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【note紹介】水が水であるように、私は私でいていい。

    先ほど、ひとつの記事を読みました。

    takaさんの文章です。

    最近の私は、
    少しだけ「ちゃんとしなきゃ」に疲れていたのかもしれません。

    仕事のこと。
    人との関わりのこと。
    これからのこと。

    もっと頑張らなきゃ。
    もっと役に立たなきゃ。
    もっとちゃんとしなきゃ。

    そんなことを、
    頭のどこかでずっと考えていました。

    そんなときに出会ったのが、
    takaさんの記事でした。

    水や植物を見つめながら綴られる、
    静かな言葉。

    読んでいるうちに、
    張りつめていたものが
    少しだけゆるんでいくような感覚がありました。

    「ああ、そんなに急がなくてもいいのかもしれない」

    そう思えた。

    大げさに聞こえるかもしれないけれど、
    私は今日、
    takaさんの記事に少し救われました。

    ***

    そして読み終わったあと、
    なぜか一曲の歌が頭に浮かびました。

    中島みゆきさんの
    「命の別名」。

    私は耳が聞こえません。

    それでも、歌が好きです。

    音そのものを楽しむことは難しくても、
    歌詞を読むことが好きです。

    言葉から、
    その歌の中にある景色を想像する。

    だからなのか、
    中島みゆきさんの歌には、
    何度も立ち止まらされてきました。

    「命の別名」も、
    そんな曲のひとつです。

    ***

    今日、あらためて歌詞を読みました。

    その中に、こんな言葉があります。

    「何かの足しにもなれずに生きて
    何にもなれずに消えて行く」

    ——中島みゆき「命の別名」より

    この言葉が、
    今日はいつも以上に心に残りました。

    「何にもなれない」

    私たちは、
    このことをとても怖がっているのかもしれません。

    仕事ができる人。

    誰かの役に立つ人。

    期待に応えられる人。

    優しい人。

    強い人。

    ちゃんとした人。

    社会の中で生きていると、
    知らないうちに、
    たくさんの名前を自分につけている気がします。

    そして、その名前から外れそうになると、
    不安になる。

    もっと頑張らなきゃ。

    もっと成長しなきゃ。

    もっと役に立たなきゃ。

    もっと普通にならなきゃ。

    何者かにならなければ、
    ここにいる意味がないような気がしてしまう。

    私自身、
    そんなふうに自分を急かしてきたところがあります。

    ***

    でも今日、
    takaさんの記事を読みながら、
    少し立ち止まりました。

    水は、
    水であることを証明しようとしない。

    芽は、
    芽であることを恥じたりしない。

    隣の植物と比べて、

    「私はまだこんなに小さい」

    なんて落ち込むこともない。

    ただ、
    そこにいる。

    ただ、
    生きている。

    それだけです。

    それなのに人間だけは、

    「このままではいけない」

    と思ってしまうことがあります。

    ***

    私もこれまで、

    聞こえない自分と、
    ずいぶん長く付き合ってきました。

    できないことを、
    できるようにしようとしたこともある。

    周りに合わせようとしたこともある。

    迷惑をかけないように。

    困らせないように。

    なるべく「普通」に見えるように。

    そんなふうに生きていると、

    いつの間にか、

    「自分はどうありたいのか」

    よりも、

    「どうすれば周りにとって都合のいい自分でいられるのか」

    を考えてしまうことがあります。

    でも、本当は。

    聞こえない私も。

    考えすぎてしまう私も。

    立ち止まってしまう私も。

    全部ひっくるめて、
    私なのだと思います。

    直さなくていいものまで、
    直そうとしなくてもいい。

    ***

    そして「命の別名」には、
    もうひとつ、
    私がとても好きな言葉があります。

    「命に付く名前を『心』と呼ぶ」

    ——中島みゆき「命の別名」より

    この言葉を読むと、
    何者かになることより前に、

    私たちはみんな、
    一人の人間なのだと思います。

    名前がある。

    心がある。

    うれしい日があって、
    傷つく日があって、

    誰かの何気ない一言に救われる日もある。

    誰かより優れているからでもなく、

    大きなことを成し遂げたからでもなく、

    誰かの役に立てたからでもない。

    私たちは、
    自分の価値を証明するためだけに
    生きているわけではない。

    そんな当たり前のことを、
    私はときどき忘れてしまいます。

    ***

    水が水であるように。

    芽が芽であるように。

    私は、私でいていい。

    あなたは、
    あなたでいていい。

    もちろん、
    変わりたいと思う日があってもいい。

    頑張りたい日があってもいい。

    何かを目指して、
    一生懸命走る日があってもいい。

    「ありのままでいていい」は、

    「ずっと変わらなくていい」

    という意味ではないと思っています。

    変わりたいなら、
    変わっていい。

    前に進みたいなら、
    進んでいい。

    ただ、

    変わる前の自分まで
    否定しなくていい。

    前に進めない日の自分まで
    嫌いにならなくていい。

    それだけなのかもしれません。

    ***

    最近の私は、
    少しだけ急ぎすぎていました。

    仕事のこと。

    これからのこと。

    人との関わり方。

    「もっとこうしなければ」

    そんな言葉が、
    自分の中に増えていました。

    だから今日、
    takaさんの記事に出会えてよかった。

    何か具体的な答えを
    もらったわけではありません。

    悩みがなくなったわけでもありません。

    明日から突然、
    何も気にしなくなるわけでもありません。

    それでも、

    「今日は、このままでもいいのかもしれない」

    と思えた。

    誰かの言葉に救われるって、
    きっとこういうことなのだと思います。

    ***

    変わらなくていい、ではなく。

    変わることを急がなくていい。

    そして、

    変わる前の自分にも、
    ちゃんと居場所をつくってあげたい。

    水が水であるように。

    芽が芽であるように。

    私が私であるように。

    あなたがあなたであるように。

    ありのままでいていい。

    今日、
    takaさんの記事から受け取ったものを、

    今度は私が、
    ここにそっと置いておきたいと思います。

    この文章が、

    今ちょっとだけ
    「ちゃんとしなきゃ」に疲れている誰かに、

    届いたらうれしいです。

    あなたは最近、

    誰かの言葉に
    救われたことがありますか。

    そして今日くらいは、
    何者かになろうとすることを少しだけお休みして。

    そのままの自分で、
    過ごしてみてもいいのかもしれません。

    今日1日、
    あなたにとっていい日になりますように。

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