
快楽主義の俺が死ぬ間際に思い出すのは、吸ったタバコの本数なのか子供なのか
俺はASDグレーです。みんなが当たり前に知っていることでも、自分で一から考えて納得しないと、その結論にたどり着けません。そんな俺が、「人は何のために生きるのか」を考えてしまいました。
俺は今まで、いかに快楽(脳汁)を増やせたかが人生の良し悪しを決めると思っていました。
でも、ふと死ぬ間際のことを想像してしまったんです。
死ぬ間際に「あ~、この人生でタバコ1万本は吸えたな」とか「スロットの上乗せの記念写真いっぱい撮ったな」とか考えますかね?
考えないよなと思ったら、俺の死生観が崩壊しました。
じゃあ何を考えるのか。
俺には3歳の子供がいます。今すぐ死ぬとしたら、たぶん子供のことを考えます。
そりゃそうだろ!と思いますよね。最初に書いた通り、自分で考えないと納得できないのが発達障害ないし俺なのです。
ただ、ここで引っかかりました。50年後に死ぬとしたら、53歳のオッサンになった息子のことを考えながら死ぬんでしょうか。正直、イメージが湧きません。
死ぬ時に何を考えるかは、その時にならないとわからない気がします。ホントは、死ぬ時に考えることこそ人生の大事なことだから、そこから逆算して生きていきたいなって思ったのですが、「死に際から逆算して生きる」なんて、完全にはできなそうです。
でも、「今すぐ死ぬなら何を考えるか」なら、今の俺にもわかります。
だったら、それを仮の答えにして生きればいいのかもしれません。年を取って答えが変わったら、その時に変えればいい。
今の俺の答えは子供です。だから、子供との思い出を増やしたいと思いました。
ただ、課題があります。3歳の子供の遊びって、正直クソつまんないんです。言うことも聞かないし、毎日イライラします。
そういう時に、タバコやギャンブルで息抜きしてたんですね。
脳汁は生きる目的じゃなくて、理想の生き方を続けるために、脳をなだめる道具だったんだなあ
みつを
※快楽主義全開の記事はこちら。良かったら覗いてみてください!