
#14 死にとぅない。ほんまに。
私は毎月博多に行ってます。そして、そこには有名人がおり…私も実際に彼のユーモラスな書や絵画の実物を拝見したことがあります。※お土産のお菓子、その包み紙にも使われてます。
その名は仙崖和尚。博多の禅寺聖福寺にいらっしゃった禅僧であり…本格的な修行をつまれている絵描きなのです。仙崖さんは武士にも庶民にも親しまれ、敬愛された方でして。その味わいのある書や絵、ユーモラスで含蓄の深い逸話も数多く残されています。
仙崖和尚は40歳を過ぎてから本格的に始めた絵を描くことに没頭し始めたと聞きます。絵を描く事に関してはスロースターターだった様ですね。
そして70歳を過ぎた頃に「厓画無法」(自分の絵にはルールはない)と宣言したそうで、さらさらっと描く線は無駄や迷いはなく、漫画の原型とも言えそうなユーモラスでコミカルなものが多いのです。

その自由で軽妙な筆さばきで2,000点以上ともいわれる作品を残しました。

そしていつしか「博多に仙厓あり」と云われ、高僧としてその博識と高徳で知られております。
で、なんと言っても私が個人的にとても大好きなエピソードが『正直に自分を曝した達人の代表』というフレーズです。
自分に正直に。陰日向なくあるがままに。という仙崖和尚の生き様全てが親しまれ、尊敬され、愛されたと言う事なんですね😃
🔴え?それがめでたいの?
ある日仙厓さんは「おめでたい言葉の書を書いて下さい」と依頼を受けました。
しかし、そこには
「親死ね、子死ね、孫死ね」
の文字が…😂
「おめでたい言葉をお願いします」と頼まれたにも関わらず、仙厓さんはこんな文字を書きましたので、
先方はムッとしながら、「これが何故めでたいか?」と尋ねました。
すると仙厓さんは、「親が死んで、子が死んで、孫が死ぬ、順番通りにあの世に旅立つ事が人にとって1番めでたいことだ」と言われ…相手も「そうか!なるほど!」と喜びました。
また別の日には、「娘さんの結婚祝いに何かめでたい言葉を」と頼まれ、
「死ね、死ねと、言うまで生きよ、花嫁ご」と書きました。
この時も依頼者は「縁起でもない!」と憤慨しましたが…
「この婆さん、そろそろ死んだらどうか?と言われるまで、嫁ぎ先で長生きしなさい」という意味だ。
と言って、仙厓さんは大笑いしました。
…こりゃ依頼主の器も試されるな🤣


🔴辞世の句
彼はこの様に味わいのある絵や書、そして凡人には一瞬「えっ⁈」と感じるほど、独特の視座とユーモラスな逸話でも知られていますが…遂に仙崖和尚にも旅立ちの日が訪れます。
天保8年(1837年)10月7日の事です。仙厓和尚が、いよいよ臨終の時を迎えた時、お弟子さんが「師匠。辞世の句を」と筆を渡しました。
仙崖和尚はすらすらとしたためます。
博多の禅寺、その名和尚。彼の最期の言葉なので、弟子の僧たちはどんなありがたい内容か?と期待していました。
しかし…
そこに書かれてあった言葉はただ一句
「死にとぅない(死にたくない)」
「へ?」
あっけにとられた僧たちは、仙崖和尚にこういいます。
「あの…ご冗談ではなく、どうか本当のお言葉を書いてください」
もう一度弟子は師匠に筆を渡します。
ところが仙厓さんは、最初に書いた「死にとぅない」の前に…
「ほんまにほんまに」とつけ足しただけでした。
「へ?は?」
弟子の僧達はざわめきます。
戸惑う僧たちでしたが、年長の僧が発言しました。
「いや。
これは一見死にたくない気持ちにこだわりを持った名僧らしからぬ言葉に見えるが…決してそうではない。
人は生まれてきた以上必ず死ぬものだ。
それならば、『死に方も格好つける必要などない』というのを教えて下さったのだ」
と。
仙崖和尚は自分にとても正直な方。
どれほど禅の世界で修行しようとも、嫌なものは嫌。「まだ生きていたい」という執着もある。
その間際まで『正直でありのままで居る事が、自分の人生を生き切るという事だよ』と教えてくれたのでしょう。
こうした素直で純粋な姿もまた、仙崖和尚が今日も愛されている一因なのかもしれませんね☺️
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