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『ジャーナリストの条件』を読む(下)~ジャーナリストが忠誠を誓う相手とは?

    「ジャーナリズム研究会」は2026年5月と7月、『ジャーナリストの条件 時代を超える10の原則』(新潮社、ビル・コバッチ、トム・ローゼンスティール著、原題”The Elements of Journalism”)の輪読会を開きました。

    前回の配信がこれです。

    (上)に続いて、その時の議論に若干の補足をした(下)をお届けします。

    忠誠と独立

     学生C
    「ジャーナリズムの第一の忠誠は、市民に対するものである」
    をテーマとする章を読みました。

    ポイントになると思ったのは次のくだりです。 

    市民への忠誠こそ、私たちがジャーナリズムの独立と呼ぶに至ったものの意味である。

    この独立は自分の利益のためではないが、逆に誰の利益にもならないものでもない。市民への献身の一形態だ。

    これもまた人々の誤解を受ける。

    ジャーナリズムの独立という言葉は別の概念の同義語として使われることも多い。つながりを持たない、関心を持たない、距離を置く、あるいは中立だ。

    これらの言葉は、皮肉なことに、ジャーナリズムの知的独立の真の意味に対するいい加減な理解につながっている。

    プロのジャーナリストたちまでこの誤解を人々に広め、当然ながら市民たちは疑念を持ち、さらには冷笑的になり、怒ることとなり、その結果、ジャーナリストたちの悲痛の原因を作り出している。

    そのうえで、著者は「信頼」についてこう述べています。

    ジャーナリズムが生み出すものにとって大切なのは信頼──伝えられた中身は偽りがなく、よく考えられ、生きていく上で役立つという感覚である。

    この信頼の鍵になるのは、報道判断が、いかに欠点があるにせよ独立してなされ、儲けや政治や他の隠れた思惑には関係ないということ、そして、目にしている報道にはさりげないプロダクト・プレースメント〔スポンサー製品をそれとなく映像内に配置する宣伝手法〕や、営業や政治がらみの改変はされていないという感覚だ。


    ここで指摘されていることを3点にをまとめました。

    ・ジャーナリズムの独立を支えているのは市民への忠誠だ。
    ・しかし、「独立」が「無関心・中立・距離を置く」ことと同じような意味で使われるようになったことで、ジャーナリストは市民たちの信頼を失った。
    ・大切なのは信頼である。その鍵は、報道にあたって独立した判断がなされることであり、そこに、政治的思惑や儲けたいという計算とは無関係であるということだ。


    ここを押さえたうえで、皆さんに提起したいのは、次の点です。

    SNSによって、「市民の市民に対する直接的な情報発信」が簡単にできるようになったいま、報道機関に問われる「市民への忠誠」というのは、SNSと市民との関係と比べると、どのように差別化、可視化されるのでしょうか?

    市民のための発信か

    大学院生E
    SNSでは確かに「市民が」「市民に対して」直接の発信をすることができます。

    ただ、「市民のため」の発信という点で考えると、ユーザーたちがみな、本当に責任を持って発信しているのかどうか、疑問に思わざるを得ません。

    偽情報や誤情報、誹謗中傷などの現状をみるにつけ、そうは見えないなと思います。

    責任を第三者に任せる、負わせる形の発信となっているところがあります。

    むしろSNS全盛時代になって、責任を持って発信できる組織にしかできないことは何か、という点が、はっきりしてきたのではないでしょうか。

    「こちら側の書き方」が通じない

    社会人大学院生D
    「忠誠」という言葉を考えるとき、やはり、いまの時代は、プラットフォームに行き着きますよね。

    「読者」が二段階構造になっています。

    いままで、たとえば朝日新聞なら朝日の購読者に向けて、毎日新聞なら毎日の購読者に向けて発信してきたわけですが、さまざまなプラットフォームができたことで、各紙の購読者以外もプラットフォームやSNS空間で、その媒体の記事を読めるようになりました。

    いいことと悪いことがあります。

    これは、新聞社がもともと想定していた読者よりも、もっとずっと広い層に記事が伝わる、リーチできる、そんな状況を迎えたことを意味しています。

    一方で、たとえばこれまで朝日なり読売なりの読者だったら、それぞれが受け入れてくれていた理屈、論理、書き方というものがあると思うのですが、それを許してくれない、認めない、そんな新しい読み手が登場しました。


    記者たちからすれば、「こちら側」の媒体の文脈や書き方には同意できない人、そうしたことにはまったくなじみのない人たちが増えてきたことになり、書き方、伝え方、報じ方が難しくなってきたのかな、という感じもしています。

    そのとき、果たして「市民への忠誠」とは何だろうか、という問いが出てきます。

    それをもう一回問い直し、とらえ直さなければならない。そんな状況になっていることはわかっているのですが、私のなかでは、いまだにはっきりした答えを見つけられません。

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    対立軸の不在

    西村陽一氏(朝日新聞の米ロ特派員、編集局長、常務取締役、ハフポストジャパン代表取締役、東京大学大学院客員教授など歴任)

    本書の著者は「市民」をこんな風に定義しています。

    法律上の意味ではない。
    市民の権利と責務を背景とし、法的地位や在留資格にかかわらず、公共の一員という意味で用いる。

    「市民」への忠誠というのは、もともとは、ジャーナリストは政治権力、広告主やスポンサー、経営者の方を向いて仕事をすべきではない、市民のために記事を書くのだ、という考えから来ています。

    ここでは、「市民」と「政治権力者、広告主・スポンサー、経営者」とが、対峙する位置にいます。


    フラットなSNS空間には基本的にこの対立軸はありません。

    情報の発信者であり消費者でもあるユーザーたちが意識するのは「忠誠」ではなく、まずは「速報性」「拡散性」「一人称」「双方向性」といった発信に伴うかたちです。

    では、Cさんが提起した「差異化」とはどこにあるのでしょうか?

    検証の規律

    本書には、「市民」への忠誠を形づくるものとして、ジャーナリズムにおける事実確認と検証の規律を挙げています。

    1 もともとなかったものは決して付け加えない
    2 読者・視聴者を決して欺かない
    3 自分の方法と動機をできるだけ透明に開示する
    4 自分自身の独自の取材に依拠する
    5 謙虚さを保つ

    もちろん、SNSで実名発信をしているプロフェッショナルの職業人のなかにはこの種の規律を自らに課している人たちがいます。

    一方で、プロのジャーナリストを自称しながら、こうした規律に目をつむっている人々もいます。

    ただ総じて、一次情報の速報性、拡散力、分散性を強みとするSNSプレイヤーたちに対して、伝統的な報道機関の強みは、時間と労力をかけて事実を確認しながら積み上げ、検証し、歴史的な文脈と公共的な構図の中に位置づける、というプロセスの重みのなかにあるはずです。

    プロセスの重み

    ここでいう「重み」とは、単発の事実確認の精度がいいか悪いかといった次元でなく、ひとつひとつの事実を編み上げ、検証していく持続的な取材プロセスそのもののなかにあります。

    さきほど取り上げたウォーターゲート事件報道、ペンタゴンペーパーズ報道、田中角栄金脈研究、リクルート事件報道、あるいは最近でいえば、財務省公文書改ざん報道などは、一度きりのリークではなく、半年や一年単位の、地を這う裏付け取材の成果といえます。

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    この「重み」こそが、市民への「忠誠」を規範として掲げる伝統メディアと、市民が市民に直接情報を届けるフラットなSNS空間との差別化のあるべき核心といえませんか?

    アルゴリズムへの忠誠

    プラットフォーム経済においては、巨大プラットフォーマーやビッグテックが設計したアルゴリズムが、「アテンション・エコノミー」に合わせる形でコンテンツを選び、拡散させ、発信者に収益をもたらす構造になっています。

    このエコシステムのなかでは、SNS空間の住民たちの「忠誠」は、いわゆる規範的なものではなく、アルゴリズムの導くものへと向かわざるを得ない、そんな構造になっています。

    「アテンション・エコノミー」の設計そのものが、意図とは別に「忠誠」の方向を決めていることになります。

    「市民への忠誠」とビジネスモデル

    ただ、伝統メディアが「市民への忠誠」をどこまで保てるか、それは、編集局の姿勢や記者個人の職業倫理といった規範の問題だけでなく、メディアの収益構造にも大きくかかわってきます。

    伝統メディアが、PVやインプレッションに連動する広告収入や巨大プラットフォーマーからの送客に大きく頼っているようでは、「アテンション・エコノミー」の磁場に引き寄せられていきます。


    これに対し、有料購読(サブスク)モデルの収益構造をつくりあげ、自らのコミュニティと直接のつながりを継続できる媒体は、「市民への忠誠」を保ちやすい立場にあるといえるでしょう。

    もちろん、有料購読者数の伸びが頭打ちになっているメディアもあります。

    だからといって、有料購読モデルに将来はないと断定するのではなく、このサブスクモデルでどのような条件をとれば成長が可能なのか、という問いを立てることが求められます。

    Cさんが提起してくれた「市民への忠誠」の差別化、という問題は、ビジネスモデルの問題と切り離しては語れない、という結論になりますね。

    報道の「不作為」と「沈黙」

    さきほど、監視犬(watchdog)ジャーナリズムと、その機能が危機に瀕しているという話をしました。

    主要な新聞、テレビが、本来の監視機能を果たせずに、報道の「不作為」や「沈黙」が起きるときがあります。

    SNS空間のプレイヤーたち、日本の場合はさらに週刊文春に代表される雑誌ジャーナリズムが、その「不作為」や「沈黙」を監視し、追及するということがよくあります。

    ジャニー喜多川の性加害問題がまさにそうでした。

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    いまでは記者会見も、ホワイトハウスであれ、首相官邸であれ、ライブで中継されます。

    記者の質問の甘さ、追及の緩さ、独りよがりの質問、演説や独演会のような質問もすべてライブでネットに流れます。そんなときも伝統メディアはSNSでリアルタイムで批判されます。

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    https://www.swissinfo.ch/spa/ofensiva-de-donald-trump-contra-la-prensa-tradicional-en-sus-primeros-100-d%C3%ADas/89198025?utm_source=chatgpt.com

    相互監視の構造

    批判のための批判、事実を検証しないまま拡散される非難、特定の記者に対する誹謗中傷ではなくて、伝統メディアは果たして監視機能をしっかり果たしているのかという点を、SNS空間で市民が監視する、さらには、その市民たちの監視を、今度は専門家や別の媒体がまたチェックする。

    そんな多層構造の関係ができれば、伝統メディアとSNSが単なる対立を超えた議論ができるのではないかと思います。

    プラットフォーマーは忠誠の担い手か

    学生C
    「忠誠」について、もうひとつ付け加えると、プラットフォーム企業とは、こうした「忠誠」の担い手となり得るのか、という疑問が私にはあります。

    そこで問題提起したいのは次の点です。

    そもそも巨大プラットフォーマー、ソーシャルプラットフォーム企業は、本書が前提としている「報道機関」に当たるのでしょうか?

    プラットフォーム企業がしていることは「発信」なのでしょうか?

    アルゴリズムをつくり、どういうニュースをだれに見せるのかを、デザインし、ときにコントロールしている彼らにとって、「忠誠」の相手とはいったいだれなのでしょうか?

    本書で描かれている報道機関、プロのジャーナリストたちと、どこが共通していて、どこが違うのでしょうか?

    プラットフォーマーの成功の条件

    西村氏
    そもそもプラットフォーム企業というのは「場所貸し」ですよね。

    フェイスブック(メタ)やグーグルなどの巨大プラットフォーマーの主張をまるめていうとこうなります。

    「プラットフォーム上に流れるコンテンツは、他者が投稿したものであり、われわれはその発信者(パブリッシャー)ではない。われわれが提供しているのは、アイデアや意見のマーケット(市場)であり、ここで自由に議論してもらっている。だから、第三者のコンテンツの内容についてわれわれは責任を負わないし、その免責は法律(米通信品位法230条)」で定められている」

    ですから、Cさんの質問に答えるなら、彼らは報道機関、メディア、パブリッシャーではありません。


    さきほど、報道機関のジャーナリストが市民に忠誠を誓うためには、事実確認と検証の規律をみずからに課すこと、その責任とコストを負うことが必要だという話をしました。

    それが可能になる条件は何か?

    そのためには、PV頼みの広告収益やプラットフォーマーからの送客に依存する体質を克服して、読者と直接の関係を結んでコミュニティを幾重にも築けるような購読モデルに変えていかなければならない、という話をしました。


    これに対して、プラットフォーム企業の「成功」とは何でしょうか?

    それは、人々を自分のプラットフォームにできるだけ長く居続けさせること、よそのプラットフォームに移動させないことです。

    その成功のために、彼らは、アルゴリズムを駆使して、ユーザーの関心、注目を引き付けます。そして、それが広告として収益に化けるという構造になっています。

    これがアテンション・エコノミーです。

    アルゴリズムのブラックボックス

    何を「おすすめ」にするか、何を表示しないか、フィードの順番はどうするか、そういった彼らなりの「編集行為」は、アルゴリズムによって行われます。

    そのアルゴリズムに透明性はありません。

    ブラックボックスそのものです。

    プラットフォーマーの設計構造が、ユーザーを「アルゴリズムへの忠誠」へと誘導させるものである以上、Cさんのもうひとつの質問、「プラットフォーマーは忠誠の担い手たりうるか」という問いに対しても、ノーということになります。

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    注:
    アルゴリズムが「ブラックボックス化」している問題については、EUが「デジタルサービス法」をつくり、巨大プラットフォーマーに対して、研究者にデータを開示するよう定めました。制度としてひとつの風穴を空けたとは思うのですが、実際にはあまり機能していないと聞いています。

    読者が「忠誠」を誓う?

    学生A
     ここまでは、職業ジャーナリストがだれに「忠誠」を誓うのか、という議論ですが、逆に、読者・視聴者である私がどこに「忠誠」を感じるのか、という点を考えてみました。

    いま、手元にないのですが、以前、東大の学生の研究で、人がヤフーなどのプラットフォームを見るときの視線を計測したそうです。

    結果的に新聞社やテレビ局といった出稿元への信頼よりも、プラットフォームそのものへの信頼が強いために、情報を信じこんでしまうことがある、といった結論に落ち着いたとのことでした。

    ただ、私自身は、記事の出稿元や媒体名を見ますし、同じヤフー上でも、「読売新聞なら読む」「〇〇のまとめサイトなら読まない」という形で取捨選択の判断をしています。

     ですから、読者、ユーザーとしての私の場合、プラットフォーム自体に「忠誠」を持っているのではなく、プラットフォーム経由で流れてくる特定の新聞社やテレビ局に対して「忠誠」を抱いているのではないのかなと思っています。

    ロイヤルティと信頼

    西村氏
    Aさんの言いたいことはよくわかります。

    一点、「忠誠」という言葉です。

    英語ではloyalですが、プロのジャーナリストが市民に対して抱く「忠誠」と、読者・視聴者・ユーザーであるAさんが、プラットフォームではなく、プラットフォーム上で提供されている特定の媒体に「loyalty」を感じるという場合とでは、ニュアンスが違いますよね。

    後者のloyaltyは、日本語でいう「忠誠」というよりは、コアな読者、愛読者、長期間の固定読者、忠実な読者、そんなニュアンスになるでしょうか。


    だれのために記事を書いているのか、という「忠誠」は、記者の職業的な倫理や規範の問題となります。

    それに対して、読者としての愛着、顧客としてのロイヤルティの場合は、その媒体のファンとして、継続的に、習慣として、その媒体を選ぶ、購読するということになります。


    「ジャーナリズムが信頼されるには独立した判断が求められ、その独立があってはじめてジャーナリストは市民に忠誠を誓える」というのが、本書の指摘でした。

    逆に、読者が媒体にloyaltyを感じるためには媒体への信頼がなければなりません。

    同じloyaltyといっても、ベクトルやニュアンスは違うのですが、ともに「信頼」が重要な鍵を握るということですね。

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    いま、Aさんから愛読者、コア読者に関する面白い問題提起がありました。

    ひと口に読者といっても、狭い意味の読者、もっと広義の読者、いろいろな読者像があると思うんですよね。

    「読者」とは誰なのか

    そもそも、記者にとって「忠誠を誓う」相手という場合、パッと頭に浮かぶのは、抽象的な「市民」というよりは、普通は、読者とか購読者、視聴者なわけです。

    「市民」の前に「読者」ということを考えたときに思い出すことがあります。


    ここにいる皆さんの何人が知っているかどうか、わかりませんが、12年前に、私が以前所属していた朝日新聞が過去の誤報の検証内容や社外筆者コラムの掲載先送りなどをめぐって、ものすごく深刻な信頼危機に陥ったことがありました。

    そのとき、「私たちの読者とはだれなのか」という問いをたて、改めてその再定義作業をしたことがあったんです。

    当時、私が社内外でしゃべった内容は次のようなことでした。

    私たちは、読者とは誰なのかを、忘れてしまったのではないでしょうか。
    いつのまにか、自分たちの長年の熱心な購読者だけ、今回の事件をきっかけに契約をやめてしまったかつての読者だけに、ロイヤルティ、忠誠を誓ってはいないでしょうか。
    それでは、私たちのしていることは、閉ざされたサークルのジャーナリズムになってしまいます。
    私たちが忠誠を誓うべきなのは、コア読者の外側に、同心円状に限りなく外へ外へと広がっている潜在的な読者、そもそも新聞と全く接点がなくて、ネットやSNSで一日に一本か二本くらいしか私たちの記事を読まない通りすがりの読者、購読者ではないけれども私たちが報じている社会課題の解決に同じように取り組んでいる各地の人々、リベラルか保守か、左か右かを問わず私たちを厳しく批判している人たちです。
    こういった人たちに向けて、伝え、対話をしなければならない。
    これは、「読者」を広い意味に再定義し、世間に読者像を広げ、それによってもう一度、読者を知ることにつながると思います。

    孤独を感じる発信作業

    社会人メンバーF(マスコミ勤務)
    私はまだキャリアが浅いのですが、発信という作業は孤独だな、と思うことがままあります。

    反応がよく分からないし、「市民」という前に、コアとなる読者・視聴者の顔すら、まだよく見えません。

    会社にいると、思っていたよりも一方向のコミュニケーションなのかな、というところが最初の印象でした。

    一方で、プラットフォームが発達したことで、まずコアとなる読者・視聴者、次いで既存のメディアに批判的な人たちというように、ようやく、少しずつそうした人たちの顔も見えてきたのかなという、プラットフォームの効用のようなものも感じています。

    とはいえ、「市民」の定義がなんであれ、自分たちがコンテンツを送っている人たちをどんな風にイメージすればいいのか、とくにSNSで批判的な声ばかりが飛び交うときには考えてしまいます。

    まだ読者に届いていない

    西村氏
    私やDさんの若いころと違って、いまは、若い世代の記者やディレクターたちも、直接のリアクションやSNS空間での反応も含め、読者・視聴者・ユーザーのさまざまな声に直接触れ、その分析結果にアクセスし、読者・視聴者コミュニティのイベントで彼らと直接対話する機会が格段に増えてきたと思います。

    Fさんも、配信の後に仕事が始まるくらいの構えで対話を重ね、読者・視聴者・ユーザー像を想像してみてください。


    さきほど、読者の再定義について、12年前に私がしゃべったことを紹介しました。

    既存メディアはいまだに、読者像や配信媒体に合わせて語り口や伝え方を変える機動性や柔軟性に欠けているところがあり、そうしたことがまだまだ不得手です。

    だから、世間の広い意味での読者や視聴者までなかなか届かない。

    ニュースクリエイターという人種

    そうこうしているうちに、世界各国では、伝統メディアを飛び出して、動画プラットフォームやソーシャルメディアを足場に、ニュースクリエイター、ニュースのインフルエンサーとして活躍しているジャーナリストがたくさん出てきました。

    同時に、ジャーナリストとニュースクリエイターの境界があいまいになってきました。


    以前、この研究会では、オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所の年次報告書を輪読したことがありました。

    この研究所が最近、世界の「ニュースクリエイター」について、なかなか面白い調査を全世界レベルで行っています。

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    https://reutersinstitute.politics.ox.ac.uk/news-creators-influencers/2025/mapping-news-creators-and-influencers-social-and-video-networks?utm_source=chatgpt.com

    日本も含む24カ国が対象なのですが、もちろん、国によって、彼らの知名度や影響力、注目度はばらばらです。


    海外では、メジャーなフリージャーナリスト、左右の政治評論家、ポッドキャスター、インタビュアーなどの多種多様な人たちが、政治・経済からテクノロジー、エンタメ、スポーツなど、実に多彩な分野のニュースの取材・解説や論評をしていて、新興の「ニュースクリエイター」としての存在感を高めていることが、この調査を見るとよくわかります。

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    https://reutersinstitute.politics.ox.ac.uk/news-creators-influencers/2025/mapping-news-creators-and-influencers-social-and-video-networks?utm_source=chatgpt.com

    ところで、日本での調査で名前が最も多く挙がっていたのは誰だったと思いますか?

    大学院生B
    田原総一朗さん?
     
    西村氏
    Bさんの世代にしては渋い人を挙げるね。

    この調査で、日本で最もたくさんの言及があった個人は、ひろゆき(西村博之)とホリエモン(堀江貴文)の両氏でした。

    他国では、「ニュースクリエイター」「ニュースインフルエンサー」といっても、たとえば米国なら、タッカー・カールソンやジョー・ローガン、ジョニー・ハリス、英国のラッセル・ブランド、フランスのユーゴ・トラバース、インドのラビシュ・クマルなど、皆さんにはなじみのない名前もあると思いますが、政治や経済、紛争などに関するニュース解説・論評、動画を使った調査報道、サッカー、政治風刺、Z世代向け法律解説、宗教、フェイクニュースの暴露、インターネット文化、スタートアップなど、さまざまな分野で影響力のある個人の名前がたくさん挙がっていました。

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    https://www.reutersagency.com/hubfs/Newman%20et%20al%20Mapping%20News%20Creators%20and%20Influencers.pdf?utm_source=chatgpt.com

    「脱藩」したジャーナリストたち

    海外では、組織ジャーナリストが独立して、ポッドキャスト、YouTube、X,TikTok、フェイスブックなどでニュース発信を始めたケースがたくさんあります。独立した人たちの多くは、主流派メディアを手厳しく批判しているようです。

    私自身は、ガーディアンとフィナンシャル・タイムズという英国の二大メディアの二人の元編集長が独立して始めたポッドキャストはよく聞いています。

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    アラン・ラスブリッジャー元ガーディアン編集長
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    ライオネル・バーバー元フィナンシャル・タイムズ編集長

    もちろん、世界を広く見れば、扇情的な陰謀論や虚偽情報を流すインフルエンサーも多いし、何の付加価値もつけず、情報の孫引きや2次情報の単なる紹介だけにとどまっている人も多いのですが、全般的にこうした新しい動きは、ユーザーにとっては、選択肢が増えることも意味しています。

    それに、すぐれたコンテンツは伝統メディアにもいい刺激を与えています。

    独立して見えたもの

    組織ジャーナリストだった人が、独立してわかったこととしてよく言っているのが、「読者や視聴者の直接のリアクション、彼らとのつながりが、会社にいるときよりもはっきり見えてきた」「そうした人たちに向けてどういう出し方をすればいいのかということをより深く勉強するようになった」といったことでした。

    かつて組織にいたジャーナリストにとっては、見えてくる顔が違ってきた、ということです。


    こうした新しい動きに目を向けたうえで、ここでもう一度、本書が強調している「市民」とは何かについて考えてみてください。

    「忠誠」という言葉を使うかどうかは別にしても、組織ジャーナリストも、組織を「脱藩」して新興の独立ニュースクリエイターとして活躍している人たちも、究極的には、民主主義社会の主役としての市民、主権者としての市民を意識するという点では、変わらないのではないでしょうか?


    この点をきちんと押さえたうえで、既存メディア、伝統メディアは、ニュースクリエイターたちが日々進化させている配信の手段や方法、ツールを貪欲に学ぶべきでしょう。

    経営者は、数が大幅に減っている現場の記者にあれもこれもやらせて疲弊させるよりは、少数の優れたニュースクリエイター集団を外部から採用して、中の文化を変えていく方がいいのではないか、いまはそう思っています。

    現に欧米、南米、東南アジアでは、ニュースクリイターたちのエコシステムができつつあるうえ、既存メディアとのさまざまなコラボも始まっているようです。
    (終わり)

    ジャーナリズム研究会のこれまでの配信一覧
    ジャーナリズム研究会|note
    https://note.com/journalism_2023

    【姉妹研究会】
    プラットフォーム研究会|note もぜひご覧ください。
    https://note.com/platform_2022


     
     
    東京大学大学院情報学環で3年間、情報社会論の講義をした西村陽一客員教授(元朝日新聞政治部長、編集局長、常務取締役編集担当。元ハフィントンポスト・ジャパン代表取締役)が主宰し、主に記者を志す東大や早稲田大などの学生や院生、現役の若手・中堅・ベテラン記者たち有志でつくる研究会です。

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