
男が料理をすると、少し人生が変わる。―10年以上、料理をして分かった7つのこと―
先日、整え弁当に、ふたつコメントをもらった。
その言葉を読んでいて、改めて考えた。
いや、正確に言えば思い出した。
僕が料理をするようになったのは、
10数年前から。
最初から、立派な理由があったわけではない。
「やむにやまれぬ状況」が半分。
「自分を立て直したい」が半分。
妻の闘病。
お見舞いをしながら作った、
子どもと自分の弁当。
その後も、いろんな出来事があった。
別れもあった。出会いもあった。
そして今、
「なつ」と「自分」の「整え弁当」を
作っている。
でも、続けてきて分かったことがある。
料理は、単にご飯を作ることではなかった。
男が料理をすると、少し人生が変わる。
今日は、その中で見えてきた「7つのこと」を書いてみたい。
1. 女性と対等でいられる
子どもの頃、母は料理が得意だったし、
父はキッチンに立つ人ではなかった。
そんな環境もあり、僕は
長い間、料理をする必要がなかった。
大学時代、一人暮らしをして初めて困った。
買い物、炊飯、おかずづくり。
肉じゃがと焼きそばくらいは作れたけれど、
結局、コンビニや定食屋に頼ることも多かった。
家庭を持ってからは、
さらに妻に任せきりになった。
でも、年齢を重ねるほど思う。
「家事を手伝う」という言葉には、
どこか違和感がある。
本当は、“手伝う”ではなく、
一緒に“担う”なのではないか。
料理をするようになって分かった。
献立を考えること。
買い物をすること。
疲れていても作ること。
その見えにくい負荷が、分かるようになった。
男も、掃除・洗濯・料理ができて当たり前。
能力差はあっていい。得意不得意もある。
でも、同じ土俵に立って初めて、
対等に話ができる。
たとえ、妻の体調が悪いでも、
すぐにバトンタッチして
当たり前のように数品作れる。
そんな男性であればこそ、
妻と同じレベルで話ができる。
2. 自立につながる
ただ、料理をする意味は、
女性と対等でいることだけではない。
続けていくうちに、僕自身にも変化があった。
それは、
「ひとりでも生きていける」という感覚だ。
もちろん、
永遠にひとりで生きたいわけではない。
でも、
「もし何かあっても、自分で食べていける」
その感覚は、思っていた以上に
心を強くすると分かった。
料理ができるということは、
単に食事を作れることではない。
誰かに依存しすぎずに暮らせる、
ということでもある。
年齢を重ねるほど、これは大事な力だと思う。
自分を信頼できる感覚。
静かな自信。
少しだけ、自分を肯定できる気持ち。
料理は、そんな心も一緒に育ててくれる。
そして、それは孤独に生きることではない。
誰かと暮らす時に、相手に寄りかかりすぎず、
一緒に生きる力なのだと思う。
3. 仕事力とも似ている
弁当づくりをしていると、
「朝の限られた時間で、どう回すか」を考える。
これは、仕事の段取りと案外よく似ている。
段取り。
時間管理。
限られた材料で工夫すること。
同時進行。
コスト感覚。
冷蔵庫の在庫を見て、ゴールを考え、
限られた時間で仕上げる。
これ、案外、仕事そのものだ。
しかも正解はひとつではない。
同じ材料でも、人によって作り方は違う。
だから面白い。
いまは、SNSやレシピ動画を見れば、
お弁当のおかずのヒントは無限にある。
驚くようなアイデアもたくさんある。
でも、ときにはレシピから少し離れて、
自分の感覚を信じてもいい。
冷蔵庫にあるもので考える。
味付けを少し変えてみる。
失敗しながら、自分なりの形ができていく。
仕事も、少し似ている気がする。
創意工夫の余地は、いつだって残されている。
4. お金との向き合い方が変わった
仕事に似ていると思ったのは、
段取りだけではない。
料理を続けていると、
お金との向き合い方まで少し変わってきた。
以前より、食材の値段を見るようになった。
無駄を減らしたいと思うようになった。
「作る」ということは、
「暮らしを回す」ということでも
あるのだと思う。
「これ、高いな」と思ったら、
臨機応変にメニューを変える。
「この量で十分だな」と思える小パックを選ぶ。
前の日のおかずを少しアレンジして使う。
冷蔵庫の中を見て、
先に使った方がいいものから料理する。
少し余った食材も、何かに活かせないか考える。
スーパーの値引きシールを見る目も、少し変わった。
以前は「得した」で終わっていた。
でも今は、
「無駄なく暮らしを回せた」という感覚に近い。
料理をするようになってから、
お金を“使う”だけではなく、活かすという感覚が少し育った気がする。
ポイントや小さな工夫も含めた積み重ねが、
家計にも、気持ちにも、
少しゆとりを生んでくれた。
5. 小さな役立ちが、外の世界につながる
料理を続けていて思うことがある。
暮らしの中で誰かの役に立つ感覚は、
案外、家の中だけでは終わらない。
弁当を作る時も、
「食べやすいかな」
「飽きないかな」
「少しでも元気が出るかな」
そんなことを自然に考える。
料理は、小さな気配りの積み重ねだ。
そして、その感覚は、少しずつ
外にもつながっていく。
たとえば、僕の仕事でもそうだった。
食品のリサイクルを通して生まれた堆肥で
米を育て、その米から日本酒ができる。
最初は小さな取り組みだった。
でも、
「無駄にしない」
「地域で循環させる」
「誰かの役に立つ」
そんな思いは、どこか料理とも似ている。
家庭の中で誰かを支える感覚は、
案外、その先の社会とも
つながっているのかもしれない。
6. 愛される理由にもなる
ここまで書いてきて、
少し照れくさい話をすると。
料理ができることは、
結果として、人との関係にも
影響する気がしている。
もちろん、モテたいから料理を
するわけではない。
でも、一緒に暮らした時に、
「この人なら大丈夫」
と思える安心感は、案外大きい。
疲れている時に何か作れる。
相手の体調が悪い時に自然に動ける。
それは特別な優しさというより、
暮らしを一緒に背負える
ということなのかもしれない。
若い頃の魅力とは、少し違う。
年齢を重ねるほど、
安心感のある人は、静かに信頼される気がする。
7. 精神的なしなやかさにつながる
でも、料理を続けてきて、
僕自身にとって、
一番大きかった変化は別にある。
それは、少しだけしなやかになれたことだ。
料理は、思い通りにいかないこともある。
焦げることもある。
味がなかなか決まらないこともある。
予定通り進まないこともある。
冷蔵庫にあると思った材料が、ない日もある。
でも、そのたびに考える。
じゃあ、どうするか。
味を変える。
代わりの材料を使う。
別のメニューにする。
完璧じゃなくても、なんとか着地させる。
料理をしていると、
人生も少し似ているなと思う。
予定通りにいかないことの方が多い。
でも、そのたびに工夫しながら、
暮らしを回していく。
若い頃は、完璧を求めていた。
そして、強くなりたいと思っていた。
でも今は、強さだけでは足りない気がする。
少し折れても戻れること。
思い通りじゃなくても立て直せること。
そんなしなやかさの方が、
人生には大事なのかもしれない。
男が料理をする意味は、
ただ食事を作ることではない。
誰かに依存せず、
誰かを支えられる人になること。
そして、不器用でも、暮らしを整えながら、
しなやかに生きる練習なのかもしれない。