
#197【雑記】「不惑の四十」と言うけれど、50代では何と言う?! ~歳の節目を考える、孔子と東洋医学への雑感~
「不惑の四十」とは、「四十にして心惑わず。」という意味。どこかで聞いたことがあるはず。では、50代では何と言うのか?!
これは、意外と知られていない。
50代は、「知命」と表す。
これらは、孔子の論語の一節、「歳の節目」についての段から派生している。
孔子曰く、「15歳の時、学問で立身しようと志し、30歳で学問の基礎が培われて自立し、40歳の時に、心の迷いがなくなった。」
この一説から、15歳のことを「志学」、30歳のことを「而立(じりつ)」、40歳のことを「不惑(ふわく)」と呼ばれるようになった。
以降、
50歳は、天が自分に与えた使命を悟った「知命(ちめい)」ー。
60歳は、人の意見を素直に聞けるようになった「耳順(じじゅん)」ー。
70歳は、自分の欲望のままに行動したとしても、礼を外すことがなくなった「従心(じゅうしん)」ー。
今、自分、50代後半戦、「天が自分に与えた使命を悟った」と言われれば、「まぁまぁそういう歳かな?」と思わなくもないが、「人の意見を素直に聞けるようになった「耳順」60代には、あんまり心当たりがないかなーw
むしろ、良くも悪くも、仕上がった”手強さ”を感じるw
『自分の欲望のままに行動したとしても、礼を外すことがなくなった従心』の70歳・・・、いや、欲望のままに行動して、「礼」を外しまくりの70代なら、結構、知ってます・・・😅
むしろ、歳をとると、色々と”タガ”が外れていくと思うなw
そこを、どうセルフコントロールしていけるか?が、「老いの勝負どころ」
なのだろう。
「歳の節目」と言えば、東洋医学では、「女性は7、男性は8の倍数で体調が変化していく。」という考え方がある。
女性でいうなら、7×7=49歳から7×8=56歳が、ちょうど「更年期」が重なる時期。7×10=70歳から7×11=77歳は、大病を患いやすい時期。この期間を無事に過ごせた事を祝う事から、77歳は「喜寿」と言われる。
なので、「喜寿」というのは、女性にとって、とても大切な祝い事なのだそうだ。
対して男性は、8×6=48歳から老化が始まり、8×7=56歳には、精力の減退、ホルモンバランスの著しい崩れによる体調不良(男性の更年期)、8×8=64歳には、大病を患いやすくなり、8×9=72歳には、「健康寿命」が尽きるという。
東洋医学的にも、男性の方が老化が早く進み、「寿命が短い」という認識。
「言われてみれば、何となく・・・💧」そう心当たりがなくもない。
これら「東洋医学」の理論は、『黄帝内経』という中国最古の医学書に記されている。
🔳中国最古の医学書『黄帝内経』。
西暦762年唐の時代に編さんされたものが、1部、現存している。(日本では「奈良時代」、「光る君へ」の平安時代よりも、もっと前ですな。)
『黄帝内経』の一部は、日本にも渡っており、後の陰陽学、暦学、神道などと結びついて、「厄年」という概念が誕生したのではないか?と、私的には推察している。
🔳黄帝内経で示された「未病」という医学的概念。
「聖人は”既病”を治すのではなく、”未病”を治す」
”優れた医術者は、既に症状が出ている病(既病)を、治すのではなく、体内にあるのに、まだ症状が体表面に出ていない「未病」を治せる"という意。
この理論は、発症前期間が10年~20年あるとされる『認知症』のことにも通じていると感じる。ま、認知症の根治は出来ないのだが。
以前、「老人性うつ病」から「認知症」に進行し、それまで、大人しい性格だった母が、一転して、ギャン泣きする、キレまくる、ののしり口を叩く、など喜怒哀楽が激しくなり、手がつけられなくなった時分、主治医に頼んで、医療用漢方薬『ツムラ抑肝散加陳皮半夏エキス顆粒」を処方してもらった。
元々は、赤ちゃんの「夜泣き」、「疳の虫」を抑える薬として、調合された、鎮静作用のある漢方薬だ。
その後、最終的には「クエチアピン」「デエビコ錠(眠剤)」との併用にはなったものの、「抑肝散加陳皮半夏」は、一定期間、母の辛いBPSD周辺症状をよく抑え、認知症の進行を抑制してくれたものと感じている。
「黄帝内経」で記された「未病」という概念の下、数千年をかけて精錬された「漢方薬」が、現代を生きる私達の心身にも、穏やかに作用し、痛みや苦痛を和らげてくれるというのは、思えば何ともミラクルな話だ。(こういう所に、ある種の”ロマン”を感じるw)
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『黄帝内経』は、読んで字の如く、時の皇帝、「黄帝」の命によって作られた「東洋医学大事典」の様なものだ。「黄帝」は、偉大な医学者でもあったとされている。
めちゃくちゃくたばった時に頼りにしている「ユ○ケ○黄帝液」の「黄帝」は、この「皇帝の名」に由来している。
(って、知らなかったねーw)
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その黄帝が、側近の学者、岐伯に訊ねたことが、黄帝内経の序章に記されている。
黄帝曰く、
「昔の人はたとえ百歳を超えても健やかに暮らしていたのに、なぜ今を生きる多くの人は50歳くらいで衰えてしまうのか?」
なんとw
2000年も前の書物で、「昔の人は100歳も生きたのに、なんで今の人は50歳位で衰えるのか?」と問うていること自体にビックリwww
では、3000年位前の中国では、100歳超えの爺婆が、わんさかいたということか?!「嘘だろぉぉぉう?www」と、爆笑を禁じ得ない。
しかし、黄帝の問いに応えた岐伯の言葉にハッとする。
岐伯曰く、
「かつての人々は養生の心得がありました。節度のある飲食、規則正しい寝起き、無理をしない暮しでした。それに引き換え、今の人々は体を酷使し、情欲に溺れ、いっときの快楽をよしとしている。だから早々に衰えるのです。」
ー それに引き換え、今の人々は体を酷使し、情欲に溺れ、いっときの快楽をよしとしている。だから早々に衰えるのです!!💢ー
”はい!ソレ、二千年後を生きている、あたしぃ~😅”
いやはや、まさか、二千年も前に書かれた医学書で、ズバリ”指摘される”とは思わなかったわー。(人類は進化してないんだなw)
さらに、岐伯は、「未病」の概念を「国政のあり方」にまで進化させ、「良い養生は病気になってから治療するのではなく、病になる前に予防すること。これは国を統治するのと同じで、世の中が乱れてから対策をとるのでは遅い。」という主旨を、黄帝に進言している。
これもまた、然りというべきか・・・。
現代の世にあって、色々と納得。
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「不惑の四十」を論じた「孔子」が活躍したのは、紀元前550年当たりの「春秋時代」、それから、約1千年後に、編さんされた東洋医学の祖、「黄帝内経」。
以前、記事で紹介した「推しメン🩷」の『水月観音菩薩半跏像』も、この「黄帝内経」が編さんされた時代のものと推定されている。

この時代の中国文化、歴史、学問は、ちょっとづつ、かじっても、本当に、”美味しゅうございます🩷”w
以上、わたくしの”レスパイトタイム”に、おつきあいいただき、
ありがとうございました。🥰
※今回、参考にさせていただいた記事⬇️⬇️⬇️
やるな!🤩養命酒さんw