
その14 なぜ、すぐには別れないのか――離脱、発言、掛け金(前編)
経済学者のアルバート・O・ハーシュマンに、『Exit, Voice, and Loyalty』という有名な本がある。1970年に刊行された本である。
日本語では、古い訳書が『組織社会の論理構造――退出・告発・ロイヤルティ』(1975年)である。
その後、改訳新版として刊行されたのが、『離脱・発言・忠誠――企業・組織・国家における衰退への反応』(2005年)である。
旧訳の「組織社会の論理構造」という題名や、「告発」という訳語には、いかにも当時の学術書らしい少し大仰な響きがある。30年後に出された新訳のほうが、原題の素朴さには近いように思う。
題名だけ見ると難しそうだが、考え方そのものはわかりやすい。
あるラーメン屋に通っていたとする。ところが、最近どうも味が落ちた。値段も上がった。店員の態度もよくない。不満がある。
そこで、もうこの店には来ないことにする。これがExitである。新しい訳では「離脱」とされている。
もう一つの方法がある。
「最近、味が変わったんじゃないですか」
「前のほうがよかったですよ」
店の人に文句を言う。こちらがVoiceである。「発言」である。
会社でも同じである。会社に不満がある。辞めるならExit。会社に残って上司や経営陣に改善を求めるならVoiceである。
株式投資にもそのまま当てはまる。投資している会社の経営に不満を持った株主が、株を売ってしまえばExitである。一方、株を持ったまま経営陣に注文をつければVoiceになる。いわゆる「物いう株主」は、Voiceを積極的に使う株主と考えることができる。
恋愛でも同じである。付き合っている相手に不満がある。「そういうところ、直してほしい」と言うならVoiceである。「もう無理」と別れるならExitである。
こうして考えると、ハーシュマンの整理は実に応用範囲が広い。店、会社、株式投資、政党、大学、恋愛。人が何らかの関係の中で不満を持ったとき、そこから出ていくのか、それとも中に残って声を上げるのか。
Exitか、Voiceか。
では、人はどちらを選ぶのだろう。
ここでハーシュマンが持ち出したのがLoyaltyである。新しい訳では「忠誠」とされている。その組織や相手にLoyaltyがあれば、少しくらい不満があっても、すぐにはExitしない。とどまってVoiceを使い、何とか改善してもらおうとする。
なるほど、と思う。
しかし、少し考えてみると、私はここが気になる。
Loyaltyは、どうやってわかるのだろう。
物いう株主が株を売らず、経営陣に改革を迫っているとする。その会社に忠誠心があるからなのか。
単に、いま売るよりも経営を改善させて株価を上げ、それから売ったほうが儲かると思っているだけかもしれない。株を持ち続けているという行動だけを見て、「この株主にはLoyaltyがある」と判定することはできない。
恋愛なら、もっとわかりやすい。相手に不満がある。それでも別れず、何度も話し合っている。まだ相手を愛しているからかもしれない。
しかし、単に別れるのが面倒なのかもしれない。新しい相手を探すのが億劫なのかもしれない。外から見える行動は同じである。
ここに、ハーシュマンの議論の少し甘いところがあるように思う。
(後編に続きます)