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【その剣、とこしえに國を護る礎となれ~宮簀媛~】⑦全12話

    神話に刻まれなかった、ある妃の『拒絶』と『覚醒』の物語。本作は全12話の連載小説です。(毎日20時更新)


    第7話 熱のゆくえ




    昼下がり、屋敷に数名の使者が立っていた。
    「なんと、いよいよ共に暮らせるというのか!」
    二人の姉がそれぞれ夫と暮らせるのだという。なんとも喜ばしい知らせが重なった。この旅の支度に、屋敷は再び沸き立った。

    数日の後、姉たちはそれぞれ出立していった。
    宮簀媛がいつまでも手を振ると、名残惜しそうにその姿を小さくしていった。

    静まり返った屋敷に、宮簀媛は一人いた。

    ひゅう。
    冷たくなった海風が吹き抜けていく。
    後から届く海鳴りの音が、なおさらに屋敷の静寂さを際立たせていた。

    間もなく、剣は出来るだろう。
    オオタカならきっと、見事にその役目を果たすはずだ。

    ーーさすれば。

    日本武尊はきっと、再び旅に出る。
    我は一人、ここに取り残されてしまうのか……。

    宮簀媛はこの上ない幸せを手にしてしまっていた。
    その分どうしても、拭いきれない光景がある。
    夜毎にすすり泣いていた、あの姉たちの姿だ。

    ひた。
    ひた。

    宮簀媛は振り返った。
    背後に冷たい足音が迫った気がした。


    日本武尊もまた、一人物思いにふけっていた。  
    岬の山道を下りたときオオタカが漏らした言葉が、いつまでも棘のように胸に残っている。

    「あんた。死ぬ気じゃないよな」  
    不意を突かれ、日本武尊は足を止めてオオタカを振り返った。
    その瞳に、隠しきれない動揺が走った。

    ーー死ぬ?
    私が?
    その瞬間、日本武尊の喉の奥に恐怖が走った。

    危うい目に遭ったとは言え。
    何度も死を覚悟したとは言え。
    生に対する執着は持たなかったやもしれぬ。

    この土地で宮簀媛と過ごした僅かな時間が、いつの間にか「戦の神の子」らしからぬ「人間らしい熱」を宿してしまっていたのだ。

    死への恐怖とは、生への執着だ。
    ーー私は、生きたいのだ。
    この姫と。

    日本武尊は、ぎりと手を結び直した。
    「……なぜ、そう思う」
    「なんとなく」
    オオタカは、あっさり言い放った。

    「いや、どうもな。あんたの中に、命を削っている火みたいのがあるような気がする。下手をしたら、そいつに焼き尽くされちまうんじゃないかと思ってな。まあ、単なる職人の独り言だ。気にしないでくれ」  

    ーーやはり、剣が選んだ男、か。
    初めて、己の顔が歪むのが分かった。

    「のう。ひとつ伺いたい」
    オオタカは、更に日本武尊の背中に問うた。
    「神とは、一体なんなのだ。俺とどこが違う」

    ーーこの男は!
    オオタカの言葉が、ぴしりと胸に来た。

    「さあて、な」

    あの時の棘が、まだ抜けずにいる。
    日本武尊は、ふうと息をついた。
    屋敷の庭から見える海は、凪いでいる。
    どうもこの土地は、穏やかでありながらやたらと私に疑問を投げかけてくる。
    これまで、神に選ばれ神と呼ばれて生きてきた。
    そのことを疑う余地などなかった筈だ。

    今、剣は生まれ変わろうとしている。
    あのオオタカという男の手によって。

    「私も……決めねばなるまい」

    木の葉が一枚、枝から落ちた。
    神の子が神からの加護を手離し、一人の「人」として歩み始めた瞬間であった。


    ◇

    岬の穴から、またもや大きな炎が上がった。
    炉の前で赤く焼けた鉄を引き出し、オオタカは剣を打っている。
    あの声は、今も絶えず響いている。

    「ほう。これがお前の技か?」
    癪に障り、オオタカはやり直した。
    頭を左右に振りながら、再び剣を打つ。

    それでも嘲笑う声が響く。

    負けずに剣を打つが、曲がる! と一瞬でも思うと、たちどころにグニャリと曲がる。
    反る! と感じると、あらぬ方向に反り返る。
    この剣は、自分が打ちたいようには打たせてくれない。
    このような剣はかつてなかった。

    少しの男の迷いに、剣はすぐさま反応するのだ。
    「くっ」
    身を翻すように剣から離れ、息を整えた。
    これももう、何度目であろう。

    「さあ、どうする」
    男の脳裏に声が響く。
    「……今よりも、強くしてやる」
    男は、再び剣を握った。
    「それは真か」
    「なに!」
    「真を見せよ」
    「真だと?」
    「そなたの底の底の底じゃ。分からぬなら、そなたに我は打てぬな」
    「己のことなど、百も承知だ!」
    ならばさっさとやってみよ、と、また声が響く。
    これでもかと打ち込むが、そんなものかと跳ね返される。

    頭に響く声は、いつまでもオオタカを嘲笑う。
    小屋の外には、オオタカが手をつけない飯が並んでいった。

    焼け付くように喉が渇く。
    手の皮が破れ、身体の至る所は炎で炙られていた。
    オオタカは手を止めた。

    「ほお。これまでか?」

    ーーぶつり。
    オオタカの中で、何かが音を立てて千切れた。

    「神、神、神、神!!!! 神とは! なんなのだ!」
    「お前は真に恐れを知らぬと見える」
    「ああ、知らぬ! だから問う! はっきり教えろ!」

    「神は、在るものよ」
    「抜かすな! なればとっくに争いなどない! 全ての民はとっくに満たされておろうよ! いいか、魚が獲れなければ、腹は膨れぬ。飢えて震える子を、病に伏せる親を、あんたは一度でも救えたというのか! 何故に地が揺れ、海は溢れる! 山は崩れ、川が暴れる! 人の生死も、積み上げた暮らしも……それを、上で! 面白おかしく操るのが神々の仕事か!」

    オオタカは一気に捲し立てた。

    高らかな笑い声が響いた。

    「さあてな。神々とて、手の施しようがないこともある。
    人は人を想う。 人は困難から学び、生きる糧を、知恵を、見出してゆく。
    平安ばかりでは人は学べぬ。 穏やかばかりでは、己が何者かさえ忘れるものよ。
    そら、手を止めるか。我は冷えるぞ。そなたはどうする。我をどうする」

    「……何?」
    オオタカはすでに、肩で息をしていた。

    「そら。
    冷えるぞ。
    冷えるぞ。
    打つのを止めるならそれも良い」

    オオタカは顔を上げた。

    「さあ。 冷えるぞ。
    冷えるぞ。
    ……冷えるぞ」

    火床(ほど)から漏れる熱気が、湿り気を帯びた重い海風に押されている。
    オオタカは慌てて必死にふいごを吹いた。
    だが、火は一向に赤くならない。

    ざわっっ!
    生まれて初めての恐怖が、指先から這い上がってくる。

    剣が「冷える」のは熱が足りないからではない。

    ーー怯えていたのか、俺は。
    うずうずとした衝動だけで打てる剣ではない。そんな事は炉を据えた時から分かっている。

    それでも打つと決めたのは俺だ。
    神を降ろそうと言ったのは、俺だ。
    日本武尊の腰元で放っていた、抗えないほどのあの力。
    それは、かの人を思う心とは全く別のところにあった底知れぬ引力があったのだ。

    ーーこんちくしょう。
    オオタカは、手を止めた。

    息を、細く深く吐いた。
    耳を澄ませた。
    オオタカの荒い呼吸が、風の音に溶けて消えるまで、更に心を研ぎ澄ませた。

    火花が散る音。
    炉が爆ぜる音。
    やがて、己と鉄との境界が消えてゆく。

    ゆっくりと。
    ゆっくりと。
    ゆっくりと、意識の底へ沈んでゆく……。

    ーー静かだ。

    オオタカは、目を開けた。

    技を誇る「職人」としての拘りも、神への恐れも、もはやなかった。
    ただ、鉄を打つ。
    鉄がなりたい姿へ、俺の腕が動く。
    それだけだ。

    ーー外にも在るもの、内にも在るもの。
    この手が、それを繋ぐのか。

    「……待たせたな。そなたを、俺の思い通りにしようとしていた」

    オオタカは力を込め、柄を握った。

    「神々よ!! ここじゃ、ここに降り立ちくだされ!」
    オオタカは声を張り上げた。
    「この剣を朽ちさせてはならぬ! 世の、頼りとなる剣じゃ!」

    オオタカは剣に向き直った。

    「あんたをこのまま冷やしはせぬ!
    願わくは、世をまとめる剣となりやがれ!
    あんたが天となり、神々をとりまとめ、この地とこの地の者たちを、平安とやらに導いてゆけ!」

    カーーーーーン……。

    鉄を打つ音と共に、岬の断崖から駆け上がってきた海風が入り込み、さらに大きな火柱が上がった。
    雷鳴が一度だけ轟いた。
    オオタカは糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。

    ◇

    岬から人が降りてきた。
    剣が、できたと言う。
    日本武尊は硬い表情をしている宮簀媛を見やると、先に立ち上がった。
    宮簀媛はそれに従うように静かに続いた。

    庭には丁寧に腰を折る男がいた。
    その姿は、かつての面影をとどめないほどに荒んでいた。
    だが不思議なほど、その目は静かに澄んでいる。

    ーーやり遂げたか、オオタカ。
    日本武尊は、剣を受け取った。

    途端に、剣から何かが流れてきた。
    溢れるほどの怒り。
    同時に、平安への悲痛な願い。
    強い痺れを伴い、それらが一気に日本武尊の中に流れ込んできた。
    そして。
    痺れが収まる最後に、ほんの微かに、妻である宮簀媛の笑顔があった。

    ……そうか。

    日本武尊は、そっと目を伏せた。
    「礼を言う」
    男にそれだけ言い残すと、日本武尊は足早に奥に引き上げた。

    オオタカは、短く返事をした。



    宵が迫ってきた。静かな宵である。
    草の根の辺りのいたるところから、虫の音だけが響いている。
    あえて重ねるが、静かな宵であったのだ。


    「奥」
    日本武尊は、傍に寄り添う妻に呼びかけた。
    はい、と妻は神妙な面持ちで夫に応えた。

    「もはや旅に出る」
    「……今、この時にございますか?」
    「そうだ」と、夫は答えた。
    宮簀媛の目に、ようやくの覚悟を認めた。
    日本武尊は、妻にあらん限りの想いを込めて話し始めた。
    「分かっておろう。奥、そなたを連れてはいけない」

    宮簀媛の胸が大きく音を立てた。

    はい、と正面で答えた。
    うつむきはしなかった。
    ご武運を、と伝えた。
    握りしめた手が、小さく震えていた。

    日本武尊は、出来上がったばかりの剣を妻に差し出した。
    宮簀媛はその意味をすぐには図りかねた。

    「これを私と思え」
    「出来ません!」
    宮簀媛は即答した。
    「これは殿の戦になくてはならぬ剣です! 全く、今になって何を仰せか。国の安寧を担う、宝剣ではございませぬか!」

    「そうだ。だがな、血で血を洗う戦は、新たな怒りを産むことにしかならぬのだ。これまで、私は幾多の戦いでこの剣を振るってきた。私は父に憎まれた。そして」

    日本武尊は一度言葉を切った。

    「とうとう私は、実の兄にも、手をかけた……」 

    思いがけない告白だった。
    言葉を失う宮簀媛を見ずに、日本武尊は続けた。

    「……空しくあったのだ、私も。
    奥、私を思うなら、この剣に新しい命を授けてくれぬか。これは、私の妻であるそなたにしか出来ぬ。
    私は旅で。そなたは、ここで。民がいつまでも健やかであるよう、無駄な戦のない平安な国となるよう。
    夫婦(めおと)として、私たちは、この剣と共にあろうぞ。
    重ねて言う。これは。
    奥、そなたしか出来ぬことじゃ」

    ーーこれが、これが使命か。
    この身に何かしらの使命が下るよう願ってはいたが、これが、私に下された使命なのか!
    我が身を締め上げるような高揚と淋しさ。
    その両方が一気に宮簀媛を襲って来た。

    ーーいや、待て。
    この剣を我が受け取れば、殿は。
    殿は、丸腰じゃ……!

    「……まさか、殿。死ぬおつもりではあるまいな」

    日本武尊はいくらか表情を解いた。
    「そうではない。この命を生かすために行くのだ。そなたや、この国の民を護るためだ。ゆえに、もはや武器としての剣は要らぬ。
    良いか、これはそなたにしか出来ぬこと。支度が出来次第、私は出立する。
    不吉ゆえ、未練は一切許さぬ。見送りは無用と知れ」

    やがて、日本武尊は静かに言葉を結んだ。

    「要るのは、互いの覚悟のみじゃ。
    奥……良いな」

    「ここで、お別れでございますか」
    「いかにも」
    「……分かりました」


    オオタカが命を削り、神と切り結ぶようにして打ち込んだ、剛(つよ)き剣。
    日本武尊の深い悲しみを湛え、その命と祈りである、柔(やわ)き剣。
    この『双極の剣』を、我に、

    ーー我に、預けるというのか……。

    宮簀媛は剣に手を伸ばした。
    ずしり。
    宮簀媛の腕が沈んだ。

    一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに唇をきつく結び、真正面から夫を見据えた。

    思いがけず、姉たちの後姿が目に浮かんだ。
    あれは、姉たちの向かう道。
    宮簀媛は、剣に目を落とした。
    僅かに震えている指を、静かに這わせた。


    ーーならば。
    これが、我だけの、女子の道……!

    「……殿」
    ようやくの思いで、宮簀媛は日本武尊の願いに答えるように口を開いた。

    「私は、子宝には恵まれませんでした。であるならば、これこそが、私の使命。ならば仰せの通り、殿のこの剣に祈りを捧げ、新たな命を宿してご覧に入れます。この剣がこの地にある限り、私は生涯、殿と共に在りまする」

    「良く言ってくれた。私はこの熱田の地に、この剣と共に、ある」

    遠くから、絶え間なく打ち寄せる潮騒の音が聞こえていた。

    開け放たれた戸口から夜の湿り気を帯びた穏やかな海風が流れ込み、二人の衣を静かに揺らした。

    剣が、静かな光を宿した。
    すべての祈りを吸い込むような、深く静かな光を。



    第8話「神の子、地に立つ」はこちらからご覧ください↓


     
     
    地域などに伝わる史実等を基に執筆し、それらを自ら語り伝えるというスタイルで活動している、お話しライブライターの微将蓮です。 苦難を受けた先人たちの知恵や覚悟を「今と未来」に伝えるために、願いと祈りと願い込めて作品を作っています。ライブ原稿、そして小説を綴っています。

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