
水色の栞・続編1|水色のしをり|シロクマ文学部《待つ時間》×風まかせ文学部《焼き芋》
待つ時間も、いやじゃない。
なぜなら、その間じゅうずっとせんぱいのことを考えていられるから。
せんぱいがわたしの中でいっぱいになる。
それは図書室で過ごす時間の中でも、いちばん幸せな時間だった。
◇
僕はこれまでに待たせた時間の、途方のなさを思った。
僕が自棄になっていた頃、図書室行事のチラシをさり気なく渡してくれたっけ。
ひとつ歳下のマネージャーだったのに、名前すら覚えていなかった。
なのに、いまは水色の栞の彼女の名前が知りたい。
「ありとは聞けど見に行かむ よしのなければ」
あの万葉の「まつほの浦」の結末は何だったか。
◇
せんぱいが「万葉集」を手に取った。わたしは貸し出しの隙間に水色の栞を挟む。
「来ぬ人をまつほの浦の夕凪に」
そのとき、はじめてせんぱいの頬にぱあっと生気が差した。
グラウンドを走っていた頃の、あのかっこいいせんぱいみたいだった。
訪はれる。「──君は?」
応える。「水渕、詩織といいます」
◇
あれからしばらく経った。
わたしたちは、もう栞を挟まないで言葉を直接交わしている。
わたしは幼いリボンを揺らしながら、公園でせんぱいを待っていた。
その公園にも、石焼き芋の幟が立つ季節になった。
甘くて、ほくほくでとてもお腹が空く匂い。
わたしのお腹が、焼き芋でいっぱいになりたがっている。
くぅう。
「待った?」
わたしにとってあまりにも好ましくないタイミングで、君が来る。
「来し君をまつばの末の夕暮れに──」
だから、ちょっとロマンチックに誤魔化してみる。
甘い匂いと、せんぱいのにやり。二の句が返ってくる。
「──焼くやお『いも』の身もこがれつつ」
もう。せんぱいのせいで、恋の歌が食欲の秋になっちゃったじゃない。
ちょっとだけ意識して、ジャンガリアンみたいに頬を膨らませてみる。
いや、これでも恋の歌なの?──でも、せんぱいはただ微笑むだけ。
だからもう、しおりはいらない。
◇
公園には、ケサランパサランのような定家葛がふわりと舞っている。
僕の中をしをりが満たす。もう、しをりなしではいられない。
ふわりとは対照的な感情の萌芽に、僕は少し苦笑いをした。
詩織が「せんぱい」でいっぱいになる話。せんぱいの中も「しをり」で満たされる話。ただ、それだけ。
#水色の栞シリーズ #待つ時間 #焼き芋 #栞 #道標 #和歌 #高校生の恋 #相思相愛 #藤原定家 #情念 #式子内親王なしではいられない #こんな設定に誰がした #文学的実験 #シロクマ文芸部 #風まかせ文芸部 #わたくさす節 #恋愛小説が好き #古典がすき
▼ここからはネタバレが書かれています。
この掌編は、最奥層の文化的背景の構造が複雑です。
それを語ってしまっては「世の中に絶えてネタバレのなかりせば」という心境になりかねませんが、それこそ、平らな原にもともと存在する作者の業というものです。
それでもなお解説が必要だという奇特な方がいらっしゃれば、“何とも恥ずかしい自作解説”を、どうぞご覧ください。
ーーー
ほんとうに無粋なので、帰った方がいいですよ。
やっぱり戻る▲
それでも進む▼
ーーー(警告・ネタバレ)ーーー
平らな原にもともと存在する作者の業:在原業平のアナグラムにして、「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」の本歌取り。この歌は『伊勢物語』82段なので、小説は円環構造になる。
来ぬ人をまつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ:藤原定家・百人一首97番。いつまでたっても海を越えて来てはくれない、つれない恋人を待って身を焦がす少女の歌。次の万葉集の一首を元歌として作られた。
ありとは聞けど見に行かむ よしのなければ:作者不詳・万葉集935番。海を隔てたところの娘を見に行ってみたいが、男らしい心もなく、船も舵もない。ただ想像して逡巡するばかり、という煮え切らない歌。
この箇所のポイントは、むしろ後輩ちゃんが、せんぱいが万葉集を手に取ったという情報だけから元歌をピンポイントで特定し、瞬時にその文化的連鎖で返歌をしているという事実。
水渕詩織:後輩ちゃんの本名。みなふちしをり。ただ名乗ったんじゃないぞ、「名にし負った」んだぞ。「栞」の語源は、「枝折」。道の途中で枝を折り、迷い人のために残す目印でもある。
来し君をまつばの末の夕暮れに 焼くやおいもの身もこがれつつ:定家の「来ぬ人を」の本歌取り。いやパロディ。未然形だった「来ぬ」が完了の「来し」になっている。「まつば」は「待つ場」と「松葉」、「いも」は「芋」と「愛しい人」の掛詞。表層は腹ペコ女子高生への愛ある茶化し、最奥は王朝文化を踏まえた告白。したがって、食欲の歌であり、恋の歌でもある。できれば深層まで掘ってほしい。おいもだけに。
定家葛:テイカカズラ。綿毛の実を付ける。有毒。実際の定家は、「来ぬ人を」の作者にして百人一首の撰者。しかし、式子内親王を愛した藤原定家が、「いも」が忘れられず、葛に身をやつして「いも」の墓に絡みついたという能の演目「定家」を、名に負っている。
この先、ほんとうに沼の底なんですが、後輩ちゃんの返歌は「さねかづら」、せんぱいの認識が「テイカカズラ」、ふたりをつなぐ植物が「サツマイモ」。みんな葛じゃねーか!爽やかなアオハルの振りして、あんたらどんだけ絡みついているんだ。
まあそれで両名が幸せなら何も言うまいて。