
青春の無軌道は一過性のものであること、厳しく修正するばかりが能ではないことを、サトウハチローさんの数々の詩が証明している
佐藤愛子さんの「老いはヤケクソ」(リベラル社)を読みました。
佐藤愛子さんが、101歳のときに出版された本です。
それまで私は、不覚にも父が小説家の佐藤紅緑、兄が詩人のサトウハチローであることを知りませんでした。
しかも、人生の賢兄に遠藤周作がおり、二人の愚弟に川上宗薫と北杜夫がいたということを知り、しまったと思いました。
佐藤愛子さんは、令和8年4月29日に亡くなりました。
このような才人・奇人に囲まれた佐藤愛子さんを知るのが遅すぎた感があります。
しかし、私の信条は「始めるのに遅すぎることはない」です。
「遅すぎた佐藤愛子さん」への追悼をこめて、ハベレオ通信でご紹介させていただきます。

佐藤愛子さんには4人の不良兄貴がいました。
長兄のサトウハチローさんは、自他共に許す大不良でした。
上野の美術学校(現在の東京芸術大学)の堂々たるニセ学生でした。
ハチローさんは、2年近くニセ学生をしていました。
美術学校の裏の崖下は、上野公園でした。
崖の真下には、七面鳥の檻があり、二羽の七面鳥と十数羽のほろほろ鳥が降りました。
ある日、ハチローさんはニセ学生のつれづれに七面鳥を釣ろうと思い立ちました。
鯛を釣る太い針にみみずをつけて垂らしてみたら、ほろほろ鳥がかかってきたそうです。
しめたと喜んで釣りあげて焼いて食べたら意外においしかったので、翌日もまた釣りました。
翌日もまた……。
そのうちに動物園ではほろほろ鳥の数が減っていくことに気が付きます。
これはどうやら美術校生の仕業だということになって、動物園の園長が美術学校の校長に手紙を出しました。
「貴校の猿どもが、我が方のほろほろ鳥を獲るので困っている、厳重に取り締まってもらいたい」という手紙でした。
それに対して、美術学校の校長先生が返事を出しました。
「貴園の猿は檻の中に入っているから問題はないでしょう。しかし我が校の猿は放し飼いであります。どうかほろほろ鳥はそちらで守っていただきたい」
そんなやりとりがあったとはハチローさんは無論知りません。
次の日、何も知らぬハチローは、またしてもほろほろ鳥を釣ろうと崖の上に行きました。
竿を垂れようとして下を見ると、そこにほろほろ鳥の姿はなく、猪がいました。
動物園側はそちらが守れといわれたので、頭を絞ってほろほろ鳥と猪を入れ替えたのでした。

佐藤愛子さんは、言っております。
まことに心あたたまる話ではないか。美術学校長、動物園長ともに大人物だ。
このことがどこからか洩れて学生間に広まった時、全校生徒が校長を崇拝したそうです。
後年その話をする大不良のハチローさんの目にも、涙が浮かんでいたとのこと。
青春とは無軌道なもの。
わかっていてもやる、やってしまうのが青春なのだ。
佐藤愛子さんは、言っております。
校長先生は、それをよく理解していたのだろう。
その無軌道は一過性のものであること、厳しく修正するばかりが能ではないということを。
それが「おとな」というものではないのか。
これが現代なら、まずこういうことになる、と佐藤さんは述べております。
新聞、テレビ、週刊誌こぞって大見出しで書き立てる。
ニセ学生、ほろほろ鳥を食う
動物園側、対策に大童
作家佐藤紅緑の長男 ニセ学生発覚
ニセ学生に気がつかなかった学校当局は責任を問われて辞職者続出。
父のコメントを求める電話や訪問記者が殺到し、やがて記者会見。
父は憤怒の形相もあらわに謝罪の頭をさげる。
それを見て論評するテレビの子メンター。
新聞の読者投稿。
近所の酒屋、米屋、床屋の親爺までが佐藤家についての感想を求められて忙しく、商売に差支える。
やがては「佐藤一家に流れる血」がいかに醜怪であるかの探索が始まる。
父の若い頃の過ちから父の後添である母への批判。
ハチローの弟三人は、あるいは登校拒否、あるいは女たらし、あるいは借金魔、嘘つき、詐欺師。
やっていないのは強盗殺人、つけ火だけ、などと調子にのって書き立てる。
ハチローさんがニセ学生だった時、佐藤愛子さんは赤ん坊だったからよかったが、女学校へでも行っていようものなら、次のように書き立てられたと、おっしゃっておられます。
妹、愛子も勉強嫌いで、はり切るのは運動会くらいのもの。わざと破れた鞄を持ち、泥靴を履いてバンカラを気どり(上級生A子さんの話)、
喧嘩っ早くすぐ大声で怒鳴り、学校の品格を傷つけるとして眉をひそめる先生たちも少なくなかったという。
「やっぱりお兄さんの影響かもしれませんね。でも渾名をつける才能は大したものでした」と親友だったM子さんはいう。
「ひどい、怪しからん」と怒っても、どれも当たらずといえども遠からず、というあんばいであるから、告訴するぞ、とも言えない。
校長先生は教育者の鏡であるということを言いたくて、佐藤愛子さんは、この話を書いたと言っております。
現代の教育者はこの話を熟読玩味していただきたいとも。

私は、サトウハチローさんを大変尊敬しておりました。
「リンゴの唄」、「小さい秋見つけた」、「悲しくてやりきれない」といった名曲の作詞を手掛けています。
とても、ほろほろ鳥を釣って食べるような大不良とは思えません。
私が小学五年生の頃、甲子園の怪物、栃木県代表の作新学院のエースで巨人で活躍した江川卓氏が、千葉県代表の銚子商業との試合で、雨の中の延長一二回に四球を出して負けたのです。
本当に悲しかったことを覚えています。
このとき、詩人のサトウハチロー氏が、「私は雨を愛した詩人だが、これからは雨を愛することをやめる」と江川選手に詩を贈っています。
「江川投手に」 サトウハチロー
君のうしろに
だれもいない
君のまえに
だれもいない
たったひとりで
立ちむかい
たったひとりで
投げぬいた
三振のヤマを
築きあげ
相手のバットに
空を切らせた
だが
勝利の女神は
君に微笑まなかった
それでも君は
胸をはり
マウンドをあとにした
君は敗者ではない
君は真の王者だ

私は、「雨」という言葉を聞くと、反射的に「雨の甲子園球場」が思い浮かびます。
作新学院の江川投手と、雨を愛した詩人サトウハチローさん。
そしてNSPの「雨は似合わない」
作詞は天野滋さん。
ほろほろ鳥のエピソードでサトウハチローさんへの敬意がゆらいだ私でしたが、あらためて、美術学校の校長先生の偉大さがわかりました。
青春の無軌道は一過性のものであること、厳しく修正するばかりが能ではないということを、サトウハチローさんの数々の詩が証明しています。
佐藤愛子さんのおかげで、勉強になりました。
武田鉄矢さんが演じていた金八先生のセリフを思い出しました。
「間違えたっていいじゃないですか」
本当にそう思います。