エッセイ:「諦観―受容と諦めの狭間で―」
エッセイ:
「諦観―受容と諦めの狭間で―」
精神科作業療法室での出会いと別れ。
彼女から転院することにしたと伝えられた。
精神科リハビリで仲良くなった、私の半分以下の年齢のかなり年下の患者さん。
彼女は色々な病院に通い、納得できる治療を求め続けている。
それは、良くなりたい願望の表れでもあり、諦めの悪さの表れでもある。
そんな彼女を見て思うこと。
自分はいつから、そんな感情が薄れてしまったのだろうかと。
傍から見れば、私がどう映るのかは分からない。
まだまだ、諦めずに悪足掻きをしている患者かも知れない。
それでも、自分が感じることは、諦観の心が芽生えた事。
症状が残る事は、もう仕方ない。
どんなに願い、祈ったとしても、健康な頃の体と心には戻らない。
何時しか夢を描き、願いを持つことを無くしてしまった。
これは、良くなる事への放棄なのか、それとも、在りのままの自分への受容の一歩なのか――
そんな事が彼女の後ろ側に、ぼんやりと浮遊していた。
それを私は、表現しにくい穏やかな心で見つめていた。
そしてそこには、かつての自分を見る様な、懐かしさも漂っていた。
一つ分かる事は、彼女と私では、異なった色のオーラに包まれている事。
私のオーラは落ち着いた穏やかな物で、彼女には、動きのある尖ったオーラが見えた。
その尖りは所々、欠けて削れている。傷ついた彼女の心を映すように。
私の心の傷は、形づいて見えるのだろうか。
穏やかな心の中に隠された大きな傷跡を、
自分自身でも見えぬ様に、風呂敷で包み隠しているのかも知れない。
素直に出せる彼女の純粋さが、羨ましくも、懐かしくも思った。
何時から私は変わったのだろうか。
私の落ち着きは、心の消沈の表れなのだろうか。
その答えは、二つのオーラの交じりの中で、見えなくなった。