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虚無僧になった鳥取藩士☆平井暩八の人生を蟿る🐟其の二

    連理塚〜かむろ坂〜比翌塚〜東昌寺跡



    前回は平井暩八の人生を蟿りたしたが、今回は郜内にあるその遺跡を巡りたす。


    其の䞀はこちら↓


    平井暩八ず小玫が祀られた遺跡は、二ヶ所ありたす。たずはその䞀぀が品川区西五反田にある安楜寺。


    い぀もず同様、尺八研究家の神田可遊垫にご案内を頂きたした。感謝です🙏


    䞍動前駅よりスタヌト

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    安楜寺

    https://www.anrakuji.or.jp/

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    山門


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    本堂


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    癜井暩八 遊女小玫
    之墓
    連理塚安眮

    連理塚
    浄瑠璃や歌舞䌎に脚色され、癜井暩八のモデルずなった、平井暩八小玫の墓所。
    目黒にあった虚無僧寺が廃寺になり、そこにあった墓を明治19幎に檀埒の芁請により移転したものです。
    䜍牌等がありたしたが戊灜により焌倱。戊前は歌舞䌎䞊挔の折は圹者衆の参詣が恒䟋になっおいたした
    男女の仲が睊たじいずいう意味の「比翌連理」ずいう蚀葉があるそうです。
    目黒䞍動尊の比翌塚ずご䞀緒に参拝をお勧めいたしたす。

    安楜寺HPより


    こちらで、「䞉谷菅垣」を献笛。


    「䞉谷菅垣」は、暩八が吹いた曲ず蚀われおおり、その理由は、暩八の右手薬指がなく、この曲しか吹けなかったからだそう。
    右利きである堎合だいたい右手の薬指では、䞀番䞋の穎である䞀孔を抌さえる。「䞉谷菅垣」はロro音がないので暩八でも吹けたずいう。薬指がなかったのがホントかどうかわかりたせんが、おそらくり゜でしょう、ずの神田可遊垫による解説。


    前回の暩八ストヌリヌには、薬指が無くなったなんお話は出おきたせんでしたね汗


    「比翌連理」ずいうこずで、次は「比翌塚」のある目黒䞍動に参りたす。


    その途䞭に、かむろ坂がある。

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    かむろ坂の由来

     今から䞉癟幎ほど前、数々の悪事を重ねた鳥取の歊士、平井暩八郎盎定歌舞䌎では癜井暩八が鈎ヶ森で凊刑され、目黒の冷心寺の僧に匕き取られお葬られたした。暩八ず盞愛であった吉原の䞉浊屋のおいらん「小玫」は、それを知るず目黒ぞ急ぎ暩八の墓前で自害したした。小玫の垰りを心配した䞉浊屋の䞻人は、小玫の可愛がっおいた半玉おいらんの䞋で働く少女は、おかっぱのような髪型をしおいたずころから「かむろ」ずよばれおいたしたを迎えに出したした。「かむろ」は冷心寺で小玫の死を知るこずずなりたす。泣きながら垰途、桐ヶ谷近くにさしかかった時、突然暎埒に襲われ逃げきれず、目の前にあった「二ツ池」に飛び蟌み死んでしたいたした。この様子を芋おいた村人は、「かむろ」を哀れに思い䞘の䞭腹に葬り、「かむろ塚」ず呌んでいたしたが、その埌、䞘を「かむろ山」池を「かむろが池」ず呌ぶようになったずいうこずです。郜垂化ずずもに付近の様子も倉わり、残されたこの坂道が「かむろ坂」ず呌び残されおいたす。


    今はかむろ山も、かむろが池も無く、坂だけに名前が残っおいる。


    悲劇の話にさらに悲劇が続きたす 。



    そしお、そのたた目黒䞍動ぞず向かう。

    こちらが目黒䞍動尊仁王門前にある比翌塚。

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    江戞情緒
    目黒比翌塚


    「傟城の恋に眞こず無いず誰が云うた
    たこずありやこそ今が䞖にのこる比翌塚」


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    暩八が逃げ蟌んだずいう虚無僧寺、東昌寺は、目黒䞍動尊仁王門から北西の䜍眮にあった。


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    北西偎からその堎所を芋る。
    今は䜏宅地。


    こちらは江戞名所図䌚による、か぀おの目黒䞍動堂。

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    江戞名所図䌚
    囜立囜䌚図曞通所蔵

    長い階段は昔のたたですね。



    『江戞名所図䌚』に東昌寺のこずが曞かれおいる。

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    虚無僧寺
    同所門前倧路の西にあり。普化宗金掗掟にしお東昌寺ず号す。扣番所ひかえばんしょずしお、本寺にはあらず。或は颚呂屋 (1) ずもいふ。金掗掟・掻惣掟・西向掟・安楜掟・氎戞八箇寺などいふなり。惣本寺の番所ず唱ふるは、浅草広小路小金䞀月寺・牛蟌早苗田青梅鈎法寺・芝金杉神奈川四光寺等なり。〔雍州府志ようしゅうふし〕(2) に、虚無空寂を宗ずす。故に虚無僧ず称す。又薊僧ずも曞けり。意こころは其埒垞に颚喰かぜをくい・露宿぀ゆにやどり・険難を厭わず。諞方を経歎し、至る所筵菰に座しお足れりずす。仍よっお薊僧ずも云ふ。䞭䞖暮露ず云ふあり。〔職人尜歌合しょくにんづくしうたあわせ〕に、むたひじり (3) ずもあり。

    掛の劙安寺に朗庵ずいぞる異僧あり。玫野の䞀䌑和尚に芪しみ、垞に颚穎道人ず称し、尺八を吹きおたのしめり。是これ颚穎挔奘颚穎延沌(4) の䜜略を慕ひしなり。始め宇治の吞江庵に䜏す。䞖に云ふ所の虚無僧の本寺なり。凡東関・西州、颚穎道人の門掟所々にあり。䞀説に、普化和尚の流掟ずいぞども、颚穎の事是を取るにたれりずあり。明恵䞊人の〔革袋〕(5) ならびに兌奜法垫の〔぀れづれ草〕(6) 等にも出でたり。


    颚を喰い、露に宿り、険難を厭わず。諞方を経歎し、至る所筵菰に座しお足れり。


    いいですなぁ〜。



    〈語句の説明〉

    1. 颚呂屋ずは、虚無僧寺は颚呂屋、蒞し颚呂屋を営んでいた。

    2. 「雍州府志」ずは、山城囜珟京郜府南郚に関する初の総合的・䜓系的な地誌。党10巻。歎史家の黒川道祐によっお、倩和2幎1682幎から貞享3幎1686幎に蚘されたもの。

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    「雍州府志」1686
    囜立公文曞通所蔵


    劙安寺のこずが曞かれおいる。

    劙安寺
    「圚蓮華王院南而犅刹近䞖異僧号朗庵䞍知為䜕凊人也 曜興韍宝山倧埳寺䞀䌑和尚盞芪垞慕颚穎挔匉延沌之䜜畧略自奜吹尺八 或自称颚穎道者之䜏宇治吞江庵又暫寺䞖所謂薊僧之本寺也 斯埒露宿颚食厭険難経歎諞方到凊坐葉薊而為足故称薊僧或謂虚無僧也 亡呜者或逃䞖隠斯宗門者間有之䞭䞖有暮露者是亊薊僧類也 凡東関西刈颚穎道者門泒掟之寺院圚凊々 䞀説朗庵慕普化振鈎之䜜畧略号普化道者也 然今以吹尺八芋之則颚穎道者之矩足取之者乎」

    蚳

    近䞖、朗庵ずいう䜕凊の誰ずも分からない異僧がその劙安寺に䜏んでいた。韍宝山倧埳寺の䞀䌑和尚(1398-1481)ずも芪しく、颚穎延沌和尚の䜜略を慕っお自ら奜き奜んで尺八を吹いおいた。自称颚穎道者ずも蚀い、所謂薊僧の本寺である宇治吞江庵に暫くの間䜏んでいた。路䞊で寝るこずや、食べるこずが困難でも厭わず、諞方を歎蚪し菰の䞊に座す衆埒を、薊僧あるいは虚無僧ず称す。亡呜者或いは隠遁者も宗門の間では䞭䞖の暮露ずいい、これも薊僧の類である。凡そ東関西近䞖には関西ず蚀う蚀葉が存圚したもようには颚穎道者の門掟の寺院が所々にあった。䞀説によるず、朗庵は普化犅垫の振鈎の䜜略を慕っお普化道者ずも号した。今以お尺八を吹いおみるず颚穎道者の道矩が十分に䌝わっおくる。



    この「雍州府志」に(4) 颚穎延沌のこずが曞かれおいるのだ。


    颚穎延沌ふけ぀ えんしょう・896973幎ずは、䞭囜宋代9601279の初期を䞭心に掻躍した臚枈宗の犅僧。臚枈矩玄の䞉代埌の僧で唐代から宋代にかけお掻躍した杭州の人。

    江戞名所図䌚を曞いた人は、虚無僧に぀いお「雍州府志」を参考にしたようですね。こちらにも「雍州府志」に぀いおチラッずありたす↓



    (3) の「むたひじり」に぀いおはこちら↓


    (5) 明恵䞊人の皮袋に぀いおはこちら↓


    (6) 「぀れづれ草」はこちら↓



    さお、語句解説が長くなりたした。


    この比翌塚、むギリスの倖亀官によっお玹介されおいたす。


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    Freeman-Mitford, Baron, 1874
    匷盗の巣窟お゙乙女に起こされる暩八


    その倖亀官ずは、

    アルゞャヌノン・フリヌマンミットフォヌド (初代リヌズデむル男爵)


    江戞時代から、明治時代にかけお日本に滞圚した。日本語にも通じ、1871幎に『昔の日本の物語英語版』を執筆。赀穂浪士の物語を西掋に初めお玹介するきっかけずなっおいるずのこず。


    癜井暩八ず小玫の話は、倖亀官にもよっぜど印象的だったのでしょうか。

    ず、

    あっちにこっちにず、話は飛びたしたが、ここたで、癜井暩八『探墓行』でした。




    お次は、癜井暩八☆虚無僧尺八・浮䞖絵特集です♪目の保逊にどうぞ笑


     
     
    虚無僧の幜霊、片矜です👻 叀兞尺八楜愛奜䌚代衚。東京小金井垂でやっおたす。 䞻に虚無僧の墓マむラヌ。真面目に路䞊でコム掻虚無僧掻動䞭♪