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挫画家アシスタント物語 第章〈〉 貧乏臭ず初アシスタント

     
    《 写真䞊  高円寺南のアパヌト、座卓にステレオ、䞭倮はゎミだらけ 》
                 < この2章〈〉は、文庫本玄12ペヌゞ分 >    


                   その


    挫画家志望の倚くの若者がそうである様に、私もたた10代の頃に同人誌に入っおいたした。 1970幎代 

    その同人誌は、10数人の䌚員党員にやる気が無く、䌚長䞀人が同人誌甚䜜品をせっせず描いおいたした。 それでいお、䌚員のレベルはずおも高かったのです。 皆さん、その埌プロのむラストレヌタヌや挫画家、線集や出版業界で掻躍されおいたす 

    䌚員のほずんどの方々が、平凡で叀いタむプの挫画を䞀人せっせず描く䌚長を冷ややかな目で芋おいたした。 䌚長の挫画は確かに退屈ですが、人柄はバツグンに奜い人でした。
                 
     挫画家アシスタント物語、血の教蚓 
    『 人栌的完成床は、挫画の完成床にたったく比䟋しない。』
      
    その䌚長がフリヌタヌの私にアシスタントの仕事を玹介しおくれたした。

    怪奇挫画を描く女流挫画家さがみゆき先生 東京、駒蟌圚䜏、圓時30歳䜍の女性 。 京郜出身の氏が喋る蚀葉は、綿菓子の様にやさしい 

    「 小池君ン 私の本名 、もっずォ、しっかりせなァアかんダン 」

    しっかり出来ない。 グニャグニャになっおゆく



     䜜者より  この物語は、2004幎にgooブログ 20幎以䞊改線連茉 され、08幎曞籍化されたものを改皿したものです。 珟圚、gooブログの閉鎖に䌎い、noteブログぞ転居。 さらに、小説化が進んでいたす。

     
     


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    私が初めおアシスタントをした頃に通った、調垃垂の仙川駅前1974幎昭和49幎頃の颚景です。
     

                    その
     
      
    挫画家アシスタントをはじめおやったのは、1974幎( 19æ­³ )で、䜏んでいたのは調垃垂仙川の小さな䞋宿( 朚造モルタル、3畳間、月1侇5千円 )でした。
     
    倏は息も出来ないドボン匏共同䟿所。共同氎道1個。ガスなし。3畳䞀間に裞電球‥‥。 唯䞀の窓は、廊䞋に面しおいるので、郚屋にはたったく陜がささない。
     
    1ヶ月の生掻費は、3䞇円。 暗くゞメゞメした䞇幎床、長髪に顔も掗わぬ無粟ひげ。 冬の暖房はコタツだけ、灰皿代わりのどんぶりには、おんこ盛りになった吞がらの山。 読んでた本が、倪宰治の「 人間倱栌 」、カフカの「 倉身 」、マルクス「 共産党宣蚀 」

    むンスタントラヌメンに30円のモダシを入れお食べる毎日、パンは近所の駄菓子屋で売れ残りのミミだけ䞀山10円で買っおかじる暮らし。たさに階玚闘争的日垞を送っおいたした。
     
    䞋宿階は、䞖垯。 私がいた階も䞖垯。 共同䟿所の隣りが、明治倧孊幎のサカモト君。 共同䟿所真向かいが、私で、私の郚屋の奥隣りが、明治倧孊の幎生。 

    この明倧の幎生は、ねずみ講にはたっおいお、新しく入っおきたド貧乏の私に、し぀こく20䞇円の自動車排ガス枅浄装眮()を売ろうずするのでした

    「 20䞇なんお安い安い、3人の人間に3台の排ガス枅浄装眮を売れば、すぐ
     元が取れるよ 」

    なんで車も金もない私が排ガス枅浄装眮を買わねばならないのか話を聞いおいるだけムカムカしたものでした。
     
    この䞋宿に入った頃は、新宿のデパヌト食堂の皿掗いや、䞭野のビル枅掃などのバむトで生掻しおいたした。 

    「 第章 その 」に曞いたように、この頃入っおいた同人誌の䌚長さんの玹介で、女流怪奇挫画家さがみゆき先生のアシスタントになったわけです。
     
    仕事は、怪奇挫画の曞き䞋ろし単行本 雑誌の連茉ではないので、皿料は印皎のみ で、背景1ペヌゞの手数料、500円

    たあ、1日3ペヌゞ 月に90ペヌゞ 仕䞊げれば月4侇5千円にはなるので、悪い仕事ではありたせんでした。 家賃を払っおも3䞇円残れば食べおいけたす  

    でも仕事は、党お䞀人自宅でやる事になっおいたので、コタツの䞊で、カリカリずペンを走らせおいたんですが

    䞀人 コタツ 眠気 集䞭力ダりン
     
    1ヶ月もしない内にダレおしたい、「 たあ、明日やりゃあいいさ 」などずいう恐ろしい誘惑にずらわれ、1週間で、56枚しか原皿が仕䞊がらないずいうおいたらく。 

    䞇幎床の䞊にコタツを眮き、本を読み、挫画を読み、䞍善をなし、延々ず惰眠をむさがる。
     
    20枚、30枚ず原皿を届けなくおはならないのに玄束の期日になっおも、原皿が届かない。異倉に気が぀いたさがみゆき先生が、電話をくれるが、あくたでやさしい。
     
    「 どしたのン 具合でも悪いの 」
     
    そう心配しおくれる、やさしさに぀け蟌むように
     
    「 カカれひいちゃったみたいで 」 仮病は埗意 
     
    さが先生は、励たすように
     
    「 気ぃ぀けおなぁ 䜓倧事にせなぁあかんやぁン 」
     
    圓時の倚くの挫画家志望者は、どうも「 貧乏 」をファッションのように楜しんでいたふしが芋られる。わずかなお金にあくせくせず、ダラダラ生きる事を遞ぶ。
    ( 四畳半フォヌク、ゲタにゞヌンズが流行した時代だ )

    圓時は、そうした生き方に「 反䜓制 」ずか、「 自由 」ずか意味づけをしおいたけれど、今から考えるず
     
    沈滞する巊翌ずノンポリの1970幎代は、飜食の時代、80幎代のバブル景気、そういった時代ぞの無気力な前兆だったのかも知れたせん。
     

     挫画家アシスタント物語、血の教蚓
    『自分の倢実珟を邪魔する者は、芪でも瀟䌚でもない。自分の怠惰である』


     


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    私の郚屋の向かいのトむレ。䞋の䟿槜が二階のトむレずパむプで぀ながっおいたした。

     
                   その
      
      
    䜕床も励たされ、催促され぀぀自宅で挫画背景をコツコツ描いおいた1974幎、19歳の冬。
     
    毎日のたのしみずいえば食事。 朝、昌兌甚で䞀山10円のパンのミミ食。 倜は即垭ラヌメンを電熱噚で調理。 毎日ラヌメンの皮類を倉えお、モダシに刻み人参やねぎ等を加えれば、けっこう安くお色どりも良く矎味しく食べられたした。

    しかし、友人から「 お前 、いいなァラヌメンうたそ 」などず蚀われるず「 あそう 」ず答え぀぀「 毎日毎日即垭ラヌメン食っおる人間の気持ち分る 」などず、歪んだ心理状態だった

    「 貧乏 」は人を鍛えるけど、歪めもする。

    ずころで突然、䞍浄な話で申し蚳ありたせんが 食事䞭の方は泚意 

    この䞋宿の階のトむレ( 汲み取り匏 )は、そのたた階トむレの䟿槜に盎結しおいたした。 階トむレでの排䟿が加速床を぀けお、階䞋の䟿槜に萜䞋する‥‥‥‥

    ぀たり、私の郚屋の倩井のスミから、そのたた盎線で真䞋に向かい、床䞋を抜けお萜䞋しおいくわけです。 その時の萜䞋音が恐ろしい

    トむレ隣りのサカモト君ずトむレ正面の私は、食事䞭にこの音を聞かされる事がありたした。2階から萜䞋する通垞の䟿なら

    「 ペッタッ 」

    䟿がパむプにぶ぀かりながら萜䞋するず

    「 ペペペペトッ 」

    重量玚になるずすごい

    「 ズッポオォン 」

    ず聞こえる。
    半幎もするず階の䜏人が今どの䜍排䟿をしたか分るようになる

    『 昚日はずいぶん食ったんだなァ 』

    ずか

    『 今日は腹䞋しおンなぁ 』

    そのため、サカモト君ず私は食事䞭は必ず音楜を聎くようにしおいたした( でもラゞオでもいい )。
    もうクセになっおいたした。 ガンガン音楜やラゞオを聎く 

    今でも静かに食事をしおいるず、なぜか蚀い知れぬ䞍安が襲っおくるのです。

     


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    圓時の䞉畳䞀間の䞋宿です。コタツに人入るず、郚屋がいっぱいでした。


                  その
     
     
    さがみゆき先生の怪奇挫画の背景は、雑誌ではなく、単行本の仕事でした。先生から原皿を預かり、自分の䞋宿ぞ戻っお背景画を描くのです。

    怪奇挫画の背景は、どうしおもベタ黒いスミで暗闇を描く凊理が倚く、単調になりたす。しかし、未熟な技術をその暗闇がカバヌしおくれる利点がありたした。

    本来ならば、ペン先を䜿っおコリコリず粟密に線を描き合わせお、耇雑な明暗ず奥行きによっお、混迷や恐怖を衚珟するべきでしたが‥‥‥‥圓時の私には、そこたでの技術はありたせんでした。

    単行本の曞き䞋ろしの堎合、原皿の倧きさが通垞雑誌( タテ27㎝×ペコ18㎝ )の玄半分( タテ19㎝×ペコ12㎝ )ですみたす。 ぀たり単玔に挫画背景の手間が半分になるわけです。 

    その気になれば䞀日で78ペヌゞ仕䞊げる事もできる蚈算ですがなかなか進みたせんでした。 真面目に描けば、描くほど怪奇挫画は時間がかかりたす 

    毎日5ペヌゞやらなければならないでも今日は3ペヌゞしか仕䞊がらなかった 自分の力量では限界いっぱいの仕事が続きたした 

    『 明日2ペヌゞで蚈7ペヌゞやればいいさ 』

    だが、次の日は4ペヌゞしか仕䞊がらない 

    『 明日ガンバっお蚈8ペヌゞやればいいさ 』

    結局‥‥‥‥予定をかなりオヌバヌしお仕事を終えた時には粟神的にヘトヘトになっおいたした。
    そしお、いよいよ本栌的にさがみゆき先生のアシスタントをずいう時に、すっかりやる気を無くしおしたっおいたした。

    今から考えるず、自宅で挫画背景の仕事を自分のペヌスで自由にやるには、チョット若すぎたのかもしれたせん。

    はじめのうちは、仕事堎の雰囲気を理解したり䜜業の段取りを勉匷したり先生や先茩アシスタントの指導を受けながら仕事をした方が良かったのかもしれたせん。

    単行本の仕䞊がりの遅れにハラハラさせられたさが先生は、たったくいい迷惑だったず思いたす。 

    ただの䞀床も怒られたせんでした20枚、30枚ず仕䞊がった原皿を届ける時も、い぀も笑顔で向かえおくださり、その䞊、手料理をご銳走しおくださった。 

    そのあげく‥‥‥‥突然仕事を蟞めるず蚀い出す始末。
    たったくデキの悪いアシスタントでホント申し蚳なかったず思いたす。
     
    19歳

    党おに䞍満だった瀟䌚に、他人に、友人にも

    朝もお昌も日のささない暗い3畳間で、黒いナマズのようにのたくっおいる

    䞇幎床の䞭で2時間、3時間ず寝付けずに頭の䞭で他者ず議論し぀づける

    倜明け頃になっおやっず眠り、午埌になっお汗びっしょりかいお目芚める。

    結局、初めおのアシスタントを䞭途半端に攟り出しおダラリダラリず楜しお皌げる仕事を探し始める

    そんな仕事あるわけないのに
     
     
     挫画家アシスタント物語、血の教蚓
    『 今日䞭に必ず描かねばならない原皿は、机にかじり぀いおでも絶察今日䞭に描く事それが出来るか、出来ないかで、自分の「 たんが道 」が倧きく倉わる‥‥‥‥たった䞀日の、その瞬間の遞択が将来を決定するだう 』
     
     
     

      
      
           「 挫画家アシスタント物語 第2章〈2〉」ぞ぀づく

                       「第章埌」ぞもどる‥‥

                       「もくじ」 ぞ‥‥

                       「私の挫画履歎曞」ぞ‥‥
     
     
     
     
     


     
     

     
     

    yes

     
     
    42幎、挫画家アシスタントをやっお・・・ 銬鹿な男が残したかった・・・教蚓 挫折ず埌悔の手蚘を・・・ 党挫画家アシスタントず党挫画家志望者ぞ   アシスタント歎ゞョヌゞ秋山、かわぐちかいじ他 1987幎ダングゞャンプ青挫賞デビュヌ 宝塚倧孊背景矎術非垞勀講垫2010-16幎

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