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第2回【マンガを描く考察】なぜティトゥスの父を調べようと思ったのか?

    第1回は、真面目な年表と資料の記事を書きました!
    史実と創作は分けて記事にしようと思います。
    今回は、資料を見て次々浮かぶ疑問と、マンガ創作記事です。😚

    🌟なぜティトゥスの父を調べようと思ったのか?

    ショパンの伝記を読んでいて、前から気になっていたことがあります。
    寄宿生たちの紹介で、ティトゥスだけが「貴族の子」ではなく「裕福な地主の子」と書かれているのです。

    ふ~~ん、地主の子?
    ティトゥスは貴族の子弟ではないんだ…。

    私はてっきり、ティトゥスの親は、ポトゥジン村の地主で豪農なのかな?と思っていました。

    ところが第1回記事で調べた年表と資料によると、父ユゼフはポーランド最後の国王、スタニスワフ2世アウグストの侍従だったことが分かりました!
    さらに、ポトゥジンの領地は代々受け継いだものではなく、1804年にユゼフが購入したものだった。

    へー、お父さんはポトゥジン村で生まれ育ったわけではないんだ…。

    …というか父は国王の侍従!?
    それで農民出身なんて考えられないよ!?
    貴族の中でも、かなりエリート貴族なのでは?

    この時点で、わたしは大混乱です!
    描こうとしていたティトゥスの創作漫画の前提が崩れるじゃないですかーー!! 

    🌟それではティトゥスは貴族なのか?

    父ユゼフについて分かっていることは、ごくわずか。
    例えば、ポーランド貴族・シュラフタの証として「紋章」があります。日本の家紋のようなもので、代々受け継がれるものなのですが、ティトゥスの場合よくわからないのです。
    ティトゥスの子孫はラヴィチの紋章(Rawicz (herb szlachecki))です。
    こんなやつです。👇

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    『ラヴィチの紋章』クマと乙女のポーズにはバリエーションがあります


    じゃあティトゥスも、ラヴィチの紋章なのか?父のユゼフも?
    普通に考えれば、父の紋章を子が受け継ぐので、子孫がラヴィチならその父・祖父はラヴィチのはずです。が、確証がない。
    だから、どの資料を見ても『推測によると』の文字が外せません。

    なので、ショパン伝記で書かれていた「ティトゥスが裕福な地主の子」という表現は、豪農や市民という意味ではなくて、単に「貴族の子(確定)」と書けなかっただけかもしれません。

    言葉って難しい!


    🌟創作漫画:ティトゥスの父の想像図

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    創作漫画『ティトゥスのデビュー ~ ピアノの音がない世界』より

    この話を描く時にわたしが想像したことは…
    ティトゥスは、1歳の時に亡くなった父を覚えてない…と思います。
    周りの大人が『お父上は、今は亡きポーランドと最後の国王に仕えた立派なお人だった』と語れば、そのまま息子として信じるのではないでしょうか?不幸にして滅んだが、ポーランド王国と父は、とても立派だったと。

    1830年11月、21歳のティトゥスはショパンと一緒にウィーンで音楽旅行を楽しんでいました。が、ロシア支配に対するポーランドの蜂起(11月蜂起)を知るやすぐにポーランドに帰国し、そのまま戦場へ向かいます。

    他の友だちと比べても、ティトゥスは特別強い愛国心を持っているように、私からは見えます。それはどうしてだろう?
    もしかしたら、『国王の侍従だった父』への誇りがどんどん大きくなっていったのでは?…と思ったりします。父が生きていれば、率直な他の意見も聞けるでしょうが、亡くなってるので…。憧れのみが膨れ上がって…。

    想像がどんどん進みます。
    次回の漫画は、ここから話を作っていきたいと思います!


    🌟 もうひとつの疑問~リヴィウの街

    第1回記事で調べた年表と資料によると、ユゼフはポーランドの国王の侍従でしたが、途中でポーランドの宮廷は無くなってしまいます。その時ユゼフは40歳くらい。どうやって収入を得ていたのでしょう?
    年表を眺めているとわたしは、どうもそういう生活面ばかり気になってしまいます。

    自分の領地があれば、そこに帰ったと思うのですが…。
    10年後、ユゼフはリヴィウの街で、土地の売買契約をしています。

    なぜリヴィウ?

    当時のリヴィウの街はオーストリア領です。
    自分の国を滅ぼしたロシアの役人なんか顔も見たくない!お隣のオーストリアの方がマシ!…という感じで、ポーランドを出てリヴィウへ向かったのでしょうか????(想像するしかありませんよ!)

    購入した土地はポトゥジンの領地です。
    (地図は、第1回ティトゥスの父の年表と資料をご覧ください!)

    この土地購入の契約書を役所に提出したのは、シュラフタでフランチシェク・バリツキという人。数年後、このバリツキの娘マリアンナとユゼフは結婚します。バリツキはユゼフの人柄を見て、娘の旦那としてふさわしいと思ったのかもしれませんね。

    マリアンナは28歳。夫に先立たれ、ふたりの子供を連れての再婚でした。
    ユゼフは推定54歳。

    この年で初婚?年齢が高すぎるのでは!?と思いました。
    19世紀、年の差婚は珍しいことではありませんが、ユゼフはなぜ、その年になるまで結婚しなかったのかなぁ?生活に困っていたとは考えられないので、仕事ばかりするタイプだったのかもしれません。

    また謎がひとつ増えてしまいました!🤣

    それはともかく結婚して、血が繋がった自分の息子ティトゥスが生まれた時は嬉しかったでしょうね!
    しかし、ユゼフはティトゥスが1歳の時に亡くなりました。
    マリアンナは、再び未亡人となってしまいます。

    マリアンナは経営能力がとても高い女性でした。ユゼフが亡くなった後は再婚せず、未成年の息子の代わりに領地運営に19年間携わります。
    その成果は、成人したティトゥスへと受け継がれていくのです。

    ティトゥスの母、マリアンナの話は次の記事で書きます!


    🌟ティトゥス・ヴォイチェホフスキの全体の目次

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