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エッセイ:「諦観―受容と諦めの狭間で―」

    エッセイ:
    「諦観―受容と諦めの狭間で―」


    精神科作業療法室での出会いと別れ。
    彼女から転院することにしたと伝えられた。
    精神科リハビリで仲良くなった、私の半分以下の年齢のかなり年下の患者さん。
    彼女は色々な病院に通い、納得できる治療を求め続けている。
    それは、良くなりたい願望の表れでもあり、諦めの悪さの表れでもある。

    そんな彼女を見て思うこと。
    自分はいつから、そんな感情が薄れてしまったのだろうかと。

    傍から見れば、私がどう映るのかは分からない。
    まだまだ、諦めずに悪足掻きをしている患者かも知れない。
    それでも、自分が感じることは、諦観の心が芽生えた事。

    症状が残る事は、もう仕方ない。
    どんなに願い、祈ったとしても、健康な頃の体と心には戻らない。
    何時しか夢を描き、願いを持つことを無くしてしまった。
    これは、良くなる事への放棄なのか、それとも、在りのままの自分への受容の一歩なのか――

    そんな事が彼女の後ろ側に、ぼんやりと浮遊していた。

    それを私は、表現しにくい穏やかな心で見つめていた。
    そしてそこには、かつての自分を見る様な、懐かしさも漂っていた。

    一つ分かる事は、彼女と私では、異なった色のオーラに包まれている事。
    私のオーラは落ち着いた穏やかな物で、彼女には、動きのある尖ったオーラが見えた。

    その尖りは所々、欠けて削れている。傷ついた彼女の心を映すように。
    私の心の傷は、形づいて見えるのだろうか。
    穏やかな心の中に隠された大きな傷跡を、
    自分自身でも見えぬ様に、風呂敷で包み隠しているのかも知れない。
    素直に出せる彼女の純粋さが、羨ましくも、懐かしくも思った。

    何時から私は変わったのだろうか。
    私の落ち着きは、心の消沈の表れなのだろうか。
    その答えは、二つのオーラの交じりの中で、見えなくなった。

     
     
    2022年の夏から、原因不明の体調不良になり闘病中です。 闘病記はアメブロに書いています。 うつ病が酷くなった2025年6月から、 メンタルコントロールの一環として、「闘病詩」を書くようになりました。 アメブロ:https://ameblo.jp/chopio0709oohay/

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