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1人になりたいけど、1人になりたくない。〜銭湯が心地いい理由を考えてみる

    私は「銭湯」という場所によく足を運ぶようになった。

    でも1人でリラックスしたいはずなのに、どうしてわざわざ知らない人と同じ湯船に浸かりに銭湯へ行くのだろう?

    今回は、銭湯の心地よさの正体について言葉にしてみる。考えた結果、「1人だけど1人じゃない」という感覚が好きなのではないかと感じている。

    人がたくさんいても意外と1人になれる

    銭湯では、知らない人同士が服を脱ぎ捨てて、全てをさらけ出した状態で同じ空間にいる。みんながスッポンポン。よく考えると、なかなか衝撃的な状況である。

    でも、「裸の付き合い」という言葉があるぐらいだから、銭湯には余計なものを取り除いて人と人の距離を近くする効果がある。銭湯ではないけれど、同じく裸になって入るサウナでは過去に外交の交渉が行われたこともあるそうだ。

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    ▲素敵な記事を引用させていただいています。

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    ところが、私のように人とは仲良くなりたいけれどパーソナルスペースもしっかり確保したいワガママ人間にとって、銭湯は他人との距離感が遠すぎも近すぎもない「ちょうどいい感じ」の場所になっている。

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    画像出典:写真AC

    浴室内では、さまざまなことが忙しなく起こっている。

    ブクブクと弾けるジャグジーの泡、サラサラと波打つ水面、湯船から薄く立ち昇る湯気。カコンカコンと洗面器を鳴らしながら体を洗う客と、楽しげに近況を報告し合っているマダム……。

    ところが一度湯船にゆっくりと入ってしまえば、意識は自然に自分の心の内側へと向いてゆく。黙々とお湯で温まっているうちに、どんなに周りに人がいても孤独になるという不思議な感覚を味わえるのだ。

    時には騒々しく色々な音が心に流れ込んできてしまうけれど、最終的には、お湯に浸かっていれば心の静かさが勝つような気がしている。

    「ちょっとごめんね」も嬉しい

    それじゃあ、どうしてわざわざ周りに人がいる状況で孤独になりたいのか。

    先日、札幌市中央区の「さつき湯」を初めて訪れたときのこと。

    脱衣所で服を脱いでいると、隣にいたおばあさんから「ちょっと頭ごめんね」と優しく話しかけられた。どうやら、おばあさんが使っているロッカーの扉の部分に、ちょうど私の頭が被ってしまっていたらしい。

    同じようなことは札幌市北区の「奥の湯」に言ったときにもあって、おばあさんがちょうど進みたい場所に私が立ってしまっていたので、同じく「ちょっとごめんね」と話しかけられた。

    奥の湯について書いた記事はこちら▼

    この場合、私が迷惑をかけてしまっているので大変申し訳ないのだけれど、この「ちょっとごめんね」と「すみません」のコミュニケーションができたとき、思わず嬉しくなった自分がいた。(積極的に迷惑をかけようという話ではなく、不意打ちの会話が楽しいということを伝えたい)

    それはまるで、世界を孤独に旅しているところで、偶然他の人と一瞬出会ったみたいな感覚に近い。

    その人は私の旅を最後まで見届けてはくれない。ただその瞬間に会って、頑張りましょうね、みたいに声を掛け合って、そうしてまた別々の道を歩いてゆくだけの関係である。

    似たような関係で、「さつき湯」の待合室で風呂から出てくる夫を待っていたとき。私が待合室のソファーに座り、背後のカウンターに座るスタッフの方と2人きりで過ごす静かな時間があった。

    そのときは互いに何も話さなかったのだけれど、近くにいながら各々別のことをしている。その時間がなぜかとても幸せで、めちゃくちゃに心地よかった。

    それは、古本屋の客と店主の関係のよう。私は自分の世界で過ごしているのに、近くには別の世界で過ごしている人がいる。互いには干渉し合わない。それは、1人だけど1人じゃない感覚。その距離感に、私はとても魅力を感じてしまう。

    自分の世界にちょっと予定外のものが紛れ込む心地よさ

    この他人との距離は、本屋や喫茶店、映画館、美術館など、挙げればたくさんの当てはまる場所が出てきそうな気がする。もしかすると、大抵の人が集まる空間は、ほぼ全てこの性質を持っているのかもしれない。

    1人になりたいとき、他の人に急に話しかけられてウッとなることもあるかもしれない。予想外のことが起きて、自分の世界が少し崩れてしまうかもしれない。それでも、自分の世界にはなかった予定外のものが入り込む感じ。そういうものも、もしかすると自分にとっては大切なのかもしれないと思う。

    自分の世界に閉じこもったままでは、考え方がどんどん凝り固まっていってしまうから。そんな考え方もあるよねと、人とぶつかることでしか見えてこないものを抱えて老いてゆきたい。

    そして、かっこつけずにシンプルに言うと、やっぱりずっと1人は寂しいから。だからたまにはこうして銭湯へ足を運んで、ゆるい人の気配を感じながらお風呂でサッパリする。

    1人の世界をきちんと楽しみつつ、その日限りの他の人との唐突なエンカウントも楽しみたいのだ。

    私は今日も、静かに支度をして銭湯へ足を運ぶ。今日は何が起きるだろうとドキドキしながら、凝り固まった頭と体をサッパリさせるために。


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    手触りのあるアナログなものが好き。札幌で生活を大切にするライターです。身の回りのものへの愛! フィルムカメラ|手書きノート|銭湯|ZINE2冊発行|シェア型書店「ぷらっとBOOK」77れもん堂書店|元公務員 🍋ホームページ▷https://lemon71.com

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