
『ブラック・ショーマン』――手品は鮮やかだけど、ガリレオの影がちらついちゃった
ミステリが原作の映画は、まず原作を読んでから観る。これが私の流儀です。
小説で一度だまされてから、映画ではどうだまし直してくれるのかを楽しみたい。犯人も展開も知っているからこそ、「あの場面をこう見せるのか」という、映像化ならではの面白さがあります。
今回の『ブラック・ショーマン』も、その順番で楽しむつもりでした。ただ、原作を読むのが遅くなり、映画館で観る機会を逃してしまいました。結局、配信での鑑賞です。
原作を先に読むというこだわりにも、こういう弱点があります。
マジックは、やはり目で見て楽しみたい
映画は、結構原作に忠実に作られていました。読んだ物語を思い返しながら、安心して映像を楽しめます。
なかでも、小説で読むより見せ方が上だと感じたのは、やはりマジックの場面でした。
文章では、描写を追いながら、何がどうなったのかを頭の中で組み立てます。それも読書の楽しみですが、映像では不思議な出来事を目の前に差し出される。考えるより先に、まず目が引きつけられるのです。
展開を知っていても、実際にどう見せるのかは別の楽しみになります。マジシャンを主人公にした小説を映画にする意味は、こういうところにあるのでしょう。
映画館で観ていたら、もっと楽しめたかもしれません。そう思うと、読み終えるのが遅くなったことが少し悔やまれます。
毒のある主人公はいい。ただ、お金の話はもう少し控えめの方が
主人公・神尾武史の、毒のある台詞とひねくれ方も楽しめました。
人の心理を読み、相手を手玉に取る。素直に善意を見せず、真っ当なこともわざわざ斜めから言う。その食えなさが、マジシャンという職業によく合っています。
これまでの東野圭吾原作の映像作品と比べても、この主人公のひねくれた生き方には、独特の魅力がありました。
ただ、何かにつけて「お金を払え」と言うのには、少々引っかかりました。
おそらく照れ隠しなのでしょう。親切にしたことを素直に認めたくない。そう受け取れば愛嬌もありますし、一度や二度なら笑えます。
しかし、毎回のように繰り返されると、「またお金の話か」と思ってしまう。
その言葉の裏にあるものは、こちらにも伝わっています。ときには照れ隠しのひと言を挟まず、行動だけで見せてくれてもよかった気がします。
トランプは、もう十分
演出でも、同じように繰り返しが気になりました。
場面転換に挟まれる、トランプの映像です。
マジシャンが主人公ですから、作品の雰囲気には合っています。最初はしゃれた演出だと思いました。しかし、何度も流れてくると、さすがに少々辟易します。
主人公がマジシャンだということは、もう分かっています。実際のマジックでも楽しませてもらっているのですから、場面のつなぎまで念を押さなくてもいいのではないでしょうか。
次の展開へ気持ちが向かったところで、またトランプ。そのたびに、物語を追う気持ちが少し途切れてしまいました。
お金を要求する台詞も、このトランプも、一つひとつが悪いわけではありません。ただ、繰り返せば繰り返すほど、効き目が増すものでもないでしょう。
映像だからこそ、無理が見えることもある
具体的な内容は伏せますが、武史の技術で可能とされることのなかには、「いくらマジシャンでも、そこまでできるだろうか」と感じるものもありました。
小説では、自分の想像の中で受け入れられたことが、実写で具体的に見せられると、かえって無理に感じられる。これは映画化の難しいところです。
マジックの場面では、映像になったことで面白さが増しました。一方、別の場面では、映像になったために納得しにくくなった。
同じ作品の中で、その両方を感じたことは、原作を先に読んだからこその面白い鑑賞体験でもありました。
神尾武史の向こうに、湯川学が見える
そして、もう一つ。これは私自身の受け取り方の問題もありますが、福山雅治という人の色が濃く、物語にのめり込めないところがありました。
演技力は認めています。毒のある台詞も、胡散臭い振る舞いも、この主人公の魅力になっています。
それでも、神尾武史を見ているはずなのに、ふと「福山雅治を見ている」という感覚に戻ってしまうのです。
アーティストとしての存在感に加え、私の中では『ガリレオ』シリーズの湯川学の印象が、あまりにも強いのでしょう。同じ東野圭吾原作で、福山雅治が演じる切れ者が謎を解く。その組み合わせだけで、どうしても記憶が重なります。
さらに、『映画ラストマン -FIRST LOVE-』で演じた皆実広見のイメージも、残っているのかもしれません。役柄はそれぞれ違っていても、印象に残る人物を同じ俳優が演じていると、新しい役を見ながら以前の顔を思い出してしまいます。
神尾武史という新しい人物を見たいのに、私の頭の中には、すでに何人もの福山雅治がいる。少々、混み合っているのです。
『ブラック・ショーマン』も映画のシリーズとして続けば、この印象は変わるかもしれません。作品を重ねるうちに、「神尾武史といえばこの顔」と自然に受け止められるようになる。その姿も見てみたいと思います。
が、残念ながら原作者が亡くなってしまったので、もうそれが叶うことは無いですね。
ガリレオの影に文句を言いながら、次のガリレオを待つ
『ブラック・ショーマン』は、原作に比較的忠実で、マジックを映像で観る楽しさもある映画でした。主人公の毒のあるひねくれ方も、十分に魅力的です。
だからこそ、もう少しさりげなく見せてくれてもよかった。トランプも、お金の台詞も、繰り返されるうちに、面白さよりくどさが気になってしまったのが惜しいところでした。
そして、東野圭吾さんが亡くなられたことは、やはり残念でなりません。残された作品の映像化を楽しみにすることはできても、新しい物語を待つ楽しみが失われた寂しさはあります。
今は、最後に残されたガリレオシリーズの長編『永遠の記憶』も、いつか映画で観られることを願っています。
ガリレオの印象が強すぎて入り込めなかったと文句を言いながら、その次のガリレオを待っている。
我ながら勝手なものです。でも、それほど湯川学が私の中に残っているということなのでしょう。
いつか神尾武史にも、同じように居場所ができるのか。その続きを、もう少し観てみたいと思いました。
ただ、原作としてはもう一冊短編集が残っているだけなので無理でしょうけど。
ちなみに、福山雅治が前作で主演を演じた映画『ラストマン』の感想はこちらから。