
海外旅行失敗談②3日間10ドルの旅
前作はオーストラリア留学のため、初めて飛行機に乗った時のトラブルでした。
今作はオーストラリア旅行での想定外な貧乏旅行です。
前作に関心がある方は⇩をご参照ください。
バスターミナルでの忘れ物
シドニーで半年間の語学研修とボランティア活動が終了したヨシヒコは、ブリスベンとグレートバリアリーフのバス旅を実行した。
シドニーを発ち、ブリスベンでの二泊三日の旅は、あっという間だった。川沿いの遊歩道を歩き、カンガルーポイントの断崖を見上げ、市街地のカフェでフラットホワイトを飲んだ。
ヨシヒコは台北での失態を反省して、順調に一人旅を満喫していた。
二日目の夕方、彼はバスターミナルへと向かった。次の目的地は、グレートバリアリーフの最南端に位置する町、ハーヴィーベイ。あの美しいサンゴ礁を一目見るためだけに、長距離バスで丸一日かけて北上する計画だった。
窓口に着いたのは、閉店十分前。カウンターの向こうの女性スタッフは、もう帰り支度をしかけていたのだろう、心なしか手際よく端末を叩いていた。
「ハーヴィーベイ往復。明日の朝七時発ですね」
「はい、お願いします」
「良い旅を」
「ありがとうございます」
クレジットカードで支払いを終え、往復のチケットを手にしたヨシヒコは、達成感に包まれながらカウンターを離れた。閉店間際に間に合ってよかった。そんな安堵だけが頭を占めていた。
「あれ……?」
ドミトリーの硬いベッドにバックパックを放り出した瞬間、ヨシヒコの指先が嫌な予感に震えた。
何度も、何度も、底まで手を突っ込む。指先に触れるのは、着古したTシャツと乾いたナイロンの質感だけ。そこにあるはずの、ずっしりとした革の重みが消えていた。
ブリスベン川の穏やかなせせらぎも、カフェで味わったフラットホワイトの濃厚な余韻も、一瞬にして凍りついた。
「うそだろ……」
思わず声を出してしまった。
記憶を猛スピードで巻き戻した。閉店十分前のバスターミナル。帰り支度を急ぐスタッフの事務的な手つき。焦ってチケットを受け取った自分の手元。
――カウンターの脇に置いた、あの茶色い財布とパスポート。
「置いてきた……あそこに!」
心臓が口から飛び出さんばかりに跳ね上がった。ヨシヒコは部屋を飛び出し、夜の帳が下り始めたブリスベンの街を、狂ったように走り出した。
(頼む、まだ開いていてくれ!)
祈りだけが、もつれそうになる両足を動かしていた。しかし、辿り着いた窓口のシャッターは無情にも下りていた。
ガラス越しに中を覗き込む。五メートル先のカウンターの上。ホストファミリーから贈られたカンガルー皮の財布と、パスポートを入れた黄色い巾着袋が、ぽつんと取り残されていた。
手の届きそうな距離なのに、決して届かない。
明日の朝七時には、窓口が開く前にバスに乗らなければならない。このバスを逃せば、半年間の語学研修の集大成であるグレートバリアリーフの旅はすべて藻屑となる。だが、全財産と身分証はあのガラスの向こうだ。
奇跡的な再会
絶望に膝をつきかけた、その時だった。
「……ヨシヒコ?」
背後から名前を呼ばれ、耳を疑った。シドニーから遠く離れたこの街で、自分を知る者がいるはずがない。
恐る恐る振り返ると、そこには見覚えのある、少し大人びた女性が立っていた。
「ナオミ……さん……?」
シドニーの語学学校で同じクラスだった5歳年上のナオミだった。
「やっぱり! こんなところで何してるの? 」
「ナオミさんこそ!どうしてここに?」
「職場から休暇をもらって、たった今ブリスベンに着いたところ。
ヨシヒコこそ大丈夫?顔色が真っ青だよ?」
ヨシヒコは泣きすがる思いで事情をぶちまけた。財布のこと、明朝の出発のこと、自分のあまりの情けなさ。
ナオミは呆れたように、けれど最後には優しく笑った。
「相変わらずおっちょこちょいだね。
……よし、わかったわ。
私が明日の朝ここに来て、財布を預かっておくよ。
ユースホステルのフロントに預ければいいでしょ?」
「えっ、でも……」
「いいって。困った時はお互い様。ヨシヒコは安心してバスに乗りなよ。
せっかくの旅行なんだから、諦めちゃダメ」
異国の地で、その言葉はまばゆい光のようにヨシヒコの胸に差し込んだ。
所持金は10ドル
しかし、奇跡の再会に安堵したのも束の間、新たな難題が浮上した。
ナオミが財布を回収できるのは、ヨシヒコが旅立った後。つまり、目的地ハーヴィーベイでの三日間、彼の手元にあるのはポケットの小銭入れに入っていた、わずか「十豪ドル」だけなのだ。
日本円にして千円足らず。
「三日間で10ドル……」