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【妖怪考察】人が「人」でなくなるとき ― 「妖怪とご遺体」の研究(全13回予定)

    ※本稿で扱う知見や症例は公知の学術情報等に基づく個人的考察であり、特定個人や係争中事件への言及ではありません(執筆の趣旨等の詳細は文末に記載)。

    1.自己紹介に代えて─妖怪の起源としての「人間のご遺体」説

    noteの自己紹介としてはかなり異色の始まりかもしれませんが、このnoteは、日本の伝承に登場する異形たちを基本の軸としつつ、「妖怪の起源は、かつて生きていた人間の『ご遺体』ではないか」という仮説を立て、検証を行っていくものです。

    私は人生のある一時期、人間の「ご遺体」、すなわち「人の死とその後」という事象の持つ圧倒的な引力に強く引き付けられ、周囲の者から心配されるほどその探求にのめり込んでいたことがあります。それは短期間ながら、大学院において「法医学」の講座を受講していた日々のことです。

    私はそれより以前から、人の「恐怖の正体」に深い関心があり、大学1年生の頃から、なぜ古来の日本人は「妖怪」というものの姿を見出したのか、中国や西洋の「妖怪」と日本のそれとの間にどのような違いや類似点があるのか、といったテーマを貪るように学んでいました。さらには、人間というものはなぜ「神」というものを考え出し、それを「敬う」というよりもむしろ「恐れる」ようになったのかについての答えを、文化的視点から得たいと考え続けていました。

    その後、大学院に進学した際に「法医学」を通じて「私たちの生活のすぐ身近にあるにもかかわらずほとんどの人が意識をしない、人を叩きのめすほどに圧倒的な現実」に触れ、以来、「法医学と民俗学・文化人類学の融合的視点」をずっと抱き続けてきました。

    2.法医学の中核「司法解剖」─令状が下される現場

    「法医学」という分野について、一般にはドラマなどの漠然としたイメージが広がっていますが、その本質や現実を本当に知っている人は決して多くないように感じます。

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    法医学とは、荒く言えば「解剖を中核とする学問」といえるかもしれません。しかし、一言で「人の解剖」といった場合には「病理解剖」や「行政解剖」などもありますが、法医学が引き受ける現場は、これらとは明確に一線を画します。

    その現場が「司法解剖」です。

    司法解剖とは、およそ他者によって命を奪われた可能性があるご遺体に対して行われる鑑定です。
    「裁判官が発付する令状」という厳格な司法の命令によって行なわれますし、他の解剖とは異なり担当できる専門家は日本全国で150人前後しかおらず、その約7割は医大の教授又は准教授クラスです。

    司法解剖が対応するのは、人生の道半ばにおいて、およそ何らかの理由で落命した「声なき証人」の方々であり、自らの口では話すことができなくなった方々が、落命してなお自らの「残された身体」を通じてメッセージを発していて、その小さな、しかし極めて重大なメッセージを確実に拾い上げる行為が「司法解剖」であると学びました。

    それゆえ、私が現場で目にした法医学者たちはすさまじい気迫と執念をその身に宿した方々ばかりでした。

    例を挙げるならば、私が初めて立ち会いを許された司法解剖は、飲まず食わず・休憩一切なし・ぶっ通しで実に約10時間にも及ぶ過酷なものでした。極度に張り詰めた空気の中、長時間の立ち作業に疲れ始めたある同期生が、そばにあった台にわずかに腰かけた瞬間、執刀していた教授から「おい、そこのお前‼ご遺体の前で腰掛けるとは何事だ‼失礼にもほどがあるだろ‼」という凄まじい怒号が飛び、室内は一瞬で凍り付きました。(注:今から約20年前の話です。)

    解剖室内において、ご遺体に対するほんの些細な不敬や気の緩みは万死に値するという徹底した厳格さと気迫を前に、その後「休憩」など口にできる者は到底おらず、極限の緊張感の中で一度も座ることなく立ち続け、トイレに行くことだけは許可されました。ただ同時に、「司法解剖」のあまりの圧倒的な状況から引き起こされる「異常な集中力」ゆえに、実際に最後まで座ることも休むこともなく立ち会いを継続することができました。

    3.網羅される「死因」─講義の冒頭が「自殺」から始まる理由

    法医学の研究は、過酷を極めると言って過言ではないと思います。カリキュラムの根底の1つにあるのは、「人間はいかなる原因によって命を落とすのか」という、ありとあらゆる死因の徹底的な理解です。ですから、毎回の講義では、それぞれ特定の死因の一つ一つにスポットが当てられ、縊死・溺死・焼死・凍死・薬物中毒死・ガス中毒死・交通事故死・列車による轢死・刺突や銃撃、撲殺による死・果ては墜落死や爆死などを各回ごとに順に学んでいきました。

    また、法医学の現場においては、最初に徹底して検討される事項があります。それは「その死は、他者の行為によって引き起こされたものなのか、それとも他者が介在していないのか」という「他殺と自殺(又は事故死)の峻別」です。

    そのため、法医学の講義は「自殺」のメカニズムを学ぶ講義から始まりました。他者の介在を証明するためには、まず「人間が自らの意志で命を絶つとき、肉体に何が起きるのか」・「人は自ら命を絶つときにどのような痕跡を類型的に残すのか」という要素を把握していなければならないからです。

    4.他殺か他殺以外かの峻別─奇妙なご遺体が語る「他者の不在」

    人が死に至る状況は多種多様であり、「常識的に考えれば誰がどう見ても他殺体にしか見えない」というご遺体が発見されることがあります。

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    たとえば、零下に近い非常に寒い室内で、ご遺体が丸裸で狭いタンスの中にきれいに収納されるようにして収まっていた例、他に誰1人いない海の真っただ中の船で頭を鋭利な槍のようなもので一突きにされていたご遺体の例、さらには、発見された際に首から下は前日元気だった時に来ていた服を身に着たままで損傷もないにもかかわらず、たった一晩のうちに首から上だけが完全に白骨化していたご遺体。
    これらは、実はいずれも他殺ではなかったことが「司法解剖」によりすぐに判明した実例です。

    こうした実例から、「死の現場」に直面すると、人間の常識的な発想や理解は全く通用しない、つまり「自分の目で見たものについて全く理解が追い付かない」ということが起こりえるし、実際にそれはよく起きているということをまずは叩きこまれました。

    5.死後変化の冷徹な法則─人が「人」ではなくなるとき

    司法解剖において、他殺の鑑別と並んで極めて重要な領域が「死後変化」の解明です。
    これは「死体現象」と呼ばれることもあります。

    生命活動を停止した瞬間から、人体は科学の法則に支配された変化を続けていきます。

    ・血流の停止で血液が重力に従って沈下して皮膚の特定部位だけを赤紫色に変える「死斑」
    ・目の表面を覆う角膜の細胞が死滅し、涙の分泌停止により目が白く濁っていく「角膜混濁」
    ・血管内で腐敗した血液やガスにより、皮膚の浅い静脈に沿って木の枝のような網目模様が浮き出る「腐敗網」
    ・腐敗ガスが体内に充満して全身が風船のように膨張して容貌が一変する「巨人様観」
    ・体内に含まれる消化酵素が自らの組織や内臓を分解して溶かしていく「自己融解」
    ・特殊な環境で皮下脂肪がロウソクのような物質に変わって遺体がずっと保存される「屍蝋」

    これらがそうした例のごく一部です。

    ご遺体の置かれた体勢、気温、湿度、直射日光、風通しという環境条件のわずかな違いによって、肉体は想像を絶するスピードかつ複雑な多様性で変化し、人としての面影を完全に変えていきます。逆に、地中や低水温の水中、極端な乾燥と低温の環境下などにあっては、何ヶ月、何年を経ても腐敗を免れて原形を留め続けることもあります。

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    私が司法解剖に接して心の底まで味わった経験を一言で表現するならば、それは「容赦なく叩きつけられるような圧倒的な現実」です。

    毎日のニュースを見れば、「身元不明の遺体を発見」・「容疑者を死体遺棄の容疑で逮捕」・「人身事故により電車遅延」といった乾いたトーンの言葉がなんでもないことのように流れていきます。そしてほとんどの人は、それを「ただの日常の一部」として受けながします。

    しかし、そうした乾いた言葉の背後には、実は「言葉を失うほどの圧倒的な現実」が存在します。
    人間という生き物は、命を失い、死後に尊厳のある仕方で扱われない場合にはここまで徹底的に変化してしまうのかという、その現実の重みは、自分の世界観や死生観に決定的な影響を与えました。

    6.民俗学を補完し得る「人体の圧倒的現実」

    このように、私は「法医学」に強く引き付けられていたと共に、それよりかなり前から、別の学問領域に異常なほど深い関心を寄せてきました。それが「民俗学」や「文化人類学」です。

    古来、日本人は森の奥に、河原に、古寺に、怪異の姿を見出してきました。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本の妖怪についてまとめたことで有名ですが、ハーンは怪異の背景にある「死者への情愛」「自然への畏怖」に日本人の精神的ルーツを見出し、単なる恐怖話ではなく「日本人の心理的な本質」を描き出そうとしたことにその功績があります。

    柳田國男をはじめとする民俗学者たちも、妖怪や怪談、昔話について極めて知的でスリリングな分析を行ってきましたが、それは「人間共同体の防衛機制」「境界に対する畏怖」「社会規範を維持するための普遍的概念」といった観点から行われており、それら分析は学術的に重要な成果であり、非常に魅力的な内容でもあります。

    ただ、ニュースの言葉が死の現場を抽象化してしまうのと全く同じように、民俗学の文献もまた、「人間が死に、腐敗し、異形化する」という科学的な現実の側面に触れることはほとんどないように感じます。

    近代的な科学捜査もなく、冷蔵庫も防腐技術もなく、誰かが見聞きした情報を全国的に共有する手段も存在しなかった時代において、

    山奥の沢で、道端の草むらで、或いは誰かの家の中で、放置されたご遺体を先人たちが偶然目撃したとき──彼らは何を「見た」のでしょうか。

    そして、「どう反応」したのでしょうか。

    既に述べたように、「死体現象」によって変化する人の形は、およそ通常人の想像の限界を極限まで超えるものですし、しかも、死因・死後の環境・経過した時間により、ありとあらゆる異なった形をたどっていきます。

    また、そうでありながら、人間を構成する物質とその物質を変化させる外部環境の要素は「無限」というわけではないので、ご遺体の変化はすさまじいものとはいえ、「ある一定の定型的な形」という枠の中で生じます。

    科学などを全く知らない過去の人々がその「あまりにも恐ろしく、直視に耐えない肉体の変化」に直面したとき、なんとか自分の脳の中で「説明がつく理解」を作ろうとして与えた「名前」こそが、いわゆる「妖怪」だったのではないでしょうか。

    そして、ご遺体の変化は想像を絶するものであると同時に、ある程度の物理的環境の枠の中で定型化されるものですから、「ある一定の名前が付いた妖怪たち」・「よく聞く同じ特徴を持った特定の妖怪」の発想が生み出され、当時の人々の「人間共同体の防衛」のためにその発想がさらに発展を遂げていったのではないでしょうか。

    (特に、日本国内に限定すると、日本特有の気温の限界や湿度の限界があり、その気候的特徴に合わせた範囲内で、様々な「妖怪発想」、日本にしか存在しない妖怪たちが生み出されていった必然性があるものと考えられます。)

    こういった視点からは、極めて真剣な意味において、「妖怪」というものは、祖先たちが生きていくための「発明」であったということができるとともに、「安全装置」であったとも分析できるように思います。

    7.本記事のまとめ

    法医学の現場が示す圧倒するような科学的現実と、民俗学が紡いできた人間の心及び集団としての共同体の防衛の歴史。
    この2つを真正面から掛け合わせる試みは、これまで必ずしもそう多くはなされてきていないように思います。

    民俗学的観点のみならず科学の観点を加味して妖怪の伝承を分析し、遥か昔の日本人たちの「英知」や「人間が共同体として生き残り、発展するための努力」に思いを馳せることが、このnoteでお届けしていく記事の目的です。

    【次回の記事以降、日本国で類型的・典型的に語られてきた「妖怪」の正体は何か、という記事を、各妖怪ごとに1つ1つ挙げて分析していく予定です。※次回の記事で扱うのは、最も典型的な妖怪である「赤鬼」です。】

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    次回は、今回の「自己紹介記事」とは全く異なる「本論」のシリーズ部分の最初であり、深く具体的な記載をする予定です。もしもこのnoteの「アカウントフォロー」をしていただき、次回以降、本格的に始まる一連のシリーズもお読みいただければとても嬉しいです。

    →【次回記事】赤鬼ーその正体と文化的意義

    【お読みくださる方へ】
    1.この連載記事は、私たちの祖先が築き上げた「日本人の精神文化の分析」を目的とし、「人間共同体が蓄積した英知」への深い敬意を基礎としています。
    2.考察の際に「厳然たる科学的事実としての法医学」の視点を1つの拠り所としますが、扱う法医学的知見や事例は特定の個人や現在係争中の事件に言及するものではなく公知の学術情報・一般化された症例記録等に基づくもので、守秘義務等には細心の注意を払っております。
    3.妖怪の起源については様々な研究・複合的な要素が存在するという点を当然の前提としつつ、学術的・民俗学的考察の観点から独自視点で再構成した「あくまで1つの説」についての個人考察を記すものです。

    【参考文献・史料】
    〈法医学・死体現象に関する文献〉
    ・池田典昭・鈴木廣一 編(石津日出雄・高津光洋 監修)『標準法医学 第7版』医学書院
    ・押田茂實『法医学現場の真相 今だから語れる「事件・事故」の裏側』祥伝社
    ・岩瀬博太郎・柳原三佳『焼かれる前に語れ 司法解剖医が聴いた、哀しき「遺体の声」』WAVE出版
    〈民俗学・歴史学・思想に関する文献〉
    ・柳田國男『妖怪談義』講談社学術文庫
    ・柳田國男『先祖の話』角川ソフィア文庫
    ・柳田國男『遠野物語・山の人生』岩波文庫
    ・折口信夫『折口信夫全集 第二巻 古代研究 民俗学篇1』中公文庫
    ・折口信夫『折口信夫全集 第三巻 古代研究 民俗学篇2』中公文庫
    ・折口信夫『古代研究 IV 民俗学篇 4』角川文庫
    ・折口信夫『死者の書』中公文庫
    ・勝田至『死者たちの中世』吉川弘文館
    ・吉本隆明『共同幻想論』河出書房新社  
    〈データベース・一次史料〉
    ・国際日本文化研究センター「怪異・妖怪伝承データベース」

     
     
    妖怪研究や民俗学を探求する弁護士。かつて大学院で学んだ「法医学」(司法解剖)で直面した人体の死後変化の現実を軸に日本の妖怪の正体の真摯かつ学術的な検証をします。先人達が過酷な死の現実から共同体を守るために編み出した「安全装置たる妖怪」の謎を探求。週1回ペースで更新中。

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