
補聴器の代わりに、カメラを。|海の中で、言葉を拾う。
眠るとき以外、私はほとんど補聴器を外さない。
朝起きたらつけて、眠る前に外す。
ずっと、それが当たり前だと思っていた。
でも、あった。
補聴器を外していられる場所。
海の中。

海に入る前、補聴器を外す。
そして潜ってしまえば、聞こうとしなくていい。
海の中では、みんな声ではなく、ハンドサインや目線で伝え合う。
「聞き逃していないかな」
そんなことを気にしなくていい世界で、ただ目の前に広がる群青を見ていられる。
そうだ。
私はいま、補聴器を地上に置いてきたんだった。
「聞かなきゃ」も、
「聞き逃していないかな」も、
今日は一緒にお留守番。
私だけ、群青の世界へ出張中。
実は私、水中カメラマンもやっている。
海に潜るとき、いつも身につけている補聴器を外して、カメラを持つ。
補聴器の代わりに、カメラを。
地上では音を拾おうとしている私が、
海の中では光を拾う。
色を拾う。
生き物たちの一瞬を拾う。
そして地上へ戻って、今度はそれを言葉にする。
もしかしたら私は、海の中でもずっと、何かを拾っているのかもしれない。
私は、海の中から光を見上げるのが好きだ。
群青の向こうに光があって、
自分が吐いた息が泡になって、そこへ昇っていく。
この景色を見ると思い出す曲がある。
藤井風さんの「満ちてゆく」。
手を放す、軽くなる、満ちてゆく
2024年の紅白歌合戦。
ニューヨークから生中継された「満ちてゆく」が、とても印象に残っている。
ワンカットで撮影された映像の最後、屋上へ出た藤井風さんの向こうから、朝日が差し込んでくる。
あまりにも出来すぎていて、私はてっきり、朝日まで計算された演出なのだと思っていた。
でも、あの光は偶然だったらしい。
本番は予定していた時間より少し押していたという。
それなのに、そのずれがあったからこそ、最後の瞬間に朝日と重なった。
予定どおりではなかったことが、あの景色をつくった。
なんだか、それがとてもいいなと思った。
海の中から見上げる光も、少し似ている。
太陽の位置も、海の透明度も、自分が吐いた泡の行方も、その日、その瞬間だけのもの。
同じ群青の中に潜ったって、同じ景色には二度と出会えない。
だから私は、こういう「たまたま」に出会える瞬間が好きなのかもしれない。
補聴器を外して、
「聞かなければ」も手放して。
何かを失ったはずなのに、不思議と満たされていく。
私には、家族以外にも安心できる居場所がある。
それは、海だ。
またひとつ、海の中で言葉を拾った。
海の中で見つけた景色や、そこから生まれた小さな気づきを「海が教えてくれたこと」に集めています。
また海をのぞきたくなったとき、ふらっと遊びに来てもらえたら嬉しいです🐠