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音楽からもらった「音楽以上」のもの

    正直に言うと、私は“青春っぽいこと”が少し苦手でした。

    あの若さ特有の、ノリや勢いだけで動く空気感にどこか距離を感じていたんです。どちらかというと私は、ちゃんと準備をして、失敗しないように進みたいタイプでした。

    だから学生時代も、「とりあえずノリでやってみよう」で動ける人たちを、少し遠くから見ていた気がします。

    きっと、羨ましい気持ちもあったのだと思います。
    でも同時に、「自分はそっち側の人間ではない」と、どこかで決めつけていました。


    大人になって始めた「音楽」という世界


    そんな自分が、40歳を過ぎてからバンドを始めました。

    理由はとてもシンプルで、「前々から楽器をやってみたかった」「子育てしながらやれる趣味が欲しかった」。ただそれだけです。

    “音楽をやっている人たちの世界”を、自分の目で見てみたかったんです。

    そして気づけば、自分が演奏するだけではなく、ライブハウスに出入りし、学生ライブを手伝い、さらにフェスの設営や運営まで関わるようになっていました。

    なぜここまで音楽の現場に惹かれていったのか。

    最近になって、その理由を少しずつ言葉にできるようになってきました。


    「好き」を外に出している人たち


    最初にライブのお手伝いをしたのは、友人が主催する学生向けライブの現場でした。

    そこで私は、少し衝撃を受けました。
    上手いとか下手とか、そういう話ではありません。
    みんな、自分の「好き」をちゃんと外に出していたんです。

    不器用でも、ぎこちなくても、人前に立って、自分なりの音を鳴らしている。
    その姿が、なんだかとても眩しく見えました。

    それは、かつての私が通ってこなかった、青春の1ページのようにも感じました。


    ライブの裏側で見えたもの


    同時に、私はライブの“裏側”も見ることになりました。

    そのイベントでは、フライヤー制作や動画撮影などを手伝わせてもらっていたのですが、少し関わるだけでも運営の大変さが見えてきました。

    出演者の募集、時間管理、ライブハウスとの交渉、予算管理、機材トラブル、撤収作業などなど。

    今まで何も考えずに演奏していたライブというのは、本当にたくさんの人が動いて、ようやく成立しているんだと知ったんです。

    正直、「かなり大変そうだな」とも思いました。
    でも、だからこそ惹かれたのかもしれません。

    世の中には、「やってみたい」と思う人はたくさんいます。
    けれど、実際に動く人は意外と少ない。

    だから私は、その姿に強く惹かれたんだと思います。
    そして、「もっとこの世界を知りたい」と思うようになりました。


    私が惹かれていたのは“熱量”だった


    今振り返ると、私は音楽そのものだけではなく、人の “熱量” に惹かれていたのだと思います。

    誰かが本気で何かを作ろうとしている空間。
    そこで精一杯の力で鳴らされる音。
    その空気が、たまらなく好きでした。

    完璧じゃなくていい。
    むしろ、少し不格好なくらいがいい。

    でも、「これをやりたい」という気持ちだけは本物。
    そういうまっすぐな空気に触れるたび、自分の中で何かが少しずつ溶けていく感覚がありました。

    私はこれまで、未来を可能な限り予測し、合理性や効率性を重視して、冷静に生きることを大切にしてきました。もちろん、それ自体は間違っていないと思います。

    でも音楽の現場には、それとは違う世界があります。
    うまくいかなくてもいい。音を外してもいい。カッコつけてもいい。
    それでも最後に、「楽しかったね」と笑って終われる。

    私は、その感覚をほとんど知らずに生きてきたんです。
    だからこそ、惹かれたのだと思います。


    泥だらけのフェス設営で感じたこと


    最近私は、より音楽に深く関わるために、音楽フェスを企画・運営するNPO法人のボランティア活動に参加し始めました。

    正直、作業はかなり大変です。

    重い鉄筋を運びテントを立てて、雨が降れば這いつくばって雨水を拭き、汗だくになりながら走り回る。
    かなり泥臭い世界です。

    その時、ふと、「俺、一応、税理士なんだけどな(笑)」と思ったことがありました。でも同時に、自分の中にあった“変なプライド”が、少し剥がれた気もしたんです。

    私はこれまで、「頭を使う側」の世界で生きてきました。

    学生時代は塾講師をして、社会人になってからは税理士として、効率よく最大の成果を出すことを考えてきたのです。

    でも汗だくになりながら誰かと一緒にテントを立てている時間には、それとはまた違う豊かさがありました。

    「無事終わってよかった!じゃあ飲みに行きますか!」
    その一言で、みんなが笑っている。

    私はたぶん、そういう時間をあまり経験しないまま大人になってきたんだと思います。だから今、少し遅れて取り戻しているのかもしれません。


    「役に立ちたい」で動く人たち


    ボランティアの現場には、どうにかして“他人の役に立とう”としている人が多いです。
    つまり、「やらされている人」が少ない。

    みんな、自分から動いているんです。
    ・重いものを運ぶ人
    ・片付けをする人
    ・声をかける人
    ・誰かをサポートする人
    お金をもらえるわけではないのに、気づいた人が自発的に動いていく。

    私は、その空気感がとても好きでした。

    その姿を見ていると、「人って、本当はこういう生き物なのかもしれない」と思うことがあります。

    競争や効率、評価やお金から少し離れた場所で、人はこんなにも自然に優しく動けるんだ、と。


    「前に立つ」より、「支える側」でいたい


    バンドを組んでからは、自分でライブを主催してみたい!と思ったこともありました。

    でも、いろいろな現場を見ていくうちに、そんな人を「支える側」の面白さに気づいてきたように思います。

    だから最近は、「前に立ちたい」というより、「支える側でいたい」という気持ちの方が強くなりました。

    代表より、補佐役。
    目立つ人より、現場を回す人。

    名前が出るわけでもない。
    拍手されるわけでもない。

    でも、自分が動いたことで、誰かが気持ちよく演奏できたり、イベントが少しスムーズに進んだりする。リーダーから感謝される。

    それが、妙に嬉しいんです。

    もちろん、自分が主役となって演奏するのも楽しいです。
    でも今の私にとっては、「音楽という世界に、今後どういう形で関わり続けるか」の方が大切なのかもしれません。


    音楽からもらった、“音楽以上”のもの


    音楽を始めたことで、私はたぶん、「音楽」そのもの以上のものを受け取ってきました。

    誰かのために泥だらけになれること。
    失敗しても大丈夫だと思えること。
    カッコつけてもいいんだということ。
    不器用なままでも、人と関わっていけること。

    そして、「好きな世界に関わり続ける方法は、一つじゃない」と知れたことです。

    演奏する人だけが主役ではありません。
    その裏で支える人にも、ちゃんと物語があります。

    最近は、そんなことをよく考えます。

    きっと、私たちが日々生きている社会も同じです。

    今日も誰かが、誰かのために泥だらけになりながら支えてくれている。
    だからこそ、この日常は成り立っているのだと思います。

    税理士 萩原 寛太郎

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