
40年間の末路 第13章 流浪の民 ドキュメンタリー小説|自叙伝|20代
「それで、これからどうするの?」
と、仁美が聞いた。
まるで興味本位で他人事に首を突っ込むような言い方だった。
「住む場所がないから、茨城の実家に行くしかない」
「えー?!お義父さんと一緒に住みたくない!」
披露宴後の自宅での宴会で、父が突然「初孫が生まれる」と公表した日から仁美の敵意は続いていた。
だがそれ以外、選択肢はなかった。
「じゃ、どうする?
ここにある荷物しかないんだよ」
家族3人には焼け跡から回収した荷物と、帰省用の荷物しか残っていない。
仁美は黙って俯いた。
不平不満を言うばかりで、代案を何ひとつも持っていなかった。
火災保険の補償は最低限で、同等の借家を探して家財を一から揃えるだけの余力は、社会人1年目の僕にはなかった。
当然双方の両親にもこれ以上の支援は望めなかった。
こうして、やむを得ず茨城の実家で二世帯同居生活が始まった。
海外留学から帰国して3年で2回転居し、もはや流浪の民となった。
正月休みが明けると同時に、上野への通勤が始まった。
茨城の実家から最寄り駅まで片道3kmの道のりを自転車を漕ぎ、勤務先の上野駅まで乗り換えなしで行けたが、始発電車に乗車し、終電で帰宅する生活が毎日続いた。
しかも某旅行会社の支店は当時は大都市圏にしかなく、通勤手当の上限を超えた分は自腹だった。往復四時間以上かけて電車に揺られた。
実質の手取り額が減り、体力も気力も削がれていった。
それでも三ヶ月間通い続けながら、茨城県内へのUターン転職活動を続けた。5月には水戸にある出版社の営業所に採用され、無事Uターン転職に成功した。
中学時代の後輩が勤めていた自動車整備工場で、初めて軽自動車を買い、車通勤を始めた。
しかしその年の年末に水戸営業所が閉鎖し、埼玉の大宮営業所異動が告げられた。しかし地元に拘ったので、僕はそのまま退職。そして再び転職活動をして、土浦の建材メーカーの工場事務職に採用が決まった。
そして2年後、次女真那が生まれた。
しかし僕の両親の猛反対により、仁美は福島への里帰りを諦め、茨城で出産することになった。
それほどまでに反対したというのに、長女が予定日より1ヶ月早く出産したので、出産予定日が早まる可能性が高いことを知りながら、両親は暢気に海外旅行へ出かけてしまった。
そして予想は的中し、両親が旅行中に次女が出産したのだった。
「海外旅行に行くくらいなら、里帰りさせてよ!」
と、仁美が激昂したのは当然だった。
退院して、実家が手狭になった頃、運よく社宅に空きが出た。
少しずつ家財を買い揃え揃えて、二世帯同居生活に終止符を打ち、実家から15キロ離れた土浦市の社宅へ移った。
ようやく舅姑の目から解放された仁美は、「子どもが第一」と言って育児に専念した。ただ専業主婦でも、もともと苦手だった炊事はほとんどしなくなった。埼玉にいた頃は、下手な料理でも「美味しい」と褒めてやる気を引き出していた。二世帯同居の頃は、姑から料理の基礎を学ばされた。
だが今はもうその余力もなかった。食卓には手抜き料理かスーパーのお惣菜が並んだ。
二年間の抑圧されたストレスが理由だと仁美は言った。そうかもしれない、と思いながら、何も文句を言わず、箸を進めた。
その後さらに転勤があり、さらに30キロ離れた別の社宅に引っ越した。そして長男・光太郎も生まれた。
2000年1月、会社の経営統合の余波で、事務職から営業職への配置転換を命じられ、気づけば岩手県盛岡市への転勤が決まっていた。
当初は単身赴任の予定だったが、仁美が家族帯同を強く求め、会社も渋々了承した。
盛岡営業所は所長と僕だけの小さな営業所で、管轄は岩手・青森・秋田の北東北三県。その広大なエリアを一人で営業して回った。月曜は事務処理、火曜から金曜は社用車で出張。子どもたちの顔を見られるのはほぼ週末だけだった。
長い車中、長い出張、そして終わりの見えない長い夜。
家族のためにと Uターン転職を繰り返し、二世帯同居のストレスにも耐え、ようやく掴んだ平穏な暮らしだったはずなのに、気づけば見知らぬ盛岡の地でワンオペ営業に追われていた。
家に帰っても、食卓に並ぶのは手抜き料理や惣菜ばかり。
仁美の「2年間の抑圧のせい」という言い分を理解しようと、僕は文句ひとつ言わずに箸を進めてきた。
しかし、僕の「抑圧」はどこで発散すればいいのだろう。誰も僕のすり減った心を労ってはくれなかった。
仁美の監視の目から物理的に解放された出張の夜は、あまりにも自由で、あまりにも寂寞としていた。
仕事や家庭のストレスから、一時的にでもいいから「責任を背負う自分」を消し去りたかった。
架空の出張や接待という嘘の仮面を被り、僕は別の世界に足を踏み入れた。最初はほんの好奇心、あるいはほんの一瞬の現実逃避のつもりだった。風俗、出会い系、合コン――。
真面目だけが取り柄だったはずの僕の心の中で、何かが音を立てて崩れていった。
一度一線を越えてしまえば、冷え切った家庭への罪悪感すらも、麻痺した欲求の波に簡単に飲み込まれていった。