
『星空に残された人類の記憶』 第2話 七つ目の星はどこへ行ったのか
――星は消えたのか、それとも動いたのか
「気づかれずに消えた星はない」
前回、二千三百年前のアラトスの言葉を紹介した。
人々の歌では七つだが、目に見えるのは六つだけ。
けれど人の記憶が始まって以来、天から星が一つでも、人に知られず消えたことはないはずだ。
(『パイノメナ』254行以下。Mair英訳からの重訳・筆者訳)
よく読むと、アラトスは「星は一つも消えていない」と言い切ってはいない。
「人に知られず消えた星はないはずだ」と書いている。
誰かが見ている前で星がいなくなったなら、記録が残っているだろう。
だから七つ目は、本当に消えたわけではない。そういう推理だ。
人間の一生の長さで考えれば、アラトスは正しい。
でも、もし星が、誰にも気づかれないほどゆっくり動いていたとしたら。
二千年でも足りない。何万年もかけて、少しずつ。
2020年、オーストラリアの天文学者たちが、まさにそういう仮説を発表した。七人姉妹の物語は、紀元前10万年ごろ(いまから約10万2000年前)の空の記憶かもしれない、と。
今回は、この仮説を検証する。
すばるは、動いている
夜空の星は、止まって見える。
でも本当は、どの星もそれぞれの方向へ、ものすごい速さで動いている。
あまりに遠いので、人間の一生では位置の変化に気づけないだけだ。この見かけの動きを「固有運動」という。
すばるの星たちも、例外ではない。
問題の舞台は、すばるの端にある二つの星だ。
星
明るさ(等級)
特徴
アトラス
3.62
すばるの中でも明るい星。ギリシャ神話では七人姉妹の父
プレイオネ
5.05(変光する)
アトラスのすぐ隣にある暗い星。神話では七人姉妹の母
等級は数字が小さいほど明るい。
アトラスはプレイオネの約四倍明るい。
そして二つの星の間は、いま約5分角しか離れていない。
5分角と言われてもピンと来ないので、月で考えてみる。
満月の直径は約30分角。
つまり5分角は、満月の幅の六分の一ほどだ。
人間の目は、条件がよければ1分角ほど離れた二つの点を見分けられる。だから5分角なら、計算の上では分かれて見えてもいい。
ところが、そうはいかない。
明るい星のすぐそばでは、目の中で光がにじみ、暗い星がその光に埋もれてしまうのだ。
プレイオネは、父アトラスのまぶしさに隠れている。
だから多くの人には、すばるは六つに見える。七つ目が見えないのは、そこに星がないからではない。見えにくい場所にいるからだ。
紀元前10万年の空――Norrisらの仮説
ここで、天文学者のレイ・ノリスとバーナビー・ノリスが考えた。
プレイオネは、いまも少しずつ動いている。その動きを過去へ巻き戻すと、どうなるか。
彼らの計算では、紀元前10万年ごろ、プレイオネはアトラスから約8.4分角離れていた。いまの約1.7倍の距離だ。
これだけ離れていれば、アトラスの光に埋もれず、普通の目でも別の星として見えたはずだ、と彼らは推定する。この推定が正しければ、当時のすばるは七つに見えていたことになる。
そこから、彼らはこう推論する。
1. 人類がアフリカを出る前、すばるは七つ見えていた。そこで「七人の姉妹が男に追われる」物語が生まれた
2. 人類はその物語を持って世界へ散らばった。だからギリシャとオーストラリアに似た物語がある
3. その後プレイオネはアトラスに近づき、光に埋もれて、すばるは六つになった
4. そこで各地で、「一人いなくなった姉妹」の説明が付け加えられた
美しい仮説だ。「なぜ七人なのか」と「なぜ一人足りないのか」を、一度に説明できる。
ただし、論文を読むと、著者自身がいくつもの留保を付けている。
• プレイオネは明るさが変わる変光星だ。数千年単位で明るさがどう変わったかは、分からない
• 計算は、星がまっすぐ一定の速さで動くと仮定している
• 明るい星の光が目の中でどれだけにじむかは、人によって大きく違う。論文はそれを一つの値で仮定している
• 共通起源についても、証拠は「支持するように見える」という書き方にとどめている
著者たちは、断定はしていない。この点は公平に書いておきたい。
仮説の弱点
では、この仮説にはどんな反論があるのか。四つに分けて見ていく。
① 使ったデータが古いという指摘
天文学史の研究者ブラッドリー・シェーファーは、科学ニュースサイト「Live Science」の取材に対し、この仮説に否定的な見方を示した。記事によれば、彼の指摘はこうだ。Norrisらが使った星の位置データは古い。正しいデータを使えば、その時代の二つの星はもっと近く、古代の人々にとっても、すばるの見え方はたいして変わらなかっただろう。
さらに彼は、物語が似ているのは偶然でも説明できる、とも述べている。物語の数がこれだけ多ければ、似た型がたまたま生まれることはある。人間は人間だから、空に男や女を見つけるのも自然だ、と。
ただし、この反論は記者による要約でしか確認できていない。
記事の原文は「two times closer(二倍近い)」という書き方で、何と比べて二倍なのかは読み取れない。シェーファーがどのデータでどう計算したのか、それを論文の形で発表しているのかも、まだ確かめられていない。ここでは「使うデータによって結論が変わり得る」という指摘として受け取っておきたい。
② プレイオネは、明るさも変わる
プレイオネは変光星だ。変光星の総合カタログ(GCVS)は、明るさの幅を4.77等から5.50等としている。また、この星を取り巻くガスの円盤は数十年がかりで姿を変えており、2022年の研究は、その変化が約34年ごとに繰り返すというモデルを提案している。
ここから先は筆者の考えだ。位置は約10万年かけて数分角しか動かない。一方で明るさは、数十年単位で変わる。明るさの変化も、七つ目が見えるかどうかを左右する重要な要因かもしれない。ただし、位置と明るさのどちらがどれだけ効くのかは、まだ比べられていない。Norrisら自身も、明るさの長期的な変化は分からないと認めている。
③ 見える数は、そもそも人と空で変わる
第1話で書いたように、すばるの見える数は、街明かりのある空で五つ、暗い空で六つ、条件がよければ十個以上になる。
これも筆者の考えだが、「六つか七つか」の境目は、星の移動だけでなく、観測者の目や空の暗さにも大きく左右されているのかもしれない。
④ すべての文化が「七」と数えたわけではない
この連載の調査でも、「七」以外の数が見つかっている。
• インド系の『宿曜経』は六。日本の『和名類聚抄』もそれを引いて六
• ニュージーランドのマオリのマタリキは九つの星とされる
• 北米のチェロキーの伝承では、七人の少年のうち六人が星になる。姉妹でもなく、追う者もいない
Norrisらの論文は、主にギリシャとオーストラリアを比べている。その外側には、もっと多様なすばるがあるのだ。
三つの時計が、合わない
この仮説を考えるとき、三つの「時計」を並べると分かりやすい。
時計
何を測るか
この仮説での数字
天文学の時計
星の動き
紀元前10万年から現在までに、プレイオネとアトラスの間隔は約8.4分角から約5分角へ(Norrisらの計算)
人類史の時計
人類の移動
論文はアフリカを出たのを紀元前10万年ごろ、オーストラリアの大部分に到達したのを紀元前5万年ごろとする
神話の時計
物語が記録された時期
ギリシャで最も古いのは前7世紀ごろのヘシオドス。
オーストラリアの物語が文字で記録されたのは、ヨーロッパ人が来てから
天文学の時計は、計算で過去に戻せる。
でも神話の時計は、文字になったところからしか読めない。
計算してみると、こうなる。
紀元前10万年ごろから現在までは約10万2000年。
現在確認できる最古級のギリシャ文献(前7世紀ごろのヘシオドス)から数えれば、文字による確認範囲は約2700年に限られる。全体の3%にも満たない。
これは、口承が続いた期間を測った数字ではない。
文字の記録が届かない時間の長さだ。
その残りの97%について、物語がどう伝わったのかを直接示す記録はない。
だから、星が動いたことを証明できても、「物語がその時代からあった」ことは証明できない。
天文学の時計と神話の時計は、別の時計なのだ。
もう一つ、人類史の時計にも注意がいる。人類がいつアフリカを出たのかは、研究によって年代が大きく違う。
ここでは論文の値をそのまま挙げたが、この数字自体が動けば、仮説の土台も動く。
宇宙OS的に読むと
今回も、ここからは証拠ではなく比喩の話だ。
Norrisらの仮説をOSに例えると、こうなる。
[SKY_v1] 紀元前10万年ごろの実際の星の配置
[VIEW_v1] 七つ見えた(Norrisらの推定)
[APP_v1] 七人姉妹の物語 ― VIEW_v1に合わせて作られた(仮説)
[SKY_UPDATE] プレイオネがアトラスに近づく ― 数万年かけて少しずつ
[SKY_v2] 現在の実際の星の配置
[VIEW_v2] 六つ前後が目立つ場合がある(目と空で五つ〜十個以上)
[CONFLICT] アプリは「七」、見え方は「六前後」
[PATCH] 「一人いなくなった姉妹」の物語を各地で追加(仮説)
古いアプリが、更新された星空の上でも動き続けている。そして食い違いをパッチで埋めた。そういう物語だ。
でも、別の読み方もできる。
実際の星空(SKY)は、紀元前10万年ごろも今も、人の目で分かるほどには変わっていない、と見ることもできる。違うのは、文化ごとの入力デバイス(目と空)と設定、つまり見え方(VIEW)の方だ。その上で各地の人々が、それぞれに似たアプリを作った。これが、独立に生まれたという考え方だ。
どちらが正しいかを決めるには、アプリの「ソースコード」を比べるしかない。つまり、物語の中身そのものだ。
星の数が似ているだけでは足りない。
誰が追い、なぜ追い、姉妹はどうなったのか。そこまで似ていれば、偶然では説明しにくくなる。
今回分かったこと、まだ分からないこと
分かったこと
• すばるの七つ目とされるプレイオネは、明るいアトラスのすぐ隣(約5分角)にあり、その光に埋もれて見えにくい
• Norrisらは、紀元前10万年ごろは二つの星がもっと離れていて、七つ見えたと計算した
• 著者自身が、変光や目の個人差など、複数の留保を付けている
• 使ったデータに対する反論もある(記事での要約を確認した段階)
まだ分からないこと
• 最新のデータで計算し直すと、紀元前10万年ごろの二つの星の間隔はどうなるのか
• プレイオネの明るさは、長い時間でどう変わってきたのか
• 物語は、本当に紀元前10万年ごろからあったのか
今回の結論を一言で言うなら、こうなる。
星が動いたことは計算できる。でも、物語がその時代からあったことは、星だけでは証明できない。
アラトスは「人に知られず消えた星はないはずだ」と書いた。Norrisらは「人に知られないほどゆっくり、星は動いた」と考えた。二千三百年をへだてて、二つの考えは両立している。
それなら、確かめるべきは星ではなく、物語の中身だ。
ギリシャでは、プレアデスはオリオンから逃れて海へ沈む。後の時代の書物では、オリオンが姉妹の母プレイオネを七年追い続けたとも書かれる。オーストラリアの西部砂漠でも、男が姉妹を追い、その男はオリオンになったと伝えられる。
遠く離れた二つの土地で、なぜ同じように「追う者」がいるのか。それは、本当に同じ物語なのか。
次回、第3話「七人姉妹を追いかけたのは誰か」で、二つの追跡の物語を原典と伝承者自身の資料で比べる。
参考資料
• Ray P. Norris & Barnaby R. M. Norris「Why are there Seven Sisters?」(arXiv:2101.09170)
• Ray Norris「The world's oldest story? Astronomers say global myths about 'seven sisters' stars may reach back 100,000 years」(The Conversation)
• Adam Mann「100,000-year-old story could explain why the Pleiades are called 'Seven Sisters'」2021年2月2日(Live Science)
• Keegan C. Marr ほか「The Role of Disk Tearing and Precession in the Observed Variability of Pleione」2022年(arXiv:2202.05900)、変光星総合カタログGCVS(Samus ほか 2009)、「Pleione (star)」(Wikipedia英語版)
• アラトス『パイノメナ』254行以下(Mair英訳)
• Bob King「Appreciating the Pleiades」(Duluth News Tribune)
• 第1話で挙げた『宿曜経』、『和名類聚抄』、Mooney『Myths of the Cherokee』(1900)、Matamua『Matariki: The Star of the Year』(2017)
※古典資料の日本語訳は筆者によるものです。アラトス『パイノメナ』はA. W. Mair英訳を参照した重訳です。訳文は研究上の検討のために作成したもので、既刊邦訳とは表現が異なる場合があります。