を遮ることができなかった。
息子が奪った命は戻らない。
どれだけ金を積んでも、被害者遺族の悲しみが消えるわけではない。
それでも、自分たちまで人生のすべてを失わなければならないのだろうか。
「……そうじゃな、遠くへ行くか」
耕造がそう呟くと、妻は小さく頷いた。
その選択が正しいのかどうか、二人には分からなかった。
ただ、もう疲れ果てていた。
本作品はフィクションです。登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
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