
氷河期世代AD、テレビの片隅で。#37余談「ADの僕が探偵になった夜。」
AD時代、かわいくて愛想のいい女性ADがいた。
誰とでもすぐに仲良くなるタイプで、僕はよく、
「この子、キャバ嬢やったら絶対売れるだろうな」
なんて思っていた。
そんな彼女には、当時、いろんな噂があった。
「あのスタイリストの家に行ったら、パジャマ姿で出てきたらしいよ」
とか、
「○○プロデューサーのマンションに入っていくところを見た」
とか。
ただ、僕自身が見たわけではない。
だから、
「へえ、そうなんだ」
くらいに聞いていた。
噂なんて、どこまで本当か分からない。
僕は彼女とも普通に仲がよかったし、
そんな話を真に受けていたわけでもなかった。
ところが、ある夜。
僕と同期の松田は、渋谷で遊んでいた。
松田は、見た目を一言で表現すると、
浅野忠信+マキタスポーツ÷2。
そんなヤツだった。
スクランブル交差点でぶらぶらしていると僕らの前を、
見覚えのある二人が歩いてきた。
あの女性ADと、僕が一緒に仕事をしていたチーフディレクターだった。
しかも、二人は手をつないでいる。
僕は立ち止まった。
「……松田」
「ん?」
「行こう」
「どこへ?」
「尾行しよう!」
そのとき僕の探偵魂に火が付いた。
僕らは少し離れて一定の距離を保ちながら二人の後をつけた。
気分はもう松田優作。
すると二人は、道玄坂のホテルへ入っていった。
僕と松田は顔を見合わせた。
「……入ったな」
「入ったな」
それだけだった。
翌日、僕は彼女に言った。
「昨日、道玄坂で見たよ!」
彼女は、
「え? あぁ……そう」
と答えた。
その後、チーフディレクターから僕は呼び出された。
行くと、その女性ADもいた。
チーフディレクターは言った。
「俺たち別に何もないから!」
女性ADも言った。
「ホテルには入ったけど、
ただ相談に乗ってもらってただけだから!」
僕は、
「そうなんですね」と言うしかなかった。
でも思った。
“週刊誌に撮られた芸能人じゃねえんだからよ!”
そんなある日。
その女性ADが、会社に携帯電話を忘れて帰ったことがあった。
たぶん彼女は携帯を二台持っていた。この辺も怪しい…
そのうちの一台を、会社に置いて帰ったらしい。
その夜、僕は一人で残って仕事をしていた。
すると、その携帯が鳴った。
液晶画面を見ると、
「パパ」
と表示されている。
その下には、電話番号も出ていた。
僕は一瞬、手を止めた。
「パパ……?」
そして、僕の中の探偵魂がまた動き出した。
番号が見えている。
ちょっとだけなら。
……いや、何を考えているんだ。
でも、好奇心には勝てなかった。
僕は、その番号に電話をかけてみた。
すると、
「もしもし」
聞き覚えのある声だった。
僕はすぐに電話を切ってしまった。
一緒に仕事をしているプロデューサーだった。
しかも、妻子持ち。
ただし、その番号は、僕が普段そのプロデューサーと
連絡を取っている番号とは違っていた。
そしてまたとある日。
また、その女性ADの携帯が会社に置きっぱなしになっていた。
そしてまた、夜に僕が一人で仕事をしていると、携帯が鳴った。
そのままにしていると、やがて留守番電話に切り替わった。
すると、電話の向こうから声が漏れてきた。
「今から家に行きたいなと思ったんだけど、どうかな?」
僕は心の中で叫んだ。
「なんじゃこりゃ~~~!」
その声にも、聞き覚えがあった。
一緒に番組をやっていた、人気タレントだった。
その人も、妻子持ちだった。
僕は思った。
……もう、これは重すぎる。
そして危険すぎる。
探偵ごっこで首を突っ込んでいい世界じゃない。
下手したら、
暗殺される。
僕は、その日をもって探偵を引退した。
***
あの頃の僕は、彼女のことを、
「すごいな」
と思っていた。
でも、今の僕は、少し違うことを考える。
もし相手が、ただの一般人の男性だったら。
同じ会社の、同じくらいの立場の人間だったら。
話は違ったのかもしれない。
でも、相手が番組のプロデューサーだったり、
チーフディレクターだったり、人気タレントだったりしたら。
そこには、どうしても「立場の差」がある。
仕事をもらう側と、仕事を与える側。
若いADと、業界で何年も経験を積んだ大人。
断ったら仕事がやりづらくなるんじゃないか。
嫌われたら次の仕事に影響するんじゃないか。
そんなことを、若いスタッフが考えてしまう状況は、十分にあり得る。
もちろん、僕には彼女が本当はどう思っていたのか分からない。
本人が望んでいたのかもしれない。
そうじゃなかったのかもしれない。
僕が見たことだけで、その関係を決めつけることはできない。
でも、少なくとも僕が当時見ていたのは、
「若い女性ADと、立場のある男性」
という組み合わせだった。
若い女性が、権力のある男性と親しくしている。
そう聞くと、
「すごいな」
「したたかだな」
「やるなあ」
なんて、思ってしまう。
でも、本当にそうだったのだろうか。
もし本人が断りたくても断れない状況だったとしたら。
もし仕事上の立場や将来のことを考えて、
嫌なことでも笑って受け入れるしかなかったとしたら。
もちろん、そんなことも僕には分からない。
あの女性ADが、その後どうなったのか、僕は知らない。
今でも元気にしているのか。
結婚したのか。
別の仕事をしているのか。
何も知らない。
ただ、もし当時の彼女が、本当は嫌だったことを
嫌と言えない状況にいたのだとしたら。
僕が知らない事情も、僕には見えない苦しさも、あったのかもしれない。
真実は、僕には分からない。
だから、元気で幸せに暮らしていてくれたらいいと思う。
僕は――
あの夜を最後に、探偵を引退した。
テレビの世界には、番組には映らないものが、いろいろある。
ADだった僕は、その一部を少しだけ覗いてしまった。
でも、今なら分かる。
知らないほうがいいこともある。
そして、見えていなかったものを、あとから考え直すこともある。
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#38 (余談) 「ADをゴミ扱いの放送作家と20年ぶりに再会」
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『氷河期世代AD、テレビの片隅で。全話まとめ』
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