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子どもを管理したかったわけじゃない。本当は安心したかった。



    そんなことに気づくまで、私はずいぶん遠回りをしました。


    子育てを振り返っていて、最近ひとつ思うことがあります。

    受験が子どもを苦しめるのだろうか。
    偏差値教育が子どもを歪めるのだろうか。

    昔の私は、そう思ったこともありました。
    でも今は、それだけではないような気がしています。


    私は子ども達が小さい頃、
    モンテッソーリ教育や七田式、ユダヤ教育などに興味を持っていました。

    子どもを観察することが面白くて大好きでした。

    この子は何に興味を持つんだろう。
    どんなことに夢中になるんだろう。

    そんなことを考えながら、子ども達を見ていると

    え?そんな風にする?
    なるほど!そういう表現方法も確かにあるね!

    という風に、クスっと笑えたり
    日々あらたな発見があったり、とにかく楽しかったから。



    ところが、
    子ども達が小学校へ上がった頃に
    私は離婚しました。

    生活は一変しました。

    一人で育てていかなければならない。
    将来困らないようにしてあげなければならない。
    ちゃんと自立できるように育ててあげなければならない。

    気づけば、
    私の頭の中はそんな不安でいっぱいになっていました。


    そして私は、
    少しずつ子どもを管理するようになりました。

    今日はここまで勉強しなさい。
    宿題は終わったの?
    ゲームは何時間まで。
    テストはどうだった?

    当時の私は、それが子どものためだと信じていました。
    親として当然のことをしていると思っていました。


    でも今、冷静に振り返ると、
    私は子どもを管理したかったわけではなかったんです。

    本当は安心したかった。

    ただそれだけだったのだと思います。


    この子達が将来困らないように。
    ちゃんと生きていけるように。
    苦労しないように。
    失敗しないように。

    そのために勉強が必要だと思ったんです。

    だから口を出した。
    だから先回りした。
    だから管理した。

    でも今振り返ると

    受験が悪いわけではない。
    勉強が悪いわけでもない。
    管理が悪いわけでもない。

    同じ受験でも、
    子どもの興味や特性を観察しながら
    上手に伴走している親もいる。

    子どもが何に向いているのか。
    どんな学び方が合うのか。
    何に喜びを感じるのか。

    そんなことを見ながら環境を整え
    支えていると思います。


    一方で、
    昔の私のように不安から関わる親もいる。

    この子が将来困らないように。
    失敗しないように。
    ちゃんと生きていけるように。

    その思いが強くなるほど、
    子どもを見ているつもりで、
    不安を見てしまうことがある。


    同じ勉強。

    同じ受験。

    同じ「頑張りなさい」


    でも、そこにある親のまなざしは全く違う。


    だから私は、受験そのものよりも、
    親が何を見ているのかの方が大切なのではないかと思うようになりました。


    そして、
    見えてくる子どもの姿も変わってきます。

    不安を見ている時は、
    できていないことが気になる。
    足りないことが気になる。
    周りと比べてしまう。
    もっと頑張らせなければと思う。


    でも
    目の前の子ども自身を見始めると、
    違うものが見えてきます。

    何に夢中になっているんだろう。
    何を面白いと思っているんだろう。
    何に困っているんだろう。
    何を感じているんだろう。

    そんなことが少しずつ見えてきます。


    息子を見ていた時もそうでした。

    私は暫くの間、「ゲームばかりしている」と思っていました。

    でも観察していると、

    息子はゲームをしていたのではなく、
    ゲームを作ろうとしていました。

    人はなぜ面白いと思うんだろう。
    どうすれば夢中になるんだろう。
    ゲームのどこに楽しさがあるんだろう。

    息子はそんなことを考えながら、

    仕組みを調べ、
    試行錯誤を繰り返し、
    自分の頭で考え続けていました。


    見えているものは同じなのに、
    見ているものが違っていた
    んです。


    子どもの才能の芽は、
    最初からそこにあったのかもしれません。

    ただ、
    私の不安で見えなくなっていただけで。


    だから私は、
    子どもを観察することと同じくらい、
    親自身の内側を観察することも大切だと思っています。

    子どもを見る前に、
    まず自分が何を見ているのか。

    目の前の子ども自身なのか。

    それとも、親の不安なのか。


    遠回りしたけれど、最後に戻ってきたのは、
    やっぱり『 観察 』でした。

    子どもを観察すること。

    そして、

    親自身の内側を観察すること。

    不安なのか。
    焦りなのか。
    期待なのか。

    それに気づけた時、
    少しずつ目の前の子どもが見えるようになりました。

    親が我が子の専門家になる。

    その始まりは、
    子どもを変えることではなく、
    親自身の内側を観察することなのかもしれません。


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