
40年間の末路 第15章 ツルの一声 ドキュメンタリー小説|自叙伝|30代
転居先は山田社長が直々に契約した本社近くの一戸建ての借り上げ社宅だった。焼け落ちた埼玉の借家と同じくらい古かったが、田舎ゆえに居住面積は広く、水回りだけは新しくリフォームされていた。
そのころ長女は小学六年、次女は小学二年、長男は年長だった。収入が減り、仁美は文句を言いながらも近くの縫製工場でパート勤務を始めた。
豪雪地帯の秋田で、手探りの商品開発が始まった。部署は三人しかいなかった。その中で僕に与えられた仕事は市場開拓だった。
会社の公式サイトから消費者アンケートを実施したり、既存商品のPRを兼ねて試食会を開催して、消費者の声を元に新商品を立案した。また販路拡大を目指し、通販事業を提案した。だが山田社長はことごとく一蹴した。
「そったなもん、売れねべな」
売れないと言い張る山田社長の根拠があいまいで、納得できなかったが、社長の思いつきだけがまかり通った。結局、ツルの一声のトップダウン方式だった。
そして上司も先輩もただの山田社長の「御用聞き」だった。オーナー企業なんてどこもそんなものか、と落胆した。
先輩が担当した社長肝いりの新商品は発売から3カ月も経たずに終売した。先輩は大量の原材資材の廃棄処分に奔走する中でも、
山田社長は
「次こそは、なんとかするべ!」
と意気込み、結局同じ轍を踏み、どんどん赤字が垂れ流されていった。
そして僕に課せられた新たな課題は、著名な料理人と共同開発した新商品を出す、だった。無理難題を押し付けられ、それでも手探りで料理人を選定し、交渉を重ね、ようやく企画書をまとめ上げ、試作品を山田社長にプレゼンした。
「これ、いいんでねぇ」
初めて山田社長から高評価を得た。しかし次の瞬間、その評価は泡となって消えた。
「んだども、この見積もり、高すぎねが?
半分さならねもんだが?」
社長のアイデアなら湯水のように予算を使うのに、他人のアイデアには値踏みする。結局僕が企画した新商品は日の目を見ることはなかった。
それでも不遇な二年を耐えて、約束通り、山田社長に直談判した。
「もうすぐ約束の二年になります。来春、茨城工場への異動をお願いします」
しかし山田社長はとぼけた顔で言った。
「そったな約束は聞いでねどもな。
それに二年で新商品こさえて、
会社さちゃんと貢献したべが?」
頭を殴られたような衝撃だった。
全身の血の気が引き、耳の奥でキーンと音がする。
騙された。
一言で言えば、それだけだった。
怒鳴り散らしたい衝動が込み上げたが、喉が引き攣って声にならない。
怒鳴ったところで、この男には何も響かないのだと、冷めた自分が同時に囁いていた。
入社時に覚書を交わしておけば良かった、と後悔した。
そのころ長女の愛里には夢があった。
ピアノ講師になりたい、と言っていた。
小学1年から通わせていたピアノ教室。
度重なる転居先でもピアノは止めず、音大への進学を望んでいた。
だが秋田には音大も、高校の音楽科もなかった。
茨城に戻れば、その道に近づける。
そこで転職活動をイチから始めた。茨城と栃木の企業を中心に、200社に上る求人に応募したが、ことごとく不採用になった。遠方からのUターン転職はなかなか容易ではなかった。
その中で10社ほど面接に漕ぎついたが、結局茨城では内定が出なかった。唯一栃木の同業他社から内定が届いた。栃木には音楽科のある高校と短大があった。