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「死してなお美しく」に惹かれた。|人生を見つめ直している今

    昔、あるダイビングコンテストで選ばれた写真に目が止まった。

    そこに添えられていた言葉は、

    「死してなお美しく」

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    なぜ惹かれたのかは、
    自分でもよく分からない。

    写真そのものなのか。

    「死してなお」という言葉なのか。

    それとも、
    今の私だから何かを感じたのか。

    分からない。

    ただ、不思議なくらい、
    今も心に残っている。

    最近、人生について考えている

    これから何をしたいのだろう。

    何を大切にして生きたいのだろう。

    何のために働くのだろう。

    誰と、
    どんな時間を過ごしたいのだろう。

    そしていつか、

    自分の人生を振り返ったとき、
    私は何を思うのだろう。

    そんなことを考えていたら、

    避けて通れないものがあった。

    私の障害のことだった。

    私は、障害を受容できているのだろうか

    私の「ミミ」は、
    音を拾わない。

    聞こえない状態で生きることには、
    ずいぶん慣れた。

    文字を使う。

    周りを見る。

    分からなければ聞く。

    必要なら、
    自分の障害について説明する。

    そうやって私は、

    聞こえない世界で生きる方法を
    身につけてきた。

    仕事もする。

    旅行もする。

    人とも話す。

    笑う。

    日常生活のすべてで、

    「私は聞こえない」

    と意識しているわけでもない。

    だから私は長い間、

    これが「障害を受容する」ということなのだと
    思っていたのかもしれない。

    でも、

    ときどき思う。

    聞こえたらいいのに。

    聞こえるのなら、聞こえてみたかった

    好きな音楽を、

    音として聴いてみたかった。

    そんなことを思っていた中、takaさんの歌・歌詞に救われた。
    そして、私はかつてピアノを弾いていた。
    今は正確な音を音として受け取れないけど、旋律が心に響いている。

    あとは、好きな人の声を、そのまま聞いてみたかった。

    ドラマ『silent』に出てくるように、

    好きな人と
    イヤホンを片方ずつ分けて、

    同じ曲を聴いてみたかった。

    同じところで、

    「ここ、好き」

    なんて言ってみたかった。

    後ろから名前を呼ばれて、

    振り返ってみたかった。

    誰かが面白いことを言ったとき、

    「何て言ったの?」

    と聞くより先に、

    みんなと同じ瞬間に
    笑ってみたかった。

    たぶん、

    誰かにとっては
    なんでもない日常だ。

    でも私にとっては、

    一度くらい経験してみたかったこと。

    慣れることと、受け入れること

    障害があったからこそ、
    出会えた人がいる。

    見えるようになったものもある。

    「当たり前」の中にある小さな壁。

    人によって、

    同じ世界が
    まったく違って見えること。

    言葉ひとつで、

    人が救われたり、
    傷ついたりすること。

    今こうして文章を書いていることだって、

    聞こえない私だからこそ
    書けているものがあるのだと思う。

    それでも私は、

    「障害があってよかった」

    とは言えない。

    そこで、

    初めて立ち止まった。

    私は、

    聞こえない人生に
    「慣れた」だけなのではないだろうか。

    慣れることと、
    受け入れることは、
    本当に同じなのだろうか。

    そして、

    もうひとつの問いが生まれた。

    聞こえないことが
    私の一部なら、

    それまで含めて
    好きにならなければいけないのだろうか。

    つまり、

    障害までも愛せというのだろうか。

    その問いについて、

    次はもう少し深く
    考えてみようと思う。

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