
豚足の話。
何を隠そう私は豚足だ。そして私は豚足が大好きだ。独特のプルプルとした食感を味わいながら恥も外聞もなく唇をベッタベタにして食べるとき、私は豚足と心を一つにする。離れ離れだった自分が体の中に還ってくる感覚を味わうため、今日も沖縄料理店に足を運んだ。
嘘である。もう長いこと豚足なんて食べていない。しかし私が豚足であることは紛れもない事実だ。つまりここに嘘はない。豚のように短い脚を見ては、この世界に優しい嘘なんてないことをどこまでも優しく突きつけられる。
自分が豚足だと実感したのはいつだろうか。思い起こすと小学校で座高という意味不明な指標を押し付けられ、その座高の高さでもって私は短足ヒエラルキーの頂点の座をほしいままにしてきた。
立っていれば全く目立たないのに、椅子に座った瞬間に地上の全てを見下ろすことができる。ざまあみろだ。中学二年生にして身長180㎝はあったヤンキーの倉持も、高身長からぶっ放す唯一無二の打突で剣道大会の金メダルを総ナメにしてた君島も、私の前ではただ等しくひれ伏すのみ。
福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず」と言ったが、その言葉を字面通りに解釈するのであれば天とは私のことである。織田信長は言った。「立って半畳、寝て一畳」と。人間の人生の30%は睡眠と言われる。では残りの70%は立っていられるのかという話だ。無論そんなことはない。つまり、座る姿こそ人間が人間でいられる時間ということだ。
長々と書いているが、私は長い間この座高について悩んでいた。私の身長は四捨五入して170㎝ある。もちろん解釈は人それぞれだが、もう一度言うと四捨五入で170㎝だ。江戸時代における男性の平均身長は155㎝程度と考えると生まれた時代を間違えたのかもしれない。いや、一つだけ間違えていないことがある。そう、脚の長さだ。私は300余年の時を超え現代に蘇った奇跡のオーパーツだ。
誰かが言っていた。
「奇跡は起こらないから奇跡と言うんだ」と。
ばかばかしい。そういう奴は今すぐ私のもとに来ればいい。奇跡は起こせると教えてやる。そういえば、イエス・キリストが最初に起こした奇跡は水を葡萄酒に変えたことだそうだ。ならば私がいますぐ変えてやる。脚を短くするか、胴を長くするかを選ぶがいい。私は新世界の神となる。
いや、やはりやめておこう。もし全世界の民が短足になってしまっては、私の神としての地位が脅かされてしまう。神と人間には決して埋まることのない絶対的な差があるからこそ、神は神としての地位を確立できる。
今日、健康診断の結果が返ってきた。なぜか去年より0.5㎝ほど縮んだ身長は、また一歩私の短足化が進んだことを意味する。特に計算していないが、単純計算でいくとおそらくあと10年もすれば私はドラえもん並の美脚を手に入れられる算段になっている。
10年後というと私は48歳。「人間五十年」という言葉がある。人間の一生は短く儚い。だが現在の超高齢化社会の現状を鑑みると、おそらく人間は100年くらい生きるのだろう。
そのころきっと私の脚は体の中にめり込み、私は完全な胴体となる。虚数空間に放り込まれた私の脚が見る夢は何色だ?
なお、こんなバカなことを書いているのにはちゃんと理由がある。
先日お友達のごまつぶさんがこちらの記事を書かれていた。
どうやら、ごまつぶさんは全日本短足連盟の三代目会長を襲名したらしい。そしてそこにコメントをしたところ、なかば脅されるように、私は全短連の会報誌『ASHIMIJIKA』編集長として創刊号の巻頭エッセイを書くことを命じられた。

一体何をしたらいいのか分からないが、ごまつぶ会長これでよかったでしょうか・・・?
とりあえず、全短連は新規会員を募集しております。
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