
【その剣、とこしえに國を護る礎となれ~宮簀媛~】⑥全12話
神話に刻まれなかった、ある妃の『拒絶』と『覚醒』の物語。本作は全12話の連載小説です。(毎日20時更新)
第6話 神々の通り道
突然、視界が広がった。
三人は岬の突端に着いた。
足元は切り立った崖となり、三方には「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれる潮干(しおひ)の遠浅(とおあさ)が、見渡す限り続いている。
この岬は、伊勢湾から深く入り込んだ年魚市潟に突き出した絶壁である。
ドドォン……ドオォオン……
ザザザザザ……
ドドド……
ドオオォォォォォォオン……
ふもとまで波が打ち寄せてくる、独特の地形をしている。
三方から強く吹き付ける風は断崖で複雑に絡み合い、やがてひとつに巻き上がって背後の林へと抜けてゆくようだ。
時折の強風は、風上に背を向けねば立っていられないほどである。
「何もないではないか」
強い風で何度も乱れてしまう髪を気にしながら、宮簀媛は当てが外れたとでも言いたそうに不満げだった。
ーー髪など気にするタチか。
オオタカは心の中でうそぶいた。
「奥、そう見えるか」
宮簀媛の頬が染まった。
「何かお分かりですか?」
慌てて背筋を正し、宮簀媛は改まって答えた。
オオタカは小さく鼻を鳴らした。
「ここに造るのであろうよ。炉を」
「ここに?」
「そうだな、オオタカ」
振り返り問う日本武尊に、いつの間にか後ろに控えていたオオタカが答えた。
「ここならば、おそらく」
「小屋を建てる木もあるし、か」
「いえ。土を掘ります」
「掘る? 建てるのではないのか」
日本武尊は、オオタカに体を向けた。
「はい。三方、あるいはもっと必要かもしれませんが、穴を掘り、この風を余すことなくひとところに集中させます。
海に向かう入口の穴は広くし、さらに壁を設けてより多くの風を取り込めるようにします。穴をまとめる奥の方は、出来るだけ細くするのが良いでしょう。
炉は、そこに据えるのです。古(いにしえ)の方法です。平地では風が乱れ難しいでしょうが……この高台、この海風なれば」
「良いか」
「はい。手つかずの岬です。風も土も存分に。少し歩きますが清い水もあります。浜でさらった黒い砂、そして尾張の赤土から掘り出した、山の鬼板(褐鉄鉱)も。荒ぶる天地の力をここにそのままお借りするのが、この剣には一番かと」
「なるほど」
「かなり武骨な炉となりましょう。お嫌でなければですが」
「新しき炉にこの地の神々を配するか。面白い。無論、そなたが打つのであろう?」
オオタカは思わず顔を上げた。
「は? いや、それは。心当たりを聞かれたゆえ、思い付きを案内したまでで……俺が打つとは」
「ほう。鉄の子とは思えぬことを申す」
オオタカの頬が、ぴくと動いた。
日本武尊は、じりと歩みを進めながら言い放った。
「良いか。これは剣の声の聞こえぬ者には出来ぬ仕事よ。この剣は、間違いなくそなたを選んでおる」
勘違いするな、と釘を刺す日本武尊の厳しい目。
まさに戦人のそれである。
「出来るかどうかを問うてはおらぬ。
やるか、やらぬのか。今すぐここで返答いたせ!」
やるか、やらぬか。
宮簀媛の胸が、ドキンと鳴った。
……口惜しい。
我はやはり男に産まれたかった。
そうして、このような者たちと対等な舞台で、我が命を賭けて共にありたい。自分にだけ与えられた使命を、我が命を賭して受けて立ちたい。
流されるだけの生き方は真っ平だ。
埋もれてゆくのも真っ平だ。
見るべきものを見、行くべきところに向かい、やるべきことに胸を熱くできるなら、きっとどこで果てても尊いだろう。
宮簀媛は、苦しいほどに胸のたぎりを感じていた。
それは、幼いころより燻っていた、まぎれもない彼女の本心だった。
一方で、オオタカを見据える日本武尊の眼は鋭かった。
神の子だからと言って不敵だという訳では決してない。
紙一重、瀬戸際のところでここまで生きながらえてきたのだ。
ーー分かれ!
どうしても、お前だけは。
オオタカは再び控えていた。
しかし、目だけは剣に向いている。
日本武尊の切羽詰まった思いが響いたというわけではない。
あの剣を、他の誰かに預けるのか否か。
鞘から抜かずとも分かる、あのほとばしり。
恐らく生涯、二度と触れることはできない剣だろう。
それを、自分のこの手で鍛える機会が、目の前にある。
そしてその剣が、この自分を選んだという。
火と鉄と己には、この「時」という何かがある。
この剣は何を語るのか……。
どんな形を好むのか……。
じわじわと喉を締め上げるような職人としての興奮が、容赦なくオオタカを包んでゆく。
我が身の全てをかけて打てる剣が、今、そこに……!!
ざくり。
オオタカの上から下までを、何かが貫いた。
オオタカは顔を上げた。
「戻らねばなりますまい」
「な! やらぬというのか!」
この意味が分からぬか、そなたを見損なったとでも言うように、宮簀媛が口を挟んだ。
オオタカは軽く笑った。
「炉を作らねばならぬ。手ぶらではそれも出来まいよ」
キイーン……。
日本武尊の腰元で、剣が細く、高く鳴った。
二人の男は顔を見合わせた。
「やはり。……分かるのだな」
日本武尊はオオタカに小さく問うた。
オオタカはただ、頭を下げた。
「決まりましたな! さ、一刻も早く戻りましょう!」
二人の沈黙を破ったのは、宮簀媛の弾んだ声だった。
宮簀媛は、山道を登ってきた時のように手慣れた動作で衣の裾をさっとまくり上げると、二人を置き去りにして岬の道を駆け出した。
その横顔は、弾んだ声とは裏腹である。
坂道を下ってゆく宮簀媛は、きつくきつく、その唇を噛みしめていた。
◇
明け方、宮簀媛はまた男の腕の中で目を覚ました。
男の筋肉が、いくぶん落ちてきたように感じる。
日本武尊は今も厳しい鍛錬を欠かしてはいないと言うのに。
宮簀媛はそっと寝床を抜け出すと、白み始めた空を眺めに外に出た。
戸外の空気は静かに、そして確かに、次の季節へと変わっている。
ホタルブクロが野を彩っていたあの出会いから、季節は巡り、風はいつしか秋の涼を運んできていた。
宮簀媛は、あの丘を眺めた。
あれから丘の小屋の火が消えた。
もう幾日経つのだろう。
「やるか。ならば、こちらも人を遣わそう」
日本武尊は、供の者を数名ほど岬に送り出していた。
岬から吹く激しい風はいくつかの林とあの丘に遮られており、ここに届くころには随分と心地よくなっている。
宮簀媛は耳をすませてみた。
風が岬の様子を伝えてくれるかと思ったのだが、ほのかな潮の香りが鼻をくすぐるだけだった。
「身体を冷やすぞ」
いつの間にか、夫が傍にいた。
「気になるか」
「はい。毎日、あの丘の煙を見ておりましたゆえ。あったものが無くなるのは、寂しいものです。岬も、今は行くこと叶いませぬし」
「そうか」
二人は並んで、丘に建っているだけの小屋を眺めると、その向こうにある岬に思いを馳せた。
「後は、剣とアヤツがどう結びつくかだ。待つしかあるまい」
……待つ。
気になるところへは自由に行けた我が身であった。
知りたいことがあれば間髪入れずにオオタカの元に馳せ、時が過ぎるのを忘れるほど語り合えたものを。
土を掘ると言っていた。
風を取り込む壁も設けると言った。
古(いにしえ)の方法という炉は、どういうものなのか。
オオタカは、どんな風に剣と向き合っているのか。
ーー待つとは、こんなにも、もどかしいものか。
ほぼ真東の空の向こうから、光がほろほろと溢れてきた。
昼と夜の長さが等しく分かたれる朝である。
「殿。手を合わせてもよろしいでしょうか」
太陽は、八百万の神々の頂に座す(まします)大いなる神である。
「オオタカに、天照大御神(あまてらすおおみかみ)のご加護がありますよう、祈りたいのです」
「そうか。私もそなたに倣おう」
「ありがとう存じます」
日本武尊は、祈り始める彼女の横顔を静かに見つめた。
「オオタカはきっとやり遂げる。そなたの祈り、必ず届くだろう」
宮簀媛は、こぼれ落ちる光を掬いとるように、胸の前でゆっくりと掌を合わせた。
指の節々までが隙間なくぴったりと合わさったその両手は、ひとつの蕾のようにも見える。
まだ熱を持たぬ朝の光が、その姿を照らしていた。
◇
いつからだろう。
岬で土を掘り進んでいるオオタカの脳裏に、不思議な声が響くようになった。
「違う! そうじゃない!」 「そう! そのまま!」
オオタカは辺りを見回した。
だが、誰かが何かを言ったようではなかったし、誰の声でもない。
「神々を配した炉にするのだな」
オオタカは、日本武尊が言ったあの言葉を思い出した。
ふん、と鼻を鳴らし、頭に響く声に指示されるまま、さらに溝を掘り進めた。
初めに考えた設計とは、もう全く違う。
が、その声の響くままに作るべきだろうとオオタカは思っていた。
溝はやがて穴になった。
掘り進める。
掻き出す。
更に掘り進める。
掻き出す。
運び出す作業をする者たちの中には不信感を明らかにする者もあったが、オオタカはたいした気にも留めなかった。
頭の中の声はいつも突然に響く。
ーー追いつかぬ。
日本武尊の配下に対して的確な指示を出すことができない。
結果オオタカは一人先頭に立ち、ひたすらに穴を掘り続けた。
鍬の歯が砕ければ、素手で土を掴んだ。
盛り上がった背からも、太い腕や腿からも、汗と脂が混じり合ってあふれ出す。
海からの強風は剥き出しになっている男たちの体温を容赦なく奪っていく。だが、オオタカの身体だけは異様なほどの熱を帯びている。
オオタカの耳は、捉えていたのだ。
土を掻き出すたびに風の音が、その「鳴り」を変えてゆくのを。
穴の角度が、深さが、わずかに極まるだけで風はヒュウと泣き、あるいはゴウと地鳴りのような咆哮を上げる。
オオタカは、ただ一つの「神の通り道」を見つけ出そうとしていた。
「どこだ……どこにある……」
泥と血にまみれた顔を上げ、オオタカは獣のような喘ぎを漏らす。
背後で作業を支える者たちが「もう十分だ」と止めに入ったが、オオタカは全て振り払った。
ーー誰にも分かるまい。
オオタカを突き動かしているのは、理屈ではないのだ。
『ここだ』
脳裏に、雷鳴のような声が突き刺さった。
オオタカは手を止めた。
風を喰らい、唸りを上げる巨大な土の喉。
それがようやくようやく、大きな口を開けたのだ。
「……野だたら、だ」
オオタカの口から、漏れ出すようにその名がこぼれた。
泥にまみれ眼光だけを恐ろしく輝かせているオオタカの姿は、周囲の者たちを気圧した。
ひゅ。
一人が、ひきつった声を漏らした。
よもや、人間が立ち入るべきではない領域に踏み込んでしまったのではないか……。配下の者たちは次第に後ずさりしていった。
フオォォオオ……!
ブオオオォォォォオオオオオ……!!
オオタカの背で、炉が地鳴りのような咆哮を上げた。
ーー降り立った。
いま、ようやく、神々が降り立ったのだ。
やがて、厳かに火が入った。
夜の闇を切り裂くような大きな炎が、天高く噴き上がる。
そこに「海の黒い砂」と「山の鬼板」が順に運び込まれて来た。
まるで元から支度されていた、一連の儀式であるかのようだった。
赤々と爆ぜる炎を照らし返し、黒い石が濡れた生き物のように怪しく光る。
オオタカは炎を背にすると、その石を一つ、掌に取った。
その時である。
掌の石を求めて吸い寄せられるかのように、巨大な炎の舌が穴から奔(はし)った。
「逃げろ!!!」
悲鳴が上がる中、オオタカだけはぴたりと動かない。
逆光の炎が、オオタカの輪郭だけを鮮烈な紅(あか)に浮かび上がらせていた。
「荒神様じゃ……。火の神様までもが、降り立たれた……」
居合わせた者たちは、息をすることさえ忘れて立ち尽くした。
オオタカはゆっくりと目を閉じた。
その口の端が、静かに緩んだ。
オオタカの目の裏に、朝の光を透かしてぴったりと合わさっている、あの蕾のような美しい両の手が見えていた。
第7話「熱のゆくえ」はこちらからご覧ください↓