
40年間の末路 第14章 まさかの連続 ドキュメンタリー小説|自叙伝|30代
岩手転勤二年目のある日、僕がある取引先に、上司に内緒で商品を値下げして販売した。後日その情報が他社に漏洩し、一気にクレームが湧きおこり、値崩れを起こしてしまった。その結果、会社に多額の損失を与えてしまった。
出張先で上司からこっぴどく叱られ、受話器を持つ手が震え、頭の中が真っ白になった。
これまで『真面目さ』だけを武器に慣れない営業を頑張ってきた。その拠り所が、たった一社の取引先の強引な値下げ交渉に屈したため、僕の信用は一瞬ではじけ飛んでしまった。
それが引き金になって、精神が音を立てて軋み始めた。
食欲が消え、一日一食になり、やがてそれも喉を通らなくなった。
夜、布団に入ってもなかなか眠れなかった。眠れたとしても二時間が限界だった。
体重がみるみる落ちて、三ヶ月で20kg減った。体重計に乗ると60kgを切っていた。ネクタイを締めようとしても、首回りがガバガバになっていく。
鏡の前に立つと、頬がこけ、死んだ魚のような目をした見知らぬ男がそこにいた。シャワーを浴びるたびに、自分が削り取られていくような恐怖に襲われた。
同じ頃、長距離運転の影響で重度のぎっくり腰を発症した。医師から長距離運転による営業の仕事を続けることへの懸念を告げられた。
このままでは自分も家族もダメになると思い、退職を決意した。
佐々木所長と相談して退職願を出した。すぐに後任が来て、引き継ぎをしながら、茨城への転職活動を続けた結果、食品会社の工場事務職に内定が出た。
退職日の当日、本社人事課の鈴木課長から電話があった。退職の挨拶をしていると、課長の声のトーンが変わった。
「ん?退職理由は体調不良なのか?」
「はい。体力的にも精神的にも限界で、今の状態では営業職は無理と医者に言われ、転職を決断しました。
上司の佐々木所長にはそのように伝えてから、転職活動をして茨城の会社に決まりました」
「佐々木所長からは『他の仕事がしたい』としか聞いていないぞ」
「それが何か?」
「営業が無理という理由なら、東京の開発部で事務職の席が空いていたから転勤させたのに」
電話口で、時間が止まった。
「まさか!…そうだったんですか?」
喉の奥がカラカラになり、それ以外の言葉が出なかった。
2年前の経営統合で事務職を外されたので、もう戻れないと思っていたが、東京に戻れるチャンスがあったのだ。
それを、自分が信じて相談した上司によって握りつぶされていた。
佐々木所長にとって、ミスを犯した僕はただの「厄介払いしたい存在」でしかなかったのだろう。
激しい怒りが湧くのと同時に、他人の善意を信じ切っていた自分の見通しの甘さに、吐き気がするほどの嫌悪感を覚えた。
受話器を置いた後、しばらく動けなかった。悔しいとか、悲しいとか、そういう感情の手前で、ただ虚ろだった。
人生のターニングポイントをまたしても見誤った。
次の茨城の転職先は茨城の実家から40km離れ、車で片道一時間以上かかる距離だったので、借上げ社宅を会社が用意してくれるとのことで、引っ越しの荷物をまとめた。そこにもまた大きな落とし穴が口を開けて待っていた。
退職した翌日、盛岡を退去する1週間前に、転職先から電話があった。
借上げ社宅の連絡かと思い、電話に出ると、相手は山田社長だった。
なぜ直々に社長がかけてくるのか。嫌な予感がした。
「茨城工場の総務課は、ほがの人に決めだんだばって、
悪ぃども本社の商品開発部さ来てけねがな?」
予感は的中した。
内定時の条件は茨城工場の総務課だったのに、入社前に勤務地は秋田の商品開発部だと宣告された。
「ほ、ホントですか?
じ、地元の茨城に戻りたいのですが…」
少し焦りながら抵抗した。
茨城に戻るつもりで転職活動をしてきたのに、岩手から秋田へ横滑りし、全く希望とは違う職種だった。
「二年後には茨城工場さ移ってもらうんだばって、んだども、
未経験だはんで給料は当初の条件がらちょっと下がるどもな」
ただでさえ勤務地、職種を変更された上に、勝手に待遇まで下げられて、人を馬鹿にするのも甚だしい。
「家族と相談してみます」
と告げて電話を切ったものの、それが時間稼ぎにもならないことは自分が一番よく分かっていた。
案の定仁美は猛反対した。しかし、ここで断れば1週間後には住む場所も仕事も失い、家族を連れて路頭に迷うだけだった。
「2年後には茨城に戻す」という山田社長の言葉が、蜘蛛の糸のように見えた。僕はその糸に、一縷の望みを託すしかなかった。