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失われるアドバイザー《続》

     様々な場面で通じる事象なのですが、特に《パソコン操作などで画面内への入力の仕方が分からずに困った💦》のような、仕事中に行き詰まった時に・・・をイメージしてもらうとよいかもしれません。
     そんな折に、自己解決できるに越したことはありません。『チャットげーぺーてー』のようなところに尋ねてみて的確回答が得られるのであればそれもよいでしょう🙊
     ここでは、《周囲の誰かにおしえてもらう》という目論見/スタンスについて、気になるお話を以下にて展開します。


     ここでは〔互いの人間関係〕の要素は無視します。「親切で尋ねやすい」や「仲良くないので教えたくない」のような心理ははたらかないものとして🤣

     自分自身にとって不明な点を解消する/直面している問題を乗り越える というミッションがあるわけで、それに力を貸してくれる人が身の回りに居ないか見渡して、「ちょっと教えてください🙋」と声を掛けますよね。
    ※その際の『人選』についての心掛けについて、別の記事で提起したことがあった気がしますが、今回は少し異なる着眼です。

     

     訊かれた立場として。
     自分がアドバイスできる事項であれば、懇切丁寧におしえてあげる、(あるいは、共に悩んで解決を目指す、)というのは自然なシナリオ。
     そして、”前進”した歩幅に関わらず、「そうなのですね!助かりました、ありがとうございます🙇」というリアクションを受け、やりとり(連携)が終了🏁 一定の『解決』に至ったことを確認しつつ、〔持ち場〕に戻ります💻


     しばらくして。ほんの数十分くらい後に、という感じでしょうか。
     その”質問者”がまた別の人と、先程と同じ話題でのやり取り(会話)をしている様子が窺えます。

     ”入り口”としてはエピソードの会話(経験の振り返りや事例共有)をしていただけなのかもしれません、が、結果的に、その人にもまた同一の〔相談〕~〔教示要請〕をしたかのごとく、”新たな解”を語らせ、あたかもそれが初めての問答であったかの如く「フムフム」と聞いている様子😫

    このような振る舞いに関し、違和感を持ちませんか?

     

     「望ましくない」と共感頂けるのであれば・・・
     
     仕事スキルの低さによるものなのでしょうか?
     それとも、人間性が関わっているのでしょうか?
    ~もし前者であれば、上職者による指導が必要

     手を止めて教えてあげた側にとって、心象の点を軸に不満を吐くばかりではなく複数の意味で絶望感に見舞われるのです🥴

     当初の〔問題〕の系統によりますが、もし”別解”の類があるのなら、セカンドオピニオン的に複数人に尋ね回ってもよいでしょう。しかしながらこのようなシナリオで高い頻度を占めるのが、【2人目の”類解”が適切ではなく「知ったかぶり」由来のデタラメ】であるにもかかわらず、質問者がその際にも同様に「へぇ~、そうなんですね!」と満足していることが、失望感に拍車をかけます🙈🙊🙉

     

     そのような〔質問者〕や〔回答者〕は意外と多く居るものです。
     相手の”人となり”を見極めて、【対応を区別するスキルをこちらが身に着ける】のも、自己研鑽の一要素として捉えるべきでは?と思います。

     さらに言えば、自身が完全なる傍観者(蚊帳の外)で「訊かれもしない/頼りにされない」立ち位置だったとしても、生産性を上げなければならない同一コミュニティー内に身を置いていることを思うと、このような稚拙でチリツモな廃れ話も、『他人事にしきれないストレス』となり得ます。

     貴方の身の回りの空転にも、「気づき」と本質思考を🙋

     

     上述例に類似する低質な振る舞いをしてアドバイザーを失くしてしまわぬよう、お気を付けくださいませ🙇
     少なくとも自分は、教えてくれる人への感謝・存在のありがたみを忘れることなく、大切にしたいと思っています🤗
     

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    会社員をしながら〔本質把握〕と〔合理性追求〕に日々明け暮れ、気になったことを書いています。と言っても、専門的な難解なものではなく、今よりもう少し「モノゴトを別の角度から見てみる」という心掛けが広まればいいのになぁ、との願いを抱きつつ、”気付き”の提案をしていきたいと思っています。