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さまざまな商売が生まれた江戸時代を詠む~誹風柳多留の江戸の古川柳より

     江戸時代は町人文化といわれるように、町人が力を持ち出した。町人の商売というものも、いろいろなものが生まれ、それぞれが商売として成立していた。そんな様子を川柳にしたものを紹介する。
     江戸時代の川柳を古川柳こせんりゅうという。七七の問題(前句まえくという)があり、それに対する五七五を一般人がつくり投稿する。優秀作には賞金が出るというものだった。
     その優秀作を集めた「誹風はいふう柳多留やなぎたる」の作品を紹介する。わかりやすい表現にした句と原文の句と前句を並べているが、原文の前の数字は、「誹風柳多留」の巻数と作品番号。

     


    店賃たなちんで言ひいこめられる論語ろんご読み

    5-204 店たなちんでいひいこめられるろんごよみ  だてなことかなだてなことかな

     論語読みとは、儒学者じゅがくしゃのことだが、有名な学者でなければ、近所の子どもに学問を教える、寺子屋のようなことをして生活をしている。今でいう塾の先生のようなものだ。もちろんそれだけでは収入がたかがしれているので、家賃もたまっていく。
     いつもは論語の言葉をつかい、相手をまるめこんでいる先生も、家賃の催促には言い返すこともできず、言い込められてしまった、という句。
     前句の「だてなことかな」というのは、見栄をはったりうわべだけのことをいい、いつもは偉そうに知識をひけらかしている儒者を皮肉ってもいるのだろう。

     


    人形と同じ縞しま着る傀儡師かいらいし

    5-74 人形と同じ嶋しま着るくわいらいしかいらいし  たくさんなことたくさんなこと

     傀儡師かいらいしとは、人形芝居の大道だいどう芸人。首からつるした箱の上で人形を動かす。そういう芸事でも生活ができた。まあ、それでも現代の、売れない芸人と同じで、収入は少なかっただろう。
     その人形が着ている着物の柄がらと、芸人が着ている着物が同じもの。着物を作ったときの余り布で、人形の服を作ったのだろう。そのぐらい厳しい生活をしていた。
     前句は「たくさんなこと」で、人形がたくさんいるのだろうか。それとも人形の服をたくさん作っているのだろうか。たくさんの傀儡師かいらいしが存在していたのだろうか。収入が多くなくても、好きなことができるのは幸せだったのだろうか。

     


    八柄鉦やからがねただ見て通るものでなし

    4-638 八やから鉦がねただ見て通るものでなし  はたらきにけりはたらきにけり

     これまた芸事で生活をしている人物の句。
     八柄鉦やからがねは、八つの鉦がねをつるしていっせいに鳴らしながら踊る大道だいどう芸。見る者は、ただ見るだけでなく、お金をいくらか置かなければならない。
     前句は「はたらきにけり」で、八つの鉦かねを鳴らしている様子は、必死で働いているように見えるのだろう。
     働かざる者食うべからずで、なにがしかの仕事をしながら、貧しいながらも人々は生きていた。

     


     読んで楽しむ黄表紙、見て楽しむ浮世絵、自分で創作する俳句や川柳。江戸の庶民は文化を楽しむようになった。人形芝居や楽曲の大道芸などを楽しむ心の余裕ができてきた。身分社会というしめつけられた中でも、自分たちの楽しみを見つけるバイタリティーあふれる人々。そんな生活の一端をしることができるのが古川柳だろう。
     今の時代に生きる我々も、江戸時代の川柳を知れば、今と同じことにどきどきする江戸の人々の心を知ることもできるかもしれない。

     


    「誹風柳多留」の古川柳のまとめはこちらの後半部分に今まで紹介したもの全て載せている、

     

    タイトル画像は、黄表紙「御存商売物」より

     

     
     
    神戸からの風。 歓怒の文字は「歓喜」「怒り」「喜怒哀楽」を示し、「かんど」は漢字では「神戸」とも書ける。「感動」とも書ける。 毎週、日曜日、木曜日更新。

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