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かぼちゃはヘタの横から切る|noteが書けない日の最初の一文

    丸ごとのかぼちゃは硬い。包丁を入れるなら、まずヘタの位置を確かめたい。今の厨房では、時短と安全性を考えて、あえてカット済みのかぼちゃを仕入れている。noteが書けない日も、最初の一文をどう始めるかで手が止まる。もっと負担を軽くできないだろうか。

    かぼちゃの切り方で大切なのは、力よりも段取り

    丸ごとのかぼちゃを切ったことがある人なら、あの硬さは想像できると思います。皮に包丁が入りにくい。しかも形が丸く、置き方によってはまな板の上で落ち着かない。

    とくにヘタの部分は硬い。真上から無理に刃を押し込むより、ヘタを避けて切り始める。まな板が滑らないようにするのも大切です。力だけでなんとかしようとすると、かえって危ない。

    硬くて切りにくい場合は、食材や調理器具の状態に応じて、電子レンジで軽く加熱してから切る方法もある。ただし、加熱後は熱くなるので、扱いには注意が必要です。

    そして、半分に切れたら平らな断面を下にして置く。丸いままより安定し、次の包丁を入れやすくなります。

    僕自身、これまで丸ごとのかぼちゃを扱ってきました。切り方を知らないわけではありません。でも、今の厨房ではカット済みを仕入れています。 理由は単純で、時間を短縮できることと、安全性を高められること。

    経験があるなら何でも自分でやるべき、とは思わない。切る技術を持っていることと、毎回その工程に時間をかけることは別の話です。

    料理の現場では、仕上がりまでにいくつもの作業があります。省いていい工程があるなら省く。そのぶん、必要な調理や確認に時間を使う。そんな判断も、15年間厨房に立ってきた僕にとっては大切な段取りです。

    考えてみると、包丁を入れる前にしているのは、腕力の準備というより、どこから始めるか、どこまで自分でするかを決めることなのかもしれません。

    書き始められない心理には、目標の大きさも関係する

    書きたい気持ちはあるのに、なかなか手が動かない。これは気合だけで片づけられる話でもなさそうです。

    先延ばしの研究をまとめたSteel(2007)は、取りかかる作業を不快・面倒に感じることと、先延ばしに関連があると報告しています。作業そのものを重たく感じるほど、始めるのが億劫になるという見方です。

    BanduraとSchunk(1981)の研究では、算数の学習に取り組む子どもたちに近い目標を示した場合、遠い目標を示した場合などと比べ、学習の進み方や自分にもできるという感覚に違いが見られました。

    もちろん、大人のnote執筆を調べた実験ではありません。「一文書けば必ず記事が完成する」という証明でもない。僕がここから考えたいのは、最初に置く目標の大きさです。

    仕事が終わって、ようやく自分の時間ができた夜。「今日はnoteを一本完成させよう」と決めた途端、タイトルも構成も結論も、全部まとめて考え始めてしまう。

    疲れていたり、時間が足りなかったりする日もあります。そんなときに必要なのは、気合を追加することより、最初の作業を変えることじゃないだろうか。

    noteが書けない日は、最初の一文を完成稿にしなくていい

    noteを読むと、タイトルがあって、冒頭から読みやすくて、最後にはきれいな結びがある。そんな完成した記事が目に入ります。

    自分が書くときは、まだ何も並んでいない白い画面から始める。その状態を、誰かの完成した一皿と比べるのは、少し苦しい。

    僕は、ここを二つの工程に分けて考えたい。

    「書き始めるための一文」と「読者に読んでもらうための冒頭の一文」は違う。

    前者は、自分があとで読み返すための材料。後者は、読者が先を読みたくなるように整えた文章です。公開する冒頭の作り方は、また別の日に考えればいい。

    例えば、「今日、誰かに言われた言葉が引っかかった」とメモしておく。あるいは「思っていたより、あの返事がうれしかった」と残す。立派な結論がなくても、まずはその場面だけでいい。

    カット済みのかぼちゃから調理を始めるように、noteだって、毎回ゼロから全部仕込まなくていい。昨日のメモ一つから始めてもいいし、今日の出来事を一行だけ書いて終わってもいい。

    もちろん、一文を書いたからといって二文目がすぐ出てくるとは限りません。そこは料理ほど都合よく進まないこともある。

    それでも、何も残していない画面と、昨日の自分が書いた言葉が一つある画面は違う。その一文が、次に書き始めるときの足場になると思うんです。

    「今日は忙しかった」をnoteの素材になる一文に変える

    ここで、一文の違いを見てみます。

    今日は忙しかった。

    間違いではないけれど、これだけでは翌日に読み返しても、その日の何が気になったのか思い出しにくい。

    僕なら、**「場面」と「そこで感じたこと」**を一つずつ残したい。以下は説明用に作った例です。

    仕事での一文

    変更前:今日は忙しかった。

    変更後:夕方に急な仕事が増えて、何から手をつけるか決められない自分に、少し腹が立った。

    買い物での一文

    変更前:買い物が面倒だった。

    変更後:スーパーで丸ごとのかぼちゃを手に取ったけれど、帰ってから切る手間を考え、カット済みに戻してホッとした。

    noteでの一文

    変更前:今日はnoteが書けなかった。

    変更後:夜に下書きを開いたのに、タイトルを決めようとしたところで手が止まり、何も残せなかったのが悔しかった。

    上手な文章とは言い切れません。でも、何が起きて、どう感じたのかが残っている。翌日読み返せば、話の続きが見つかる余地があります。

    「忙しかった」という事実だけでなく、迷ったこと、選んだこと、思わず引っかかったこと。そういう小さな判断が、あとから文章の材料になると僕は思っています。

    1分で試す、noteの一文メモ

    今夜、書けそうならスマホのメモにこれだけ残してみる。

    今日、【どこで・何があって】、正直【どう感じたか】。

    例えば「今日、仕事帰りに読んだ投稿で、たった一言なのに妙に気になる表現があった」。何が気になったのか、まだ説明できなくてもかまいません。

    一行書けたら、そこで閉じてもいい。タイトルも見出しも不要。疲れ切っているなら休む方を選んでもいいし、書けない日を失敗にする必要もない。

    明日またメモを開いたとき、昨日の一文が残っている。白紙に向かうのとは、少し違う始め方ができます。

    最初の一文ができたら、何を記事に残す?

    半分に切ったかぼちゃは、それだけでは料理になりません。カット済みを仕入れても、そこから何を作るか決め、手を動かす工程は残っています。

    noteも同じ。一文は完成した記事じゃない。けれど、書き始めるまでの負担を減らす手がかりにはなる。

    今日の一文に、どんな材料が隠れているのか。明日は、かぼちゃの種とワタを入口に、何を残して何を選ぶか考えてみます。



    追記|買った経験も、言葉に残してみませんか?

    今日の一文を残す。

    そんな話を書きながら、ふと気になったことがあります。

    僕がこれまで買ってきたnote。その感想を、どれだけ言葉にしてきただろう。

    購入履歴は405件。でも、数字だけでは見えてこないものもあります。

    今、そんな「買った側の声」を主役にした「逆襲」という企画が始まっています。

    僕は今回は参加を見送りましたが、応援したくなった企画です。

    有料noteを買ったことがある人も、これから買おうと思っている人も。

    ちょっと覗いてみませんか?

    ずぼらさんの企画「逆襲」


    かぼちゃ×心理学×note 7DAYS|DAY1


    参考資料

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    書いたのに、読まれない。何を直せばいいのかわからない。僕もそこから始まりました。調理師15年。noteを書き、売り、実際に購入して読んできた経験から、記事の作り方や届け方、最初の1部が売れるまでの試行錯誤を発信しています。うまくいった話だけでなく、失敗した経験も書いています。

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