
エッセイ「蕎麦は急かしちゃいけねえよ」
お蕎麦屋さんに入ってね、いきなり「もりひとつ」と注文して、出てきた蕎麦を三分で手繰ってサッと店を出る。まあ、そのような食べかたは極端だけどね、「さっと食べる蕎麦」と「急いで食べる蕎麦」というものは、まるで違う。結局は、好きなリズムで食べればいいんだけれど、風情がないでしょう、「くちゃくちゃと急いで食べる蕎麦」というやつは。
昔から、江戸の蕎麦食いというものがあってね、これは似たようなことを昔に書いた気もするから飛ばすけどね、江戸の蕎麦の食べ方は、蕎麦が運ばれてくる前、いわゆる「蕎麦前」の時間から始まるんです。
お品書きを眺めながらね、まずは酒をひと徳利頼む。そこに添えるつまみが、また実に酒のりの良いものばかりなんだ。それにね、どれも蕎麦に添えるか安い食材ばかりだから、店としてもありがたいんだよ。そうしたつまみを相手に蕎麦が「うで上がる」のを客に待ってもらえるとさ。
今でも定番なのは、ただのかまぼこに山葵を添えただけの「板わさ」。これがね、仕入れのいい店のかまぼこは小気味よい歯ごたえと魚の旨味がまるで違う。噛んだだけで練り物の香りが暴れるんだ。そこに山葵を少しだけ乗せて醤油にちょいとつければ、味のバランスが良くなってね、それだけで冷やの酒が一杯消えていくわけですよ。
あるいは「焼き味噌」もいいね。しゃもじの裏に酒やみりんで伸ばした味噌を塗り、刻みネギや柚子の皮、そして香ばしい蕎麦の実を混ぜ込んでサッと炙ったやつだ。これを爪楊枝の先でちびちびと削りながら舐め、熱燗をキュッとやる。味そのものはまさに焼いた味噌なんだけどね、そうやって小細工をしているから香りが実にいい。冷酒もいいが、味噌の香りに負けたくないなら燗もいいんだ。酒飲みにだけじゃなくて白飯にも合うし、作り方なんてあってないようなものだから、簡単にこしらえることが出来ますよ。
あとは外せないのは「抜き」だよ。「天抜き」に「鴨抜き」。天ぷら蕎麦や鴨南蛮から、あえて主役の蕎麦を抜いて出してもらう。熱々で濃い汁に海老の油や鴨の旨味がジワッと溶け出してね、お出汁は飲まずに酒の肴にする。蕎麦や汁物で胃袋をいっぱいにせず、旨味だけちょいとつまむという、実に贅沢な遊び心です。もちろん、お出汁を飲んでもいいけどね、そこで腹を膨らませるのは良くないねえ。
もっともこれは江戸ならではの食べ方のようだ。
蕎麦屋だけに許された、こんなヘンテコな「つまみ」の文化というのはね、そこには江戸の昔からの明快な理由がありまして、言うなれば暇つぶしですよ。ただの暇つぶしの楽しみかた。
当時、街道や辻の屋台で売られていた温かい「かけそば」なんてものはね、今でいうファストフードであってね、頼めばすぐに出てきて、立ち食いでササッと手繰ってそのまま立ち去る。そこにつまみなんぞ挟む余地も必要もなかったわけだ。
そんな一方で、大店や店舗を構える本格的な蕎麦屋となると話は別になる。注文が入ってから蕎麦を茹で上げるから、どうしたって出来上がりまでに時間がかかるでしょう。その手持ち無沙汰な時間をね、ただイライラ待つというのは野暮の極みだからね、そうは周りに見せまいと酒とつまみが生まれたわけです。江戸っ子にとって急くのはいいが、待たされるのは真っ平御免だったからね。
それにね、江戸の蕎麦つゆ(かえし)というものは、とにかく濃くてしょっぱかった。今みたいに全体をどっぷり浸けて食べるものじゃあないんだよ。今でも関東のおつゆは黒くて味は濃いけどね、老舗で食べるそれに比べれば薄口ですよ。蕎麦の先にちょんとおつゆをつけて、ツルツルッと一気に手繰ったら勘定を置いてサッと帰る。蕎麦だけで腹をパンパンにするような真似が粋じゃないのは変わらない。
だからこそ、じっくりと味わうための「つまみ」と、サッと手繰って締めるための「蕎麦」が、最初からセットの文化として成立したわけです。
酒とつまみでゆったりと時間を愉しみ、胃袋に少しの余裕を残したところで、最後に冷たい盛り蕎麦をすすってね、そばを冷水で締めるように、客も食事を締める。
もちろん、好きに食べてもいいけどね、「酒は一合、つまみは一品」なんて勝手に決めてね、そういう粋人を気取る。気取らなくてもそう見えるのが蕎麦食いの特権だったんだ。
満腹だけを追求しない、時間と味覚の贅沢。宵越しの金を持たない江戸っ子の楽しみ方が、こうしたところに見て取れるんです。

了