
整形が「努力」になった日 需給が完全に噛み合った時代
前回の記事で、ナシ婚増加の背景にある「加工された自分が本体」化現象について書いた。SNSで盛った自分が本物の私、生まれ持った顔は仮の私。この倒錯した自己観が、結婚式という編集権なきリアル儀式の忌避を生んでいる、という話だった。
しかし疑問が残る。なぜそんな倒錯が、自然に、抵抗なく成立したのか。
整形のステータスが変わった
10年前まで、整形は「隠す行為」だった。
芸能人の整形疑惑は週刊誌の餌食になり、本人は否定し続けた。一般人の整形カミングアウトは稀で、するとしても「コンプレックスを克服する勇気の物語」として語られた。整形バレは恥、整形を疑われるのも嫌、というのが世間の前提だった。
矢野経済研究所などの市場調査では、日本の美容医療市場規模は2014年に2,833億円だったものが、2024年には6,310億円まで拡大している。10年で約2.2倍。少子化で縮む分野の保険診療と対照的に、自由診療の美容医療は数少ない成長分野だ。
今、整形のステータスは反転している。
YouTubeでは整形ビフォーアフター動画が数百万再生を稼ぐ。インフルエンサーが「○○クリニックで二重整形してきました」と動画を出すと、コメント欄は「綺麗になった」「私もやりたい」で埋まる。整形カウンセラーを名乗るSNS発信者が増え、整形漫画家がベストセラーを出し、整形系YouTuberが芸能事務所と契約する。
「整形=コンプレックスの裏返し」から「整形=自己投資・向上心の証」へ。
これは自然な価値観の変化だろうか。
マスクの裏で起きていたこと
コロナ禍の3年間、整形業界はむしろ追い風だったと言われている。
マスク常用は整形にとって理想的な環境だった。腫れを隠せる。ダウンタイムを家で過ごせる。リモートワークで顔を晒す機会が減る。「マスクが外れる頃に綺麗になっている」を狙った戦略的整形が、若い女性層を中心に広がったとされる。
学校行事も会食も飲み会も激減した期間に、社会的露出を低く保ったまま顔を変えられた人々がいたと報じられている。
マスクが外れる頃には、整形は「した・しない」より「どこをいくらでやったか」を語り合う行為に近づいていた。コロナ禍は、整形のカミングアウト障壁を一段下げる装置として機能した。