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社会は、力がすべて

    この歳になってつくづく感じます。
    「結局、力がすべてだな」と。
    あれですよ。
    「正義が勝つんじゃない。勝ったほうが正義になる。」というやつですよ。

    僕が言う「力」にはいろんなものが含まれます。
    権力がメインですが、暴力みたいな物理的な力も含まれます。脅迫によって相手を萎縮させるという非物理的な暴力も含まれます。

    「シンプルでつまらないな。」と感じます。
    結局、ここに着地するのか、と。
    パサパサに乾いた世界だな、と。

    力には力で対抗するしかないと思います。
    世の中はそのせめぎ合いだと思います。

    道徳やらモラルやら良識的な意識やら、そんなようなものも、しょせんは力です。
    消費者から「そんな商品は倫理に反するから買わない。」と言われたら、企業は商品を改善しないといけません。
    これは企業に倫理があるからではありません。
    株主総会とかで怒られたりするかもしれないという恐怖の力で動きを変えただけです。ちょっと会社の仕組みの解像度が低くてあれですけど。

    社会はどんどん倫理的になってきていると思います。
    僕が子供のころのテレビ番組なんて、いまの基準で見たらとんでもなかったですよ。
    深夜になるとAVみたいな映像が流れてました。

    アニメの中でも「オカマ」といった言葉なんて当たり前のように出てきてました。

    たぶん、2012年ぐらいのことかな・・・。もっと昔のことかな。
    内田樹さんという思想家の本かブログの中に

    「ポリティカル・コレクトネス」

    という言葉が出てきたんです。

    そのときに初めてその言葉を見て、「面白い言葉だな。」と思って、すぐに意味を調べました。
    そのとき僕は「まぁ、こんなのはアメリカの一部の意識が高い変わり者たちが考えることだろう。」みたいなことを考えていたと思います。

    そのあとポリコレはパンデミックのように世界中に拡散しましたね。

    僕はマルクス・ガブリエルという哲学者が好きで、彼の本は何冊か読みました。
    彼は「倫理資本主義」といった概念をよく提示します。
    彼の考え方は「社会は、より良い方向を目指せば、自ずと、倫理的なるものに収束していくだろう。」みたいなものだと僕は理解しています。

    彼は何かのインタビューで「これからは企業の経営に、哲学者が関わることもあり得るだろう。」みたいなことも言っていたと思います。

    彼の予想は正しいと思います。

    スティーブン・ピンカーの話は長くなるので割愛します。

    でもね、僕は思うんですよ。
    「倫理って、まあまあ暴力的だよね。」と。
    現代の倫理は新しい暴力だと思います。
    我々は倫理の高さの位置エネルギーを使って、他者を攻撃できるようになったのです。

    ゲームチェンジですね。
    世の中から暴力が減ったわけではないと思います。
    人類は、暴力も選択肢の一部に取り込んだゲームを延々とやってきたと僕は考えています。
    世の中から暴力が減ったわけではなく、暴力の形が変化して、ゲームのルールが変わっただけで、依然として人類は「暴力も選択肢の一部に取り込んだゲーム」をやり続けているだけだと思います。

    たとえば「女性に対して、『髪切った?』と聞くのはセクハラです。」という考え方があります。
    少し前は「なんで、その程度でセクハラなんだよ。」と言っていたおじさんも多かったと思います。
    でも、もう見かけませんね。
    なぜ、もう、そういうおじさんを見かけなくなったのか。
    セクハラに限らず、世の中の多くの人たちが、

    世の中の意識の変化に合わせて自分の言動を変化させることができなかった人たちが公開処刑されて社会の表舞台から追放される光景を何度も何度も見てきたからです。

    恐怖という力が、倫理観を変えました。
    人々が倫理を学んだからではありません。
    間違いなく、恐怖の力が多くの人の考え方を変えました。
    経緯はなんであれ、それも立派な倫理観です。
    倫理なんてそんなもんだと思ってます。
    超自我により統制された理性でしょう。
    僕はそれを「悪い」と言っているわけではありません。
    「なんだかなー、やってらんねぇな。」という気分を表現しているわけでもありません。
    昔からそんなものだと思います。
    冒頭で書いた「パサパサに乾いた世界だな」という感覚はありますけどね。

    ここから話が逸れます。

    このへんの話は、永井均さんという哲学者が書いた
    『ルサンチマンの哲学』という本に書かれているので、興味がある方はぜひ読んでみてください。

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    もう、なかなか手に入らないかもしれないですが。

    高校生のころ「世の中、クソだ。」と思っていたとき、書店で「道徳とは復讐である。」と書かれた帯がついたこの本を見て「これだ!」と思って迷わず買ったものです。

    数ヶ月前に部屋の中の本の山からこれを発見して「君、こんなところにいたのか!」と感動して再読しました。
    涙が出るほど面白くて、若かりしころの自分の感性を思い出して、ノスタルジーと喜びを感じました。

    話がかなり逸れましたね。

    僕は「人々の心が善良になったから、社会は少しずつ良くなっていった。」とは思いません。
    そういう考え方に対しては「どれほど馬鹿だとそういう考え方になるの?」と思います。かなり怒り気味で。

    この虚しさは、僕にはまだ、うまく言葉にできません。

    けっこう長い文章になりましたね。
    僕はいつもこんなようなことばかり考えています。
    なぜなら、僕の人格の根っこには暴力性があるからです。幼いころからそうでした。
    詳細はここには書けません。

    このテーマは、着地点が見つからず、延々と書き続けることができます。
    際限がないので、ここで切ります。

    おわり。

     
     
    町役場の職員。退職予定。ひどい組織だった。無法地帯。サービス残業当たり前の世界。37歳で手取り27万円。男。神奈川県在住。英語勉強中。このアカウントは人生の実況中継。

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