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悪に優しきこの国で −裁かれぬ悪と、救われる悪−【第31話】被害者家族の謝罪

    弁護士・新城倫史しんしろのりふみから見せられた映像を目の当たりにした楓の父・新浜剛にいはまつよしは、衝撃のあまり激しく動揺していた。

    娘・楓かえでへの痴漢は、誤解だった。

    さらに、私人逮捕も誤認逮捕。

    そして。

    雫石和也しずくいしかずやによる惨劇は、娘の誤解から始まったというのか。

    和也のその後を聞かされた剛は、力なくその場に崩れ落ちた。

    「今まで……あいつを憎むことが、私の生きる糧だった。でも、これじゃ……」

    言葉が続かなかった。

    胸の中にあるのは、娘を殺された父親としての憎しみ。

    それは、今も消えてはいない。

    しかし、その憎しみとは別の感情が、剛の中に入り込んでいた。

    謝罪。

    その感情を抱いてしまった自分自身に、剛は戸惑っていた。

    娘・楓は、雫石和也に殺害された。

    その事実だけは、何ひとつ変わらない。

    剛は、ずっとそう思ってきた。

    和也が娘を殺した動機は、痴漢として私人逮捕されたことへの逆恨み。

    そう信じていた。

    だからこそ、剛は一生、和也への『憎しみ』を背負って生きていくつもりだった。

    だが……。

    和也もまた、被害者だった。

    しかも、その原因を作ったのは、娘・楓だった。

    痴漢はなかった。

    和也は、誤って犯人にされた。

    その結果、彼の人生は一変した。

    家族は離散し、会社を退職し、収入を失った。

    そして、世間からの信頼さえ失った。

    娘の行動が、一人の男の人生を壊した。

    その事実を、剛は知ってしまった。

    また稲村朱音いなむらあかねによる特集の反響は大きかった。

    ネット上では、雫石和也に対する同情論も現れていた。

    報道では名前を伏せられていたが、雫石和也の家庭が崩壊していったときと同じように、ネット上の情報が広がる速度は早い。

    やがて、被害者だったはずの楓に対するバッシングまで、散見されるようになった。

    そして。

    迷い続けた末、剛は一通の手紙を書いた。

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    宛先は、刑務所にいる雫石和也。

    自分の娘を殺した男だった。

    手紙は、新城弁護士に託した。

    前略
    雫石和也様

    私は、貴方に娘・楓を殺害された父親の、新浜剛です。

    私は、あなたを許すことはできません。

    最愛の一人娘を殺した犯人だからです。

    あなたに言い渡された無期懲役という判決を、私は甘いと思いました。

    私は、死刑を望んでいました。

    娘の命を奪ったあなたに、それだけの罪を償ってほしいと思っていました。

    でも……。

    始まりは、誤解だったのですね。

    悔しいですが、痴漢はなかった。

    あなたは、誤認逮捕だった。

    あなたの家族は、離散したそうですね。

    会社も退職され、収入を失い、世間的な信頼も失った。

    あなたの人生は、あの日を境に大きく変わってしまった。

    その原因の一つを作ったのは、私の娘です。

    私は、あなたを許すことはできません。

    今でも、できません。

    娘を殺された父親として、その気持ちだけは変えることができません。

    でも……。

    私は、事実を知りました。

    あなたの家庭を崩壊させたのは、楓だったのだと。

    そう気づいてしまいました。

    私は、あなたを許すことはできません。

    それなのに……。

    「あなたを許せ」と、自分自身に言っている自分もいます。

    それが正しいことなのか、私には分かりません。

    雫石和也さん。

    申し訳ありませんでした。

    あなたの人生を壊したことについて、私は謝らなければならないと思っています。

    でも……。

    娘の命は戻りません。

    どれだけ謝っても、楓は帰ってきません。

    だから私は、あなたを許したわけではありません。

    これから先も、あなたを許せない自分がいると思います。

    それでも。

    あなたが背負わされたものについて、父親として、謝らせてください。

    本当に、申し訳ありませんでした。

    すみません。

    新浜剛

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    和也は、最後の一行まで読み終えた。

    しばらく、便箋から目を離さなかった。

    「……新浜さん」

    小さく名前を呟く。

    剛が自分を許せないのは、当然だった。

    最愛の娘を、自分が殺したのだから。

    和也自身も、そのことを否定するつもりはなかった。

    それでも。

    「……謝るのは、俺のほうだろ」

    彼の娘を殺した。

    その事実は消えない。

    自分が誤認逮捕の被害者だったとしても、楓の命を奪ったのは自分だった。

    あの時、楓が目の前にいる和也に気が付けさえすれば、何も起こらなかったかもしれない。……ただ、彼女は和也に気づきもしなかった。

    彼女にとって、あの痴漢は、それほど軽いものだった。自分は社会的に抹殺されたと言うのに。その瞬間、怒りが理性を塗りつぶしてしまった。

    和也は、手紙をゆっくりと折りたたんだ。

    そして、胸の前で両手を重ねる。

    「……すまなかった」

    誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

    楓に向けたのか。

    その父親に向けたのか。

    それとも、あの日から壊れてしまった、自分自身や家族に向けたのか。

    和也の目から、涙が一筋だけ落ちた。

    「あなたに許してもらおうなんて、思っちゃいない」

    そう呟いてから、和也は手紙を封筒に戻した。

    「でも……」

    しばらく黙っていた。

    そして、静かに呟く。

    「……妻以外にも、分かってくれる人がいたんだな」

    それだけだった。

    和也は手紙を胸元にしまった。

    そして、静かに目を閉じた。

    和也が将来、仮出所の機会に恵まれるとしても、それは30年以上服役した後のことである。


    本作品はフィクションです。登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
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    noteに登録したのは、2025年1月です。 主に手がけているのは短編小説です。人間の機微を描く『恋愛』『不倫』、思考を揺さぶる『社会派』、想像力を広げる『ファンタジー』など、ジャンルにとらわれず多岐にわたるテーマを描いています。

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