
新生児の命の重さ
お疲れ様です🍵
あおぞらです。
産まれたばかりの赤ちゃんに、蘇生を行ったことはありますか?
「1・2・3、パク。1・2・3、パク……」
あの小さな身体に人工呼吸、胸骨圧迫を行う。
私は、あのときの感覚を忘れることができません。
命の重さとは?
命に重さはあるのでしょうか。
すべての命に優劣はなく、その重さは等しい。
そう考える一方で、人が感じる実感や、絆の深さによって、その重さが違って感じられることもある。
命の重さとは、簡単には答えの出ない、深いテーマなのだと思います。
今回は、その答えを求めるための記事ではありません。
長い間、救急隊員として現場に立ってきた私が、新生児の命との出会いによって、救命士としての歩みを変えられた経験を綴ります。

初めての墜落分娩
それは、救命士を目指して、日々勉強に励んでいた頃のことです。
「30代女性、赤ちゃんが産まれそう」
そんな内容の救急要請が入りました。
自宅分娩事案。
先輩救命士にも経験がありません。
もちろん、私にもありませんでした。
頭の中に、思いつく知識を並べてみます。
・排臨
・発露
・臍帯クリップ
・カンガルーケア
・保温……
当時の私が持っていたのは、テキストから得た、まだ断片的な知識ばかりでした。
周産期のページは、ほとんど手つかず。
普段は頼りになる先輩も、冷静に振る舞いながら、どこか不安を隠しきれない様子でした。
「大丈夫だろうか……」
そんな思いを抱えたまま、現場へ向かいました。
現場に到着すると

私たちが接触する、ほんの直前に赤ちゃんは産まれていました。
お母さんは陣痛を感じ、産婦人科へ向かおうとしていたところ、玄関先で墜落分娩となったとのことでした。
臍帯が付いたままの赤ちゃん。
そして、その赤ちゃんは泣いていました。
慌ててバスタオルで身体を拭き、保温に努めます。
アプガースコア。
1分後、5分後……。
観察メモにある評価表と照らし合わせながら、初めての採点を行いました。
1分後、9点。
「たしか……臍帯クリップは、この位置だったな」
そんなふうに、覚えている知識を一つひとつ確認しながら対応していたことを覚えています。
母子ともにバイタルは安定。
かかりつけの産婦人科へ連絡し、搬送することになりました。
その場では、大きな問題なく事案を終えることができました。
ほっとしたのを覚えています。
「もし、蘇生が必要だったら……」
しかし、事案を振り返る中で、別の感情が湧いてきました。
あの小さな命が、もし泣いていなかったら。
もし、蘇生が必要な状態だったら。
私は、何ができただろうか。
自分の知識のなさ。
対応力のなさ。
それを、強く感じました。
そして、恐ろしさも感じました。
「事案がないから、経験がないから、分からない」では済まされない。
救急隊員として現場に立つ以上、経験の少ない事案であっても、対応しなければならない瞬間は訪れます。
この一度の経験が、私の救命士人生を変えることになりました。
私は、テキストの周産期の項目を、隅から隅まで読み直しました。
読み進めるほどに、あのときの経験が思い出されます。
「あのとき、もしこうだったら……」
そんな思いが、何度も頭をよぎりました。

救命士養成所での出会い
その後、救命士養成所へ入校しました。
そこで、私の運命を変える出会いがありました。
周産期の講義。
分娩介助の手技を、派遣講師の助産師さんが学生に指導する講義でした。

300人ほどの学生がいる、大勢の前で行われる講義です。
そのとき、あの墜落分娩の記憶が蘇りました。
普段、何かと控えめな私でしたが、そのときは違いました。
「こんなチャンスはない」
「今、聞いておかなければならない」
「あのときと同じ思いは、もうしたくない」
持てる限りの少ない知識と経験をもとに、先生へ指導を求めました。
あのときの私にとって、それは単なる講義ではありませんでした。
現場で感じた不安を、もう一度学び直す機会だったのです。
そして、現場へ
時は流れ、救命士国家試験に無事合格。
ライセンスを手に、再び現場へ出るようになりました。
すると、不思議なことに、自宅分娩事案を引き寄せるようになりました。
母体から新しい生命が生まれる。
その産声を待つ。
元気に泣くという保証はありません。
だからこそ、分娩事案には、独特の緊張感がありました。
そして私は、少しずつ気づき始めます。
分娩事案や新生児蘇生は、年間に何度も経験できるものではない。
待っているだけでは、深く学ぶことはできない。
そこで、養成所時代に指導していただいた、あの助産師さんの門を、再び叩くことにしました。
分娩介助。
新生児蘇生。
そこで学んだことは、私にとって大きな財産となりました。
そして、救命士として、どのように生きていくのか。
その道を決めるきっかけにもなりました。
周産期に関わるコースを受講し、やがてインストラクターとして指導する側にも携わるようになりました。
各地で、いわば「武者修行」です🧘
産婦人科のある病院で
不思議なことに、私が配属された消防分署には、産婦人科のある病院が近くにあることが多くありました。
妊婦さんの搬送。
新生児仮死などによる転院搬送。
そうした事案に接する機会がありました。
そこは、私にとって大きな学びの場でした。
テキストだけでは学びきれない、実際の所見を観察する機会がありました。
医師や助産師さんに質問し、教えていただく。
現場で何が起きているのか。
なぜ、その処置を行うのか。
その一つひとつを、自分なりに考えながら吸収していきました。
もちろん、医療機関では医師や助産師さんが診断や処置を行います。
救急隊員として、自分で答えを出す必要がない場面もあります。
しかし、答えが見えているからこそ、そこに至るまでの過程を学ぶことができる。
それは、私にとって貴重な経験でした。
ついに、その瞬間が来た
そして、ある日。
小さな産婦人科クリニックから、転院搬送の要請が入りました。
内容は、
「新生児仮死」
仮死といっても、どの程度の状態なのか。
緊張しながら現場へ向かいました。
分娩室には、生まれたばかりの新生児。
医師と助産師さんが、蘇生を試みていました。
胸骨圧迫。
そして、挿管にも苦戦されている様子でした。
その光景を見た瞬間、私は迷わず声を出していました。
「胸骨圧迫、代わります」
新生児に対する人工呼吸の経験はありました。
しかし、新生児への胸骨圧迫は初めてでした。
それでも、不思議と迷いはありませんでした。
これまで、成人に対する胸骨圧迫は、数え切れないほど経験してきました。
けれども、
新生児の胸骨圧迫。
あの小さな胸に、自分の手を添える。
そして、圧迫する。
その感覚は、衝撃的でした。
「こんなに小さい身体に……」
そんな思いが、胸の中を駆け巡りました。
その後、挿管後の人工呼吸の補助にも携わりながら、小さな命と向き合い、転院先の病院へ搬送しました。

新たな学びの場、NICU
その後も、私は新生児の命に関わる学びを続けました。
私の所属には、地域周産期母子医療センターがありました。
そこで新生児蘇生コースに参加し、地域医療に携わる方々とともに学ぶ機会を得ました。
そして、多くの新生児の命を目にすることができました。
そこは、救われた命の、その先の世界。
NICU。
新生児集中治療室です。

これまでの救急現場とは、また違う世界がありました。
小さな身体に、多くの医療者が関わり、命をつないでいく。
その姿を目にすることは、私にとって大きな学びでした。
そして、同じ想いを持つ救急隊員との出会いにもつながりました。
新生児の命の重さ
そして、時は流れました。
救命士としての現役人生が、終わりを告げるときが来ました。
そこで、改めて自分に問いかけます。
「新生児の命の重さとは、何なのだろうか」
正直に言えば、今でも答えは出せません。
ただ、あの小さな命との出会いが、私の救命士人生を変えたことは、間違いありません。
初めての墜落分娩。
「もし、蘇生が必要だったら……」
そう感じた、あの日の不安。
その不安が、学ぶきっかけになりました。
助産師さんとの出会いが、学びを深める道をつくってくれました。
そして、実際の新生児蘇生を経験し、NICUで多くの命に触れました。
それらの経験は、私の救命士としての生き甲斐となり、モチベーションとなり、長い年月を支えてくれました。
おわりに
救急の現場では、さまざまな命と出会います。
その一つひとつに、違う背景があり、違う時間があり、違う物語があります。
新生児の命に向き合ったあの日。
私は、その小さな身体から、命の重さを教えられたように思います。
それは、単に「小さいから重い」ということではありません。
これから始まる、長い人生を背負った命。
その命を前にしたとき、自分の知識や技術、そして責任の重さを、強く感じたのです。
命の重さに、明確な答えは出せません。
けれども、あの日の出会いがあったからこそ、私は学び続けることができました。
そして、救命士としての道を、歩み続けることができました。
今、現場を離れた私が、あの頃を振り返って思うこと。
それは、
「あの小さな命との出会いが、私の救命士人生を変えてくれた」
ということです。
あのとき感じた不安も、恐ろしさも、決して無駄ではありませんでした。
それらは、私を次の学びへと導いてくれました。
そして今も、あの小さな胸に触れた感覚は、私の中に残っています。
命の重さとは、何なのか。
その問いは、これからも私の中に残り続けるのだと思います。
