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だったら、人文学を専攻してみませんか? あなた。

    AIに何かを聞く。

    質問を書く。
    答えが返ってくる。

    便利だ。

    検索するより速いこともある。
    長い資料をまとめてもらうこともできる。
    文章を書いてもらうこともできる。

    それだけなら、たぶん話は簡単だった。

    でも、私はどうも違う使い方をしていたらしい。

    先日、これまでのAIとの会話ログを調べてみた。

    会話本文だけで、

    30,416,974文字。

    そのうち、私が入力したのは、

    5,454,492文字。

    500万文字以上。

    何をそんなに入力していたのだろう。

    考えてみると、私はそれほど「質問」をしていなかった。

    答えを聞きたいわけではない

    もちろん、わからないことは聞く。

    だが、それだけではない。

    むしろ、

    自分の考えをぶつけてみる。

    こちらの方が多い。

    「私はこう思う」

    と書く。

    AIが何か返してくる。

    読む。

    ん?

    違う。

    どこが違うのだろう。

    もう一度考える。

    少し言葉を変えてみる。

    すると、別の答えが返ってくる。

    今度は、

    「ああ、そこはそうかもしれない」

    と思う。

    でも、まだ何か引っかかる。

    また書く。

    考えている途中まで書いている

    たぶん、500万文字の正体はこれだ。

    完成した考えを書いているのではない。

    考えている途中を書いている。

    いや、違う。

    そうじゃない。

    だったら、これは?

    待てよ。

    逆から見たらどうなる?

    GPTはこう言った。

    ではClaudeは?

    Geminiはどう見る?

    三つの答えが割れる。

    すると、

    なぜ割れた?

    という新しい問いが出てくる。

    また考える。

    だから、

    問い → 答え

    ではない。

    むしろ、

    考える → ぶつける → 読む → 違和感を持つ → 考える → 言い換える → 比べる → また考える

    という循環になっている。

    その途中が、全部ログに残っていた。

    プロンプトだったのだろうか

    そう考えると、自分が入力した545万文字を「プロンプト」と呼ぶことにも少し違和感がある。

    もちろん、技術的にはプロンプトなのだろう。

    でも、

    「いや、それは違う」

    もプロンプトなのか。

    「面白い。でもなぜ?」

    もプロンプトなのか。

    読んでいた本の一節から思いついたことを書き、AIの解釈に違和感を持ち、その違和感についてさらに考える。

    それもプロンプトなのだろうか。

    たぶんそうなのだろう。

    でも私には、

    思考の途中を外に出している

    ように見える。

    AIを使うために必要なもの

    AIについての記事を読むと、

    プロンプトの書き方が出てくる。

    役割を与える。
    条件を明確にする。
    出力形式を指定する。

    もちろん、それは有効だ。

    仕事では私も使う。

    だが、AIと長く対話していると、別の能力の方が気になってくる。

    返ってきた文章を読む。

    意味を取る。

    違和感を見つける。

    別の解釈を考える。

    前提を疑う。

    言葉を変える。

    視点を変える。

    そして、自分の考えそのものが変わることを受け入れる。

    あれ?

    これ、どこかで見たことがある。

    人文学だった

    文学を読む。

    哲学を読む。

    歴史を読む。

    言葉を読む。

    そこには、一つの正解が用意されているとは限らない。

    読む。

    解釈する。

    疑う。

    別の読みを試す。

    もう一度読む。

    そして、自分が最初に考えていたことも疑う。

    AIとの対話を大量に繰り返した結果、私がやっていたことは、どうもこちらに近かった。

    AIについて考えていたはずなのに、

    気がつけば、

    人文学のやり方に戻っていた。

    AI時代だから人文学なのか

    ここで、

    「だからAI時代には人文学が必要だ」

    と言ってしまうと、少し違う気がする。

    人文学がAIのために存在しているわけではない。

    AI時代になったから、突然、人文学が役に立つようになったわけでもない。

    むしろ逆かもしれない。

    私たちはAIによって、

    読むこと。
    解釈すること。
    疑うこと。
    問い直すこと。

    を、妙な形でもう一度突きつけられている。

    AIは答える。

    しかも、ものすごく速く答える。

    だからこそ、

    その答えをどう読むのか

    が人間側に残る。

    そして、その読みから次の問いが生まれる。

    だったら

    AIを使えるようになりたい。

    では、プロンプトを勉強する?

    資格を取る?

    最新のAIツールを全部覚える?

    それもいい。

    でも、もう一つ選択肢があってもいい。

    文学を読む。

    哲学を読む。

    歴史を読む。

    言葉について考える。

    答えのない文章の前で、少し立ち止まってみる。

    AIが何でも答えるようになった時代だからこそ、

    答えを受け取った後に考える練習をする。

    だったら。

    人文学を専攻してみませんか?

    あなた。


     
     

    Sei

     
     
    AIと人間について書いています。 仕事、組織、文学、Virginia Woolf。 AIが答えることより、AIによって見えてくるものに興味があります。

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