
40年間の末路 第16章 宇都宮へ ドキュメンタリー小説|自叙伝|30代
長女の愛里が中学二年になった夏休み、秋田に別れを告げ、家族で栃木の宇都宮へ引っ越した。
こちらも一戸建ての借り上げ社宅で、配属は総務課だった。建材メーカーで培った経験が、ここで初めて活かされ、収入も秋田時代よりも上がった。
採用面接時に人事部の濱野部長からこんな質問を受けた。
「希望の年収は?」
「御社の規定に従います」
と具体的な金額を言わず、型通りに謙虚に答えた。
すると濱野部長から意外な言葉が返って来た。
「自ら自分を安売りしちゃダメだよ」
一瞬、耳を疑った。
そして、張り詰めていた肩の力がスッと抜けていくのを感じた。
この人と一緒なら定年まで働ける。
その瞬間、そう確信した。
そして内定を頂き、山田社長の呪縛から逃れ、宇都宮へ飛び出した。
しかも濱野部長は、前職の同業他社からの引き抜きだ!等と誹謗中傷を受けるリスクを避けるため、入社時は正社員ではなく、同じ待遇のまま、社外コンサルタントという立場の嘱託社員として半年間過ごし、その後正社員として正式に配属される異例の好待遇だった。
でも今流行りのスカウトやヘッドハンティングではなく、求人サイトからの一般応募のため、実際には引き抜き行為には当てはまらない。
ただ収入が上がっても三人の子どもを養うには十分ではなかったので、仁美は精密機器の工場でパート勤務を始めた。
しかしパートは長続きせず、一年ほどで辞めた。その後も職を変えては、いろんな理由をつけてはすぐ辞めた。
思い返せば、仁美は東京の浪人時代に見切りをつけて、社会人になって以来、二年以上続いた職場は一つもなかった。僕が転勤と転職を繰り返したせいもあるが、仁美はそれ以上に職場を転々とした。
しかも仁美は「子どもが第一」と宣言し、家庭教育に力を入れ、苦手な車の運転も始め、子どもの習い事の送迎を買って出たけど、PTAや子供会の集会にはほとんど顔を出さず、代わりに僕が出た。
黒一点の集会では、母親が出席しない理由を周囲がひそひそ話で詮索するのが聞こえて、またはまるでシングルパパを品定めするような目で見られ、肩身が狭かった。
仁美は気が強い割には、地域社会との交流は苦手で、コミュケーション能力が著しく乏しかった。子ども達の学校の対応が意に沿わないと、モンスターペアレントに豹変するけど、少しでも外部からの風当たりが強くなると、一瞬で心が折れ、塞ぎ込んだ。
例えば小3になった長男が学校で陰湿なイジメを受けたことを、担任の先生に訴えても「証拠がない」と真相究明に消極的だった。
対応に不満を持った仁美はヒステリックに学年主任にその事を告げると、「イジメが本当なら、イジメられる側にも問題があるのでは?」と言われると、意気消沈して帰宅したが、その分学校の対応の不満を僕にぶつけて来た。
また中学に進学した次女が吹奏楽部に入部したが、希望する楽器を担当することができなかった。そこでも仁美は顧問の先生に詰め寄ったこともあったが、訴えを退かれると、またしてもその怒りの矛先は僕に向けられた。
一言で言えば、仁美は「内弁慶」タイプだ。
しかしそれでも子ども達は住む街が変わるたびに新しい学校に馴染もうとして、新しい友達を作り、それぞれの根を張って広げようとしていた。
そして長女、愛里は念願の高校の音楽科に無事に進んだ。しかも進学したのは栃木ではなく、茨城の高校だった。越境入学だったため、愛里だけ茨城の実家に転居して、片道1時間以上の通学でも、自分の志を貫いた。
転職4回目でようやくジプシー生活に終止符を打ち、安定した人並の生活を掴んだ。全てがようやく回り始めた、そう信じて疑わなかった。
しかし――愛里が高校一年の夏、事件が起きた。