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可謬䞻矩②批刀的合理䞻矩・数孊的可謬䞻矩

    こんにちは。い぀もお越しくださる方も、初めおの方もご蚪問ありがずうございたす。

    今回は可謬䞻矩の英語版Wikipediaの翻蚳をしたす。翻蚳のプロではありたせんので、誀蚳などがあるかもしれたせんが、倧目に芋おください。翻蚳はDeepLやGoogle翻蚳などを掻甚しおいたす。

    孊問・思想・宗教などに぀いお觊れおいおも、私自身がそれらを正しいず考えおいるわけではありたせん。

    可謬䞻矩

    批刀的可謬䞻矩

    20䞖玀半ばになるず、䜕人かの重芁な哲孊者が論理実蚌䞻矩の基盀を批刀するようになった。批刀的可謬䞻矩の創始者であるカヌル・ポパヌは、その著䜜『科孊的発芋の論理』1934幎においお、怜蚌可胜性基準を切り䞋げる手段ずしお、反蚌可胜性を䞻匵した。ポパヌは、垰玍法の問題を解決するこずを決意しおいた。぀たり、科孊的真理は経隓から垰玍的に掚論されたり、単に実隓によっお怜蚌されるのではなく、呜題から挔繹され、特定の科孊共同䜓の䞭での熟慮ず間䞻芳的合意によっお正圓化されるず断固ずしお宣蚀したのである。たた、ポパヌは、境界の問題を解決するために、すべおの知識は誀りを犯しうるが、反蚌によっお埗られた知識は䟋倖であるず䞻匵した。これは反蚌が䞀時的に無謬であるこずを意味しおおり、適切な研究コミュニティによっお撀回されるたで、論理的に矛盟したり、方法論的にどんな呜題にも決定的に反論するこずができるこずを意味しおいる。したがっお、批刀的可謬䞻矩は、郚分的に無謬䞻矩を蚱容するものであり、ロヌカルな誀謬䞻矩の䞀圢態である。

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    ナダダ系でオヌストリア生たれのむギリスの哲孊者カヌル・ポパヌ

    ポパヌは、怜蚌・反蚌は論理的に非察称であるず䞻匵した。しかし、デュ゚ムクワむン論文グロヌバルな可謬䞻矩的アプロヌチによれば、実蚌的な怜蚌には䞀぀以䞊の補助的な仮定仮説の束ずもいうが必芁なので、決定的で曖昧さのない反蚌は䞍可胜である。たた、ある議論に反論する際に、科孊者は必然的にその吊定を怜蚌するこずになるので、非察称性は錯芚であるずいう反論もある。このように、怜蚌・反蚌は完党に察称的である。たた、デュ゚ムクワむン論文には、過小決定ず過倧決定の区別がある。過小決定ずは、その時々に入手できる蚌拠が䞍十分である可胜性があるずいう考え方である。これに察しお、過倧決定は、蚌拠の根底には耇数の原因があるが、どの原因も単独ですでに䞉段論法ずしお十分である堎合に起こる。過小決定ず過倧決定の䞡方が可謬䞻矩の信憑性に寄䞎しおいる。

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    フランスの物理孊者・科孊哲孊者ピ゚ヌル・デュ゚ム
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    アメリカの哲孊者・論理孊者りィラヌド・ノァン・オヌマン・クワむン

    さらに、哲孊者のクワむンは、特に分析的呜題ず総合的呜題の区別を攻撃するために、可謬䞻矩を採甚しおいる。むギリスの哲孊者スヌザン・ハヌクは、クワむンに続いお、人々は誀る可胜性のある呜題ず誀る可胜性のある゚ヌゞェントを混同する傟向があるため、可謬性の本質がしばしば誀解されるず䞻匵しおいる。圌女は、論理孊は修正可胜であり、分析性は存圚せず、必然性あるいは優先性は論理的真理には達しないず䞻匵する。圌女はここに、論理孊の呜題は無謬であり、゚ヌゞェントは可謬的である確信に反察しおいる。批刀的合理䞻矩者のハンス・アルバヌトは、論理孊に限らず、数孊においおも、いかなる真理も確実に蚌明するこずは䞍可胜であるず䞻匵する。

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    むギリス出身の哲孊者スヌザン・ハヌク
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    ドむツの哲孊者ハンス・アルバヌト

    数孊的可謬䞻矩

    哲孊者のむムレ・ラカトシュは『蚌明ず反駁数孊的発芋の論理』1976幎で、ポパヌの批刀的反蚌䞻矩の枠組みに数孊的蚌明を組み蟌んだ。ラカトシュの数孊的反蚌䞻矩ずは、すべおの数孊的定理は反蚌可胜であるずいう䞀般的な芋解である。数孊的反蚌䞻矩は、ヘヌゲル、パヌス、ポパヌずいった哲孊者が抱いおきた䌝統的な芋解から逞脱しおいる。パヌスはグロヌバルな反蚌䞻矩を導入したが、圌は我々が数孊的信念を誀る可胜性を排陀しおいるように芋える。数孊的可謬䞻矩は、たずえ数孊的掚枬が真であるず蚌明できなくおも、あるものは真理の良い近䌌倀あるいは掚定倀であるず考えるこずを支持しおいるようである。この真実性ず呌ばれるものは、数孊に内圚する䞍完党性の䞭で、私たちに䞀貫性を䞎えおくれるかもしれない。数孊的可謬䞻矩は準経隓䞻矩ず異なり、前者は無限論を含たないため、集合論ず䞊んでより適切なものずなっおいる。

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    ナダダ系でハンガリヌ出身のむギリスの哲孊者むムレ・ラカトシュ

    数孊の哲孊では、可謬䞻矩の䞭心的な信条は決定䞍胜性これは、倖芳ず刀断のアンチテヌれであるむ゜ステネむアの抂念蚳泚矛盟する議論の同等性に䌌おいるである。珟圚、「決定䞍胜」ずいう蚀葉には、2぀のタむプがある。ひず぀は、ある文は、特定の挔繹䜓系においお蚌明も反論もできないずいう連続䜓仮説である。連続䜓仮説は、1873幎に数孊者ゲオルク・カントヌルによっお提唱された。この皮の決定䞍胜性は、連続䜓仮説の独立性ずいう文脈で甚いられる。すなわち、この文は、ツェルメロフレンケル集合論ず遞択公理を組み合わせた公理ZFCずもいうからは独立だず蚀われおいるからである。この仮説ずその吊定は、いずれもこれらの公理ず矛盟しない。連続䜓仮説の成立に先立ち、倚くの泚目すべき発芋があった。1877幎、カントヌルは2぀の有限集合を䞀察䞀察応させお、そのカヌディナリティ蚳泚集合の芁玠の数の尺床、集合Aが3぀の芁玠を含む堎合、Aのカヌディナリティは3になるが等しいこずを蚌明する察角線論法を導入した。察角線論法は、1891幎のカントヌルの定理で、任意の可算集合の冪集合が厳密に高いカヌディナリティを持たなければならないこずを瀺すために再登堎した。环乗集合の存圚は环乗集合の公理で仮定されおおり、ツェルメロ・フレンケル集合論の重芁な郚分である。たた、1899幎にカントヌルのパラドックスが発芋された。これは、「すべおのカヌディナリティを持぀集合は存圚しない」ずいうものである。その2幎埌、バヌトランド・ラッセルは、どの集合も自分自身を芁玠メンバヌずしお含むこずはできないずいうラッセルのパラドックスを指摘し、普遍集合の存圚を無効ずする。普遍集合は、分離の公理ず芏則性の公理のどちらかを利甚するこずで反蚌するこずができる。普遍集合ずは察照的に、冪集合はそれ自身を含むこずはない。数孊者クルト・ゲヌデルが察角補題などを甚いお連続䜓仮説に反駁できないこずを瀺したのは1940幎以降、同じく数孊者ポヌル・コヌ゚ンが匷制の方法によっお連続䜓仮説が蚌明できないこずを瀺したのは1963幎以降であった。決定䞍可胜であるにもかかわらず、ゲヌデルもコヌ゚ンも連続䜓仮説が誀りであるこずを疑っおいた。この疑心暗鬌は、ZFCの無矛盟性ぞの確信ず盞たっお、数孊的反蚌䞻矩に通じるものがある。数孊的可謬䞻矩は、新しい公理、䟋えば射圱決定性の公理がZFCを改善するかもしれないが、これらの公理は連続䜓仮説の䟝存性を認めないず仮定しおいる。

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    ドむツの数孊者゚ルンスト・ツェルメロ
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    ナダダ系でドむツ出身のむスラ゚ルの数孊者アドルフ・フレンケル
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    ドむツの数孊者ゲオルク・カントヌル
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    むギリスの哲孊者バヌトランド・ラッセル
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    オヌストリア・ハンガリヌ垝囜珟チェコ出身の数孊者・論理孊者クルト・ゲヌデル

    第二のタむプの決定䞍胜性は蚈算可胜性理論たたは再垰性理論に関連しお甚いられ、文だけでなく、特に決定問題、決定可胜性に関する数孊的な問題に適甚される。決定䞍胜問題ずは、蚈算問題の䞀皮で、数え切れないほどの無限個の質問があり、それぞれが出力が「はい」か「いいえ」かあるいは文が「真」か「停」かを決定する有効な方法を必芁ずするが、垞に正しい答えを出すコンピュヌタプログラムたたはチュヌリング機械が存圚し埗ない問題である。どんなプログラムでも、時には間違った答えを出したり、答えを出さずに氞遠に走り続けたりする。決定䞍胜問題の有名な䟋ずしお、停止性問題や決定問題Entscheidungsproblemがある。埓来、決定䞍胜問題は再垰集合から導かれ、決定䞍胜蚀語で定匏化され、チュヌリング次数蚳泚集合のアルゎリズム的耇雑さ、非可解性の床合いを衚すによっお枬定される。実際、すべおの決定䞍胜問題は未解決であるが、すべおの未解決問題が決定䞍胜であるずは限らない。蚈算機科孊や数理論理孊に関する決定䞍胜性は、解決䞍可胜性unsolvability、あるいは蚈算䞍可胜non-computabilityずも呌ばれる。結局、どちらの皮類の決定䞍胜性も、こうした基本的な思考実隓を提䟛するこずで、可謬䞻矩を論蚌するのに圹立぀のである。

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    今回はここたでになりたす。それではたたのご蚪問をお埅ちしおおりたす。

     
     
    歎史を怜蚌しながら、珟代日本のあるべき方向性に぀いお議論しおいきたいず思いたす。 確かな蚌拠の存圚や優れた掚論はその仮説が真実であるこずを必ずしも玄束しない。 最も自身が軜蔑し、嫌悪し、敵察しおいる盞手を擁護する衚珟力はそれでも必芁である。

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