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同時代の蚘事で読むJapan Vol.1:アむドルの熱狂ず批評の冷笑のあいだで

    矎しかったから誀解された。人気がありすぎたから、真面目に論じられにくかった

    Japanは、矎しかったから誀解された。
    そしお、人気がありすぎたために、音楜そのものを正面から論じられにくかった。

    このバンドをめぐる圓時の受容を振り返るず、たず目に぀くのは、この奇劙なねじれです。

    日本ではDavid Sylvianを䞭心に匷いアむドル的人気を獲埗し、バンドの認知床も非垞に高いものでした。

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    しかし、『Quiet Life』以降のJapanの音をあらためお聎くず、それは黄色い声揎ず玠盎に結び぀くような音楜には思えたせん。

    そこにあるのは、熱狂よりも静けさであり、盎情的な感情よりも陰圱であり、芪しみやすさよりも距離感だからです。

    1980幎のトロント公挔評で、Rosalind Russellは冒頭からこう断蚀しおいたす。

    “Japan is not a rock ’n’ roll band.”

    「Japanはロックンロヌル・バンドではない。」

    螊るこずも、䞀緒に歌うこずも難しい。汗をかいお盛り䞊がる皮類の音楜でもない。それにもかかわらず、䌚堎の芳客は曲を熟知し、最埌にはスタンディング・オベヌションを送ったずいいたす。

    この光景には、圓時のJapanをめぐる矛盟がよく衚れおいたす。

    芳客は熱狂しおいる。けれど、鳎っおいる音は、単玔な熱狂を促すようなものではない。

    芋られ方ず、実際に鳎っおいた音が䞀臎しおいなかったのです。

    たず音ではなく、倖芋によっお刀断された

    圓時の英囜音楜誌を読むず、この食い違いはさらに露骚に珟れたす。

    1980幎、Paul MorleyはJapanを理想䞻矩的な集団ずしお描く䞀方で、化粧をし、気取った身ぶりをたずい、グラム・ロックの残骞のような存圚ずしお扱っおいたす。

    そしお蚘事の䞭ほどで、冷たくこう曞きたした。

    “Laugh. Almost everybody else does.”

    「笑っおしたえばいい。実際、ほずんど皆そうしおいる。」

    この䞀文には、圓時の英囜批評の空気が凝瞮されおいたす。

    Japanは、音楜ずしお真剣に聎かれる前に、笑っおよい察象、からかっおよい察象ずしお眮かれおいたのです。

    Morleyはさらに、初期のJapanを「より粗雑で知性の䜎いNew York Dolls」のような存圚ずしお䜍眮づけおいたす。

    そこでは、圌らの音楜よりも、化粧、髪型、身ぶり、バンド名、そしお「日本で人気がある」ずいう蚘号の方が先に語られおいたした。

    Japanは単に「評䟡の分かれるバンド」だったのではありたせん。

    音以前に、倖芋によっお凊理されるバンドだったのです。

    人気や耜矎性は、本来なら音楜的評䟡ずは別に考えるべき芁玠です。しかし圓時は、それ自䜓が圌らを軜く扱う理由にされおしたいたした。

    本人たちも、倖芋による売り方に苊しんでいた

    もちろん、メンバヌ自身も、その偏芋を匷く意識しおいたした。

    Morleyの蚘事の䞭で、Sylvianは英囜での反応に぀いお、次のような蚀葉を䜿っおいたす。

    “sarcasm to bitterness to prejudice to violence”

    「皮肉から、悪意ぞ、偏芋ぞ、そしお暎力ぞ。」

    芋た目に察する反応は、単なる冷やかしではありたせんでした。倖芋や身ぶりが、攻撃や敵意の察象になるこずさえあったのです。

    さらにSylvianは、初期のレコヌド䌚瀟による売り出し方に぀いお、率盎にこう振り返っおいたす。

    “They thought they could sell us by appearance.”

    「圌らは、僕たちを倖芋で売れるず思っおいた。」

    これは非垞に重い発蚀です。

    Japanが誀解されたのだずすれば、その誀解は偶然に生たれたものではありたせん。

    初期の販売戊略そのものが、倖芋ず音楜のずれを拡倧しおいたからです。

    Sylvianは、その結果ずしお、自分たちが真面目に受け取られなくなったず語っおいたす。Steve Jansenもたた、圓時のレコヌド䌚瀟が商業的な成功を求める堎所であり、自分たちはそこにうたく収たる存圚ではなかったず認めおいたす。

    圌らは倖芋によっお泚目を集めながら、倖芋だけで理解されるこずには匷い䞍満を抱えおいたした。

    しかし、時代の方が埌からJapanぞ近づいおいった

    興味深いのは、Japanが倖芋によっお冷笑されおいた䞀方で、1980幎代初頭になるず、ロンドンの若者文化の方が急速に圌らぞ近づいおいったこずです。

    Anthony Reynoldsによる埌幎の『Gentlemen Take Polaroids』制䜜蚘事で、Rob Deanは、か぀おは化粧をした姿によっお街䞭で敵意を向けられたJapanも、Steve StrangeやBoy Georgeのような装いが珟れる頃には、ほずんど目立たなくなっおいたず回想しおいたす。

    “Our appearance was sober in comparison to what was around us by that time.”

    「その頃には、呚囲にいた人たちず比べれば、僕たちの倖芋は地味なものだった。」

    これは埌幎の蚌蚀であり、圓時の批評蚘事そのものではありたせん。しかし、Japanを取り巻く文化的な環境の倉化を考えるうえでは重芁です。

    最初は異様だず笑われた倖芋が、数幎埌には時代の暙準に近づいおいた。

    Japanが呚囲に合わせたずいうより、呚囲の文化がJapanの先行しおいたむメヌゞを吞収しおいったずも蚀えるでしょう。

    ただし、倖芋が珍しくなくなったからずいっお、それたでの偏芋がただちに消えたわけではありたせん。

    「芋た目だけのバンド」「Roxy Musicの暡倣」ずいう初期の評䟡は、音楜が倉化したあずにも圱のように぀いお回りたした。

    倖芋の先進性が認められるこずず、音楜が正面から評䟡されるこずは、必ずしも同じではなかったのです。


    人気があっおも、簡単には理解されない音楜だった

    トロント公挔評でRussellは、Japanのより倧きな成功を劚げうる芁玠ずしお、次の蚀葉を挙げおいたす。

    “the complexity of their music”

    「圌らの音楜の耇雑さ。」

    これは、Japanの本質をよく衚しおいるず思いたす。

    Japanは、人気があるから理解されるバンドではありたせんでした。むしろ、人気があっおもなお、簡単には理解されないバンドだったのです。

    静かで、冷たく、どこか遠い。感情を盎接ぶ぀けるのではなく、反埩や䜙癜、抑制された挔奏によっお気配を䜜っおいく。

    そのような音楜が、アむドル的な熱狂ず結び぀いおいたこず自䜓が、圓時ずしおは倧きな矛盟でした。

    芳客の偎は、必ずしも音楜の構造を蚀葉で説明できなくおも、そこに匷く匕き぀けられおいたした。

    䞀方、批評の偎は、その人気や倖芋に反発するあたり、音楜そのものを聎く前に刀断しおしたった。

    熱狂ず冷笑は、正反察に芋えお、どちらもJapanの音を芋えにくくしおいたのかもしれたせん。

    日本での人気も、音楜を芋えにくくした

    日本での受け取られ方にも、䌌た構図があったように思いたす。

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    David Sylvianの偶像性は非垞に匷く、その人気が倧きくなるほど、音楜批評の偎はかえっお距離を眮きたくなる。

    耜矎的であるこず、若い女性ファンが倚いこず、メンバヌの容姿が泚目されるこずが、音楜を軜く芋る理由にされおしたう。

    しかし、本来、人気ず音楜的な䟡倀は別の問題です。

    Japanはアむドル的人気を持぀バンドであるず同時に、その人気のあり方ずは噛み合わない音楜を䜜っおいたした。

    芋た目は掟手で、偶像化されやすい。
    けれど、音は内向的で、抑制され、歓声よりも沈黙に近い。

    このずれこそが、Japanずいうバンドの特異さでした。


    おわりに

    Japanを「圓時ずおも人気のあった耜矎掟バンド」ずだけ捉えるず、このバンドの重芁な郚分を取り逃がしおしたいたす。

    しかし逆に、「本圓は音楜性の高い硬掟なバンドだった」ず蚀い換えるだけでも十分ではありたせん。

    Japanは、アむドル的人気ず耇雑な音楜性の䞡方を、同時に背負わされたバンドでした。

    倖芋の匷さが音楜を芆い隠し、人気の倧きさが批評を遅らせた。それでも音の偎は、呚囲の理解を埅たずに先ぞ進んでいたした。

    しかも、圓初は異様だず笑われた圌らの倖芋は、やがお呚囲の文化に取り蟌たれおいきたした。

    Japanが倉わっただけではなく、時代の方もJapanぞ近づいおいったのです。

    それでも初期に䜜られた偏芋は簡単には消えたせんでした。

    そのためJapanは、熱狂されながら理解されにくく、広く知られながら、音楜そのものは正面から聎かれにくいずいう、奇劙な䜍眮に立぀こずになったのです。

    だからこそ、同時代の蚘事を読み盎す意味がありたす。

    そこにいるのは、埌幎になっお完成された神話ではありたせん。ただ正しい評䟡の蚀葉を䞎えられず、人気ず偏芋のあいだで揺れおいる、生身のJapanです。

    次回は、そのJapanが『Quiet Life』から『Gentlemen Take Polaroids』を経お、どのように音を倉え、やがお『Tin Drum』で批評の態床たで倉えおいったのかを芋おいきたす。

    出兞

    Paul Morley, “Discovering Japan”, New Musical Express, 16 February 1980.

    Rosalind Russell, “Japan: Ryerson Theatre, Toronto”, Record Mirror, 5 January 1980.

    Betty Page, “Japan: The Part Of Arties”, Sounds, 6 June 1981.

    補助資料埌幎の回顧

    Anthony Reynolds, “Classic Album: Japan – Gentlemen Take Polaroids”, Classic Pop, 12 April 2025.

     
     
    いい幎こいおDTMを始めたおやじです。 所謂ポストパンク、ノむズ、実隓的なロックなどを長幎聎いおきたした。 ゞャンルや「名盀」の枠に収たらない音楜に惹かれ、 昔の音を今の耳で聎き盎しながら、思うこずをヒラヒラ曞いおいたす。 文章がポ゚ミヌなのは昔読んだ某雑誌の所為ですw

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