メインコンテンツへスキップ
見出し画像

江戸の町のあんな商売こんな商売~江戸の古川柳「誹風柳多留」より

     江戸の町にはいろいろな商売があった。
     江戸の町人のあいだで流行した川柳は、五七五七七の短歌の七七を問題として出し、五七五で答えるもの。現代の川柳と区別して古川柳こせんりゅうといわれる。
     そこに、商売のことを詠よんだ句も多くある。
     柄井川柳からいせんりゅうが選んだ川柳を集めた「誹風柳多留はいふうやなぎたる」から江戸の川柳を紹介する。



    あんまとり いびきをかくと手抜きをし

    2-5あんまとりいびきをきくと手ぬきをし  さわりこそすれさわりこそすれ

     江戸時代には、盲人も普通に生活をしており、金貸しをしているものもいた。一般の盲人の仕事といえば按摩あんまがある。夜、杖つえをつきながら、笛をふいて歩くと、「按摩あんまさん」と声がかかる。
     川柳の問題の七七を前句まえくというが、「さわりこそすれ」という問題になっている。人をさわるといえば按摩あんまさんだろうと、作者はこんな句をつくったのだろう。
     按摩あんまをしていると、お客は気持ちよくなって眠ってしまう。そうすると按摩あんまさんのほうも、ちょっとは手抜きをするだろうと詠よんだ句。

     


    しきみ売り一本出してふりをつけ

    2-393しきみうり壱本いっぽん出してふりを付つけ  はなやかな事はなやかな事

     シキミは常緑樹で、仏前に供える。そのシキミを売り歩く行商人をシキミ売りという。その行商人が、呼ばれてシキミを一本取り出し、枝ぶりをちょいちょいと、はなやかになるように振り付けをし、直している(はなやかな事)。

     田舎から神戸へ来て驚いたことのひとつに、葬式にシキミを立てかけて飾ることだ。今までそんな葬式会場を見たことがなかった。神戸では、というか、関西では葬式にシキミは必需品だった。けれども、コロナ以来、そんなシキミを飾る葬式も少なくなり、家族葬が主体となってきた。青いシキミを飾るよりも、きれいな花を飾る葬儀が増えたように思う。
     葬儀なんてものは、生き残った人が気持ちを落ち着け、おだやかにするためにあるようなものだろう。シキミで心落ち着けばそれでよいし、花がよければ花でよい。
     わたしが死んでも、葬式なんてしなくていい。骨は散骨してくれればいい。
     けれど、わたしがアップした江戸の作品がネット上に残って、少しでも読んでくれる人がいれば、それが今のしあわせとなっている。

     


    樽ひろい さしもの乳母を言いまかし

    3-564樽たるひろひいさしもの乳母うばをいひいまかし  かためこそすれかためこそすれ

     樽たる拾ひろいは、酒屋の小僧で、得意先をまわってリサイクルの空あき樽だるを集めていたことからそう呼ばれる。
     この句の小僧は、ちょっとなまいきで、口数の多い乳母うばと言い争いになったようだ。乳母に言い負かされそうになると、町内を歩いて、いろんなうわさ話を聞いている小僧は、乳母の秘密も聞いているのだろう。それをちょっと出したら、乳母は何も言えなくなってしまった。

     


     江戸の町には、いろいろな商売があり、盲人も当たり前に町を歩いていた。


    タイトル画像は、あんまさんのいる図で、黄表紙「孔子縞于時藍染こうしじまときにあいぞめ」より、



    「誹風柳多留」の古川柳のまとめはこちらの後半部分に今まで紹介したもの全て載せている、


     
     
    神戸からの風。 歓怒の文字は「歓喜」「怒り」「喜怒哀楽」を示し、「かんど」は漢字では「神戸」とも書ける。「感動」とも書ける。 毎週、日曜日、木曜日更新。

    あなたへのおすすめ