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同時代の記事で読むJapan Vol.2:『Quiet Life』から『Tin Drum』へ――Japanが批評を書き換えた時

    Japanはここで、「空気を作るバンド」になった

    Japanをめぐる評価の変化を考えるうえで、『Quiet Life』は特別な位置にあります。

    このアルバム以前にも、彼らは何度も作風を変えていました。しかし、『Quiet Life』で起きたことは、単なる音楽性の更新ではありませんでした。

    ここでJapanは、派手な装飾や引用の目立つバンドから、音と音のあいだに生まれる空気そのものを組み立てるバンドへ変わり始めたのです。

    1980年、Geoff Bartonは『Quiet Life』をこう評しました。

    “a sophisticated form of torture”

    「洗練された拷問のようなもの。」

    表面は静かで、演奏も抑制されている。ところが、聴き終えたあとには、神経だけが妙にざわついている。

    この短い表現は、『Quiet Life』の性質をよく言い当てています。

    それは安らぎを与える静けさではありません。むしろ、静かであることによって不安を残す音楽でした。


    冷たいのに、奇妙に引きつけられる

    Bartonはさらに、この作品を次のようにも書いています。

    “strangely compelling”

    「奇妙に強く引きつける。」

    Japanは『Quiet Life』で、単に暗くなったのではありません。

    音数を整理し、反復を増やし、輪郭を少し曖昧にしながら、楽曲の内部に漂う気配を濃くしていきました。

    派手な展開によって聴き手を興奮させるのではなく、同じ音型やリズムを繰り返しながら、少しずつ意識を引き込んでいく。

    冷たいのに、離れがたい。
    穏やかなのに、落ち着かない。
    静かなのに、神経へ残る。

    『Quiet Life』の強さは、この矛盾の中にありました。


    ライヴでは、その静けさが重さにもなった

    ただし、新しく獲得した静けさは、そのままライヴの強さには結びつきませんでした。

    ロンドンのVenue公演評でBartonは、Japanのアルバムを高く評価し、とりわけ『Quiet Life』を優れた作品と見ながらも、ライヴについては物足りなさを指摘しています。

    記事の見出しは、

    “Plenty good posin’”

    「ポーズはたっぷり決まっていた。」

    という、かなり皮肉なものでした。

    Bartonによれば、『Quiet Life』の楽曲は会場に濃い陰りを持ち込み、その閉じた空気は、“Life in Tokyo”が演奏されることでようやく少しほどけていきます。

    つまり『Quiet Life』の世界は、レコードでは深い吸引力を持つ一方で、ステージの上では重く、静止したものにも聞こえたのです。

    Japanはまだ、スタジオで獲得した空気を、ライヴ空間の動きへ変換しきれていなかったのでしょう。


    『Quiet Life』は完成形ではなく、通過点だった

    David Sylvian自身も、この時期の音を完成形とは考えていませんでした。

    1981年のインタビューで、彼は直前までの二作を、

    “background music”

    「背景音楽。」

    と呼んでいます。

    これは作品を単純に否定した言葉ではないでしょう。

    むしろ、抑制と中立性を重視してきた自分たちの音が、ひとつの限界へ近づいていたという認識だったのだと思います。

    Sylvianは、もっと攻撃的で、よりリズムの強い方向へ進みたいと語っていました。

    また、『Gentlemen Take Polaroids』の制作中には、すでにそれまでの美学から離れつつあったとも振り返っています。

    “I was growing out of it.”

    「自分はもう、そこから抜け出しかけていた。」

    静けさ、余白、反復、陰影。
    それらはすでに揃っていました。

    しかし次に必要だったのは、その静かな構造へ、さらに強いリズムと緊張を与えることでした。


    『Gentlemen Take Polaroids』で、評価は動き始めていた

    『Quiet Life』から『Tin Drum』への流れを考えるとき、『Gentlemen Take Polaroids』を単なる中間作として通り過ぎることはできません。

    この作品は、『Quiet Life』で獲得した静けさと洗練をさらに押し進めながら、後の『Tin Drum』へ向かう変化を準備したアルバムでした。

    1980年11月、『Smash Hits』でSteve Taylorは『Gentlemen Take Polaroids』に10点中8点を与えています。

    Taylorは、もしBryan FerryではなくBrian Enoが初期Roxy Musicの方向を変えていたなら、このような作品になったかもしれない、という趣旨の評価をしています。

    この比較は、Japanを依然としてRoxy Musicとの関係で説明している点では、従来の批評から完全に自由になっていません。

    しかし、比較の対象がBryan FerryからBrian Enoへ移っていることには意味があります。

    華やかな歌と外見を中心とするグラム・ロックの系譜ではなく、音響、編集、反復、スタジオでの構築性へと、批評の関心が移り始めているからです。

    Japanに対する評価は、『Tin Drum』で突然反転したのではありません。

    『Gentlemen Take Polaroids』の段階で、すでに一部の批評家は、彼らの中に単なるRoxy Musicの模倣とは異なる可能性を聴き取っていました。

    ただし、Japan独自の音を説明する言葉は、まだ十分には育っていませんでした。

    評価は動き始めていた。けれど、批評の言葉はまだJapan自身の音へ追いついていなかった。


    Virginへの移籍と、スタジオで構築される音

    『Gentlemen Take Polaroids』は、JapanがVirginへ移籍して発表した最初のアルバムでした。

    後年の制作回顧でRob Deanは、Hansa時代のJapanが、商業性を重視するレーベル環境に置かれていたと振り返っています。

    それに対してVirginには、Magazine、XTC、Simple Mindsなどが所属していました。

    JapanにとってVirginへの移籍は、単なる契約上の変更ではありませんでした。

    外見やアイドル的人気によって売られるバンドから、音楽そのものを評価されるバンドへ移行できるかもしれないという期待があったのです。

    制作は『Quiet Life』と同じAIR Studiosで行われ、John Punterが再びプロデュースを担当しました。

    録音は、まずRichard Barbieriのシーケンサーを置き、それに合わせてドラム、ベース、サックスなどを録音する方法で進められました。

    複数のテイクから最良の部分を選び、それを編集して基本トラックを作る。その上に追加パートを重ね、ボーカルは最後に録音されたとされています。

    これは、『Gentlemen Take Polaroids』が、バンドの演奏をそのまま記録したアルバムではなかったことを示しています。

    演奏を編集し、切り分け、積み重ねながら、ひとつの人工的な空間を作る。

    『Quiet Life』で見つけた「空気」は、ここでより意識的なスタジオ技法によって構築されるようになったのです。


    音が精密になるほど、バンドの均衡は変わっていった

    後年の証言では、この時期にSylvianの完璧主義と制作上の主導権が強まったことが語られています。

    Mick Karnは、サックスの録音に何日も費やし、Sylvianだけが各テイクのわずかな問題を聞き分けていたと回想しています。

    Sylvian自身も、後年、自分の完璧主義がスタジオ内に多くの問題を引き起こしたことを認めています。

    その変化を強く受けたのが、Rob Deanでした。

    Japanが電子音楽へ進み、YMO、Brian Eno、Kraftwerkなどへの関心を強めるにつれて、歪んだエレクトリック・ギターは次第に音楽の中で居場所を失っていきました。

    求められるのは、ギターらしいリフやコードではなく、Robert Frippのような、ギターとはすぐに判別できない音でした。

    DeanはE-Bowなどを使って対応しようとしましたが、自分の演奏方法を制限されているとも感じていました。

    このことは、『Gentlemen Take Polaroids』が単にJapanの音楽的成長を示す作品ではなく、従来のロックバンドとしての編成を内部から変え始めた作品でもあったことを示しています。

    ギターが後退し、シーケンサー、キーボード、ベース、サックス、編集されたリズムが前面に出る。

    その変化はJapan独自の音を生みましたが、同時に、それまでのメンバー全員が同じ形で参加することを難しくしていったのです。


    “Art of Parties”が、静けさを動かした

    その変化をさらに明確にしたのが、“Art of Parties”です。

    この曲でJapanは、『Quiet Life』以来の抑制を捨てたわけではありません。

    むしろ、その抑制を保ったまま、音楽の内部により鋭い運動を持ち込みました。

    リズムは断片的で、展開は予測しにくく、楽器同士はひとつのまとまりとして鳴るよりも、互いにずれながら空間を作っていきます。

    Sylvianは同時期のインタビューで、次のように語っています。

    “I love repetition.”

    「私は反復が好きなんです。」

    彼らは、サビで感情を大きく解放するのではありません。同じ音型やリズムを反復し、その中に微細な変化を重ねることで、聴き手の感覚を変えていく。

    感情を説明するのではなく、反復によって感情の状態を作る。

    『Quiet Life』で静かに沈み、『Gentlemen Take Polaroids』で精密に構築された空気が、ここで複雑な運動を始めたのです。


    それでも批評は、まだDavid Sylvianを見ていた

    1981年春のハマースミス公演評で、Paul MorleyはJapanを依然として視覚的な存在として扱っています。

    記事の中で彼の関心は、音楽の具体的な構造よりも、Sylvianの容姿や身ぶり、観客の視線を集める姿に向けられていました。

    そして最後に、こう書いています。

    “Japan are easy to forget. But I like looking.”

    「Japanは忘れやすい。でも眺めるのは好きだ。」

    この一文には、Japanに対する当時の批評の限界がよく表れています。

    Morleyは彼らに惹かれていました。しかし、その魅力をまだ音楽の言葉では捉えられていなかったのです。


    『Tin Drum』で、批評の言葉がようやく追いついた

    その態度は、同じ年のうちに変わります。

    1981年11月、Morleyは『Tin Drum』評の中で、こう書きました。

    “‘Art Of Parties’ shifted some stubborn prejudices.”

    「『Art of Parties』は、根強かった偏見を少し動かした。」

    1980年、MorleyはJapanを半ば冷笑的に扱っていました。1981年春の段階でも、まだ「眺めるのは好きだ」と書いていた。

    その書き手自身が、ここでは自分の偏見が揺らいだことを認めているのです。

    『Tin Drum』評で彼が注目しているのは、メンバーの容姿でも、耽美的な雰囲気でもありません。

    反復、空間、エコー、対位法、予測不能なリズム、そして沈黙に近い余白。

    つまり『Tin Drum』は、独自の音響構造を持つ作品として語られているのです。

    Jansenのリズムは単なる伴奏ではなく、楽曲の空間を切り分けます。Mick Karnのベースは低音を支えるのではなく、旋律とリズムの境界を動き回る。Richard Barbieriのキーボードは和音を厚くするのではなく、音の奥行きと距離を作っていく。

    そしてSylvianの歌は、感情を前面に押し出すのではなく、複雑な演奏の中に静かに置かれています。

    Morleyは最後に、こう言い切っています。

    “Japan – now – have to be taken seriously.”

    「Japanは、いまや真剣に受け取られなければならない。」

    これは単なる賛辞ではありません。

    批評がJapanを評価したというより、Japanの音が批評の態度を変更させた。

    そう考える方が、この反転の意味を正確に捉えられると思います。


    おわりに

    『Quiet Life』から『Tin Drum』にかけて起きたことを、単なる洗練と呼ぶだけでは不十分です。

    『Quiet Life』は、静けさと余白を獲得した最初の転回でした。
    『Gentlemen Take Polaroids』は、その空間をスタジオの中で精密に組み立てました。
    “Art of Parties”は、その静かな空間へ運動を持ち込みました。
    そして『Tin Drum』では、その方法がひとつの完成へ達しました。

    批評は、ようやくその変化に追いつきました。

    ただし、音楽的な完成は、バンドとしての安定を意味しませんでした。

    むしろ、その完成によって、それぞれの制作方法や進みたい方向の違いが鮮明になっていきます。

    次回は、成功と評価の頂点に達したJapanが、なぜその時期に活動を止めることになったのかを見ていきます。

    出典

    Geoff Barton, “Japan: Quiet Life (Ariola AHAL 8010)”, Sounds, 12 January 1980.

    Geoff Barton, “Japan: The Venue, London”, Sounds, 9 February 1980.

    Steve Taylor, “Japan: Gentlemen Take Polaroids (Virgin)”, Smash Hits, 13–26 November 1980.

    Betty Page, “Japan: The Part Of Arties”, Sounds, 6 June 1981.

    Paul Morley, “Japan: Hammersmith Odeon, London”, New Musical Express, 30 May 1981.

    Paul Morley, “Japan: Tin Drum (Virgin)”, New Musical Express, 21 November 1981.

    補助資料(後年の回顧)

    Anthony Reynolds, “Classic Album: Japan – Gentlemen Take Polaroids”, Classic Pop, 12 April 2025.

     
     
    いい年こいてDTMを始めたおやじです。 所謂ポストパンク、ノイズ、実験的なロックなどを長年聴いてきました。 ジャンルや「名盤」の枠に収まらない音楽に惹かれ、 昔の音を今の耳で聴き直しながら、思うことをヒラヒラ書いています。 文章がポエミーなのは昔読んだ某雑誌の所為ですw

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