
美味しい料理は、包丁を握る前から始まっている。僕が小茄子の漬物から学んだこと。│整え弁当番外編 15回目
料理の基本と聞いて、
何を思い浮かべるだろう。
包丁の使い方だろうか。
火加減だろうか。
味付けや調味料の配合だろうか。
もちろん、それらも大切だ。
でも、僕が料理を始めたころに
学んだことは、少し違っていた。
それは、
段取りの大切さであり、
素材の個性であり、
丁寧な下ごしらえの意味だった。
そして、料理は
誰かの暮らしを豊かにするものだということ。
その原点は、小茄子の漬物にある。
2011年、料理を始めた。
料理を始めたのは、2011年。
東日本大震災が起きた年だった。
きっかけは、妻である遥(はるか)の闘病だった。
何か自分にできることはないか。
そんな思いから、料理を始めたのだと思う。
最初に作ったのは、小茄子の漬物だった。
漬物の素などは使わない。
ミョウバン、砂糖、塩を使って、
自分で漬け汁を作る。
昔ながらのやり方を知りたい。
せっかく作るのだから、丁寧に作りたい。
そんな気持ちがあった。
ところが、初めてのことだから、
最初から段取りを間違えてしまった。
小茄子を買いに、車で隣町まで出かけた。
帰ってきて、気持ちよく下ごしらえを終えた。
さあ、漬けよう。
そう思ったところで、気がついた。
漬け汁を作っていない。
しかも、漬け汁は一度煮て、
冷まさなければならなかった。
つまり、漬け汁を作るのが
一番先だったのだ。
小茄子の下ごしらえは終わっている。
なのに、肝心の漬け汁がない。
料理は、思いついた順番に
作業すればいいというものではない。
それぞれの工程に必要な時間を考え、
先を見越して準備しておく。
このとき、料理は
段取りが大切なのだと、身をもって知った。
ひとつとして、同じ小茄子はない。
小茄子をひとつひとつ包丁で
扱っていると、あることに気がついた。
ひとつとして、同じものがないのだ。
大きさも違う。
形も違う。
色目も違う。
当たり前といえば、当たり前のことだ。
でも、自分の手でひとつずつ扱ってみると、
その違いが妙に心に刺さってきた。
個性って大事だよな。
そんなことを思った。
そして、作業をしているうちに、
爪の間に土が入ってきた。
ふと、子供のころに見た祖母の手を思い出した。
いつも黒かった、あの手。
ああ、こういう仕事を
していたから、手がいつも黒かったんだ。
小茄子を扱い、土に触れてみて
初めて分かったことだった。
美味しいものを食べるためには、
丁寧な下ごしらえが大事なのだ。
料理は、鍋に入れて
火を通せば完成するわけではない。
その前に、やるべきことがある。
漬物から始めてよかった。
今振り返ると、料理のスタートが漬物だったことは、
偶然か必然か、運がよかったと思っている。
なぜなら、遥(はるか)の仕事を
奪わずに済んだからだ。
もし、最初から食事のすべてを
僕が作っていたら、遥(はるか)がそれまで担っていた
仕事を取ってしまったかもしれない。
漬物は保存食だ。
一度作っておけば、
必要なときに食卓に出せる。
いつもの食事に一品増える。
それでいて、毎日の食事作りの邪魔をしない。
むしろ、食卓を潤してくれる。
僕が漬けた小茄子は、家族に大好評だった。
多少、形が美しくなくてもいい。
多少、作業の順番がスムーズでなくてもいい。
大切なのは、経験することだった。
そして、美味しくできた。
それで十分だった。
料理の基本は、経験の中にある。
最初の小茄子の漬物で、
料理の基本をすべて理解したわけではない。
段取りも、
素材の個性も、
下ごしらえの大切さも、
その後の料理経験の中で少しずつ積み重なっていった。
経験を重ね、腕が上がっていく。
そうして、ずっと後になってから、
あのときの経験が生きていたことに気づく。
そんなものなのだと思う。
料理の基本は、
知識として覚えるだけでは身につかない。
実際に手を動かし、失敗し、考え、また作る。
その繰り返しの中で、自分のものになっていく。
そして、もうひとつ。
料理は、自分の腕を披露するためにあるのではない。
食べる人がいて、その人の暮らしがあって、
その食卓に自分の作ったものが加わる。
それだけで、十分に意味がある。
小さな小茄子の漬物しかできなかった頃は
本当に目の前のレシピに必死で
いま、こんなに色々な料理が
楽しめるようになるなんて思いもしなかった。
今でも、あのときのことを思い出す。
料理の基本は、台所の中だけにあるのではない。
誰かと一緒に食べる、その食卓の中にもある。