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歴史改変SF 「奥羽列藩同盟のリジェクテッド・ヤンキー」 後編

    金属材料を研究する博士課程院生・及川鉄平は、研究室の電気炉が放った謎の光に呑まれ、幕末の釜石へと飛ばされる。そこで彼が出会ったのは、不調に陥った高炉と、火と鉄に向き合う職人たちだった。怪しまれながらも、鉄平は現代の冶金学の知識で炉を立て直し、赤い鉄を流すことに成功する。だがその土地には、やがて奥羽を巻き込む戦の気配が迫っていた。

    前編

    後編


    それから数日、鉄平は炉に張りついた。

    最初は捕虜に近かった。だが炉の調子を戻したことで、妙な客人扱いになった。侍たちは彼を「学問やんきぃ」と呼んだ。意味は誰も理解していなかったが、鉄平の金髪気味の髪と口の悪さが、だいたい説明していた。

    やがて、仙台藩の役人が来た。

    奥羽の諸藩が新政府軍に抗しているという話を、鉄平はそこで聞いた。 いや、知っていた。 知っていたが、聞きたくなかった。

    会津。仙台。米沢。庄内。盛岡。

    教科書の中の名前が、生身の焦りを帯びて押し寄せてきた。

    役人は言った。

    「そなた、砲を作れるか」

    鉄平は即答しなかった。

    作れるわけがない。 いや、もしかしたら、試作くらいならできるかもしれない。 だが量産は無理だ。材料が足りない。工作機械が足りない。測定器が足りない。規格がない。教育がない。輸送がない。会計がない。命令系統がない。

    近代兵器とは、兵器そのものではない。 その背後にある社会のことだ。

    鉄平は言った。

    「一門だけ立派な砲を作っても、戦は変わりません」

    役人の顔が険しくなった。

    「では何ならできる」

    「修繕です」

    「修繕?」

    「銃を直す。弾のばらつきを減らす。車輪の軸を折れにくくする。荷車の金具を揃える。鍋を増やす。釘を揃える。工具を揃える。図面を残す。誰がやっても同じ形になるようにする」

    役人は失望を隠さなかった。

    「それで官軍に勝てるのか」

    鉄平の中で、何かが切れた。

    「戦ってのは、気合で勝つんじゃないんですよ」

    場が凍った。

    志乃が、少し離れたところで目を丸くしていた。

    鉄平は止まらなかった。

    「刀振り回してるだけなら、そりゃ勇ましいでしょうよ。でも戦を続けるのは、飯で、道で、荷車で、釘で、弾で、寸法です。ネジ一本を同じ太さで千本作れるやつが勝つんです。精神論で炉は燃えねえ。体面で鉄は出ねえ。偉い人の号令で規格は揃わねえんだよ」

    侍の一人が刀に手をかけた。

    志乃が水桶を蹴った。 派手な音がして、全員の視線が逸れた。

    「炉の前で斬るな。血が入る」

    その理屈はおかしかったが、誰も反論しなかった。

    鉄平は、ようやく自分が震えていることに気づいた。

    怒りではない。 恐怖でもない。

    自分自身への苛立ちだった。

    彼は知っていた。 奥羽は負ける。 この人々は、たぶん敗れる。 会津は燃える。 東北は、賊軍の名を着せられる。

    だが同時に、彼は知っていた。

    自分が生きる未来は、その勝者の作った国の上にある。 大学も、研究所も、製鉄の体系も、論文も、規格も、自らが使う言葉すら、明治以降の近代国家が整えたものだった。

    自分は東北の人間の顔をしている。 だが、頭の中の知識は、勝った側の文法でできている。

    鉄平は吐き捨てるように言った。

    「俺は、どっち側なんだよ」

    誰も答えなかった。


    その夜、志乃が炉のそばに来た。

    「あなたは、いつも怒ってる」

    「生まれつきだよ」

    「何に?」

    鉄平は考えた。

    「たぶん、歴史に」

    志乃は笑わなかった。

    「歴史は斬れるの?」

    「無理だね」

    「じゃあ、叩いて伸ばすしかない」

    鉄平は彼女を見た。

    志乃は火を見ていた。 炉の光が頬を照らしていた。

    「鉄みたいに?」

    「鉄みたいに」

    鉄平は、その夜から書き始めた。

    紙は粗末だった。墨も慣れない。言葉も難しい。 現代の専門用語は使えない。状態図も、そのままでは意味をなさない。

    だから、彼は書き換えた。

    炭は乾かせ。 鉱石は粒を揃えよ。 炉の色を見よ。 音を聞け。 同じ形を作るには、同じ長さを測れ。 勘を責めるな。勘を次の者に渡せ。

    図を描いた。 羽口の角度。荷車の軸受け。銃の簡単な修繕。弾丸鋳型のばらつき。釘の寸法。鍋の厚み。工具の保管。

    大砲の作り方ではない。 勝利の秘伝でもない。

    ただの、修繕心得だった。

    志乃が横から覗いた。

    「これで戦に勝てる?」

    「勝てない」

    「じゃあ何のため?」

    鉄平は筆を止めた。

    「負けたあとにも、火が残るように」

    志乃はしばらく黙っていた。

    「負けるの?」

    鉄平は答えなかった。

    答えないことが答えだった。

    志乃は静かに言った。

    「なら、なおさら書かないとね」


    数日後、山が騒がしくなった。

    同盟は揺らいでいた。どの藩がどちらにつくのか、誰が官軍で誰が賊軍なのか、噂は毎日変わった。正義は旗の色で変わり、忠義は伝令の到着順で変わった。

    炉にも兵が来た。

    鉄を寄越せ。 武器を作れ。 人を出せ。

    鉄平は、自分の無力さを思い知った。

    技術者は政治を超えられない。 炉は戦場から逃げられない。 鉄は、必ず誰かの命令で形を変えられる。

    その夜、火事が起きた。

    事故か、放火か、戦の余波か、わからなかった。 炭小屋に火が回り、紙束に火の粉が飛んだ。

    鉄平は反射で走った。

    「志乃! 心得!」

    志乃はすでに紙束を抱えていた。 煙の中で咳き込みながら、彼女は叫んだ。

    「こっち!」

    梁が落ちた。

    鉄平は志乃を突き飛ばした。 背中に熱が走った。目の前が橙に染まった。

    あの実験室の炉と同じ色だった。

    炎の向こうで、志乃が叫んでいた。

    「鉄平!」

    鉄平は笑った。

    おかしな話だと思った。

    釜石を出た男が、釜石になる前の釜石で、炉の前に倒れている。 奥羽に肩入れした男の知識は、新政府の近代から来ている。 敗者の土地の火は、やがて勝者の国家に吸い上げられ、官営の炉になり、製鉄所になり、大学になり、研究所になり、また自分の手元に戻ってくる。

    なんだこれは。

    歴史は円環ではない。 もっと雑で、残酷で、都合が悪い。

    だが、火だけは違う。

    火は土地を覚えている。

    鉄平は最後に、志乃へ叫んだ。

    「名前を書け!」

    「何の!」

    「火を起こしたやつらの名前だ! 勝ったやつらだけに歴史を持っていかせるな!」

    志乃の顔が、炎で揺れた。

    「あなたの名前も?」

    鉄平は少し迷い、笑った。

    「俺はいい。査読通ってねえから」

    志乃は、泣いているのか笑っているのかわからない顔をした。

    「変な人」

    「ああ」

    「変な釜石の人」

    「ああ」

    光が爆ぜた。

    気づくと、鉄平は研究室の床に倒れていた。

    警報が鳴っていた。 後輩が泣きそうな顔で覗き込んでいる。 教授が白衣のまま立っていた。

    「及川くん」

    「はい」

    「論文は?」

    鉄平は天井を見た。

    白い蛍光灯。 空調の音。 安全基準。 消火器。 ステンレスの作業台。 全部、近代の匂いがした。

    「……歴史を変えてました」

    教授は眉一つ動かさなかった。

    「査読を通してから言いなさい」


    数週間後、鉄平は釜石にいた。

    帰省ではない。調査ということにした。 本当は、確かめたかっただけだった。

    資料館の片隅に、粗末な冊子の複製があった。

    題は、かすれていた。

    製鉄修繕心得

    著者名はない。 ただし末尾に、小さく書かれていた。

    勘ヲ責ムルナ 勘ヲ次ノ者ニ渡セ火ハ土地ヲ覚ユ

    鉄平はしばらく動けなかった。

    横に説明書きがあった。

    幕末から明治初期にかけて、釜石周辺の工人たちの間で写されたとされる無名の技術覚書。後年の官営製鉄所関係者が参照した可能性もあるが、詳細は不明。

    詳細は不明。

    なんて便利な言葉だろう。

    人の名前を消す。 失敗を消す。 怒鳴り声を消す。 火傷を消す。 煤だらけの手を消す。 そして、きれいな歴史だけを残す。

    鉄平は展示ケースに額を近づけた。

    そこに志乃の名はなかった。 炉前の男たちの名もなかった。 水を差し出した手も、炭を運んだ背中も、火の中で紙束を抱えた女も、どこにもいなかった。

    けれど、言葉は残っていた。

    勘を次の者に渡せ。

    鉄平は笑った。

    「残したんだな」

    声が震えた。

    外に出ると、釜石の海が光っていた。

    昔より静かで、昔より複雑で、昔より傷だらけの町。 製鉄の町。魚の町。ラグビーの町。霧の町。 何度も焼かれ、流され、それでも火を持ち直した町。

    鉄平は防波堤の方へ歩いた。

    彼はもう、歴史を変えたいとは思わなかった。

    そんな大それたことは、たぶんできない。 歴史は個人の知識で曲がるほど、柔らかくない。 炉は一人では動かない。 社会がなければ、技術は火花で終わる。

    だが、火花もまた、火である。

    鉄平はスマホを取り出し、研究ノートのアプリを開いた。 新しいメモを作る。

    タイトルは、こうした。

    敗者の技術は、勝者の歴史になる。

    少し考えて、本文を書いた。

    鉄は勝者に従う。 だが、火は土地を覚えている。

    それから彼は、教授にメールを送った。

    件名:論文テーマ変更の相談 本文:釜石製鉄史における経験知の形式化と近代材料工学の接続について

    送信。

    数秒後、返信が来た。

    技術史ですか。面白い。
    ただし、まず前の論文を出しなさい。

    鉄平は声を出して笑った。

    釜石の海風が、少しだけ鉄の匂いを運んできた。 それは遠い炉の匂いだった。

    そして、まだ消えていない火の匂いだった。

     
     
    仕事とAIと人生のバグを、エッセイと小説にしています。 旧アカ名 DP6。 Xでは時事ネタ深掘りやってます。

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