
【最高の悪役】何故、東リベの稀咲は魅力的なのか。
東リベには、喧嘩の強い人間が山ほど出てきます。マイキーは無敵ですし、ドラケンは頼りになりますし、敵側にも腕力の化け物が何人もいます。その中で、一番頭に残る悪役は誰かと考えると、僕は稀咲鉄太になります。
おかしな話です。稀咲は殴り合いでは勝てません。作中でも、自分で戦う場面はほとんどありません。なのに、彼が出てくる場面はいつも空気が重い。自分でも小説を書くようになってから、この「弱いのに怖い悪役」がどうやって作られているのかが、余計に気になるようになりました。
まず、彼の武器が腕力ではなく段取りであることです。
稀咲がやるのは、殴ることではありません。誰が誰を恨んでいるか、どの組織とどの組織がぶつかるか、誰の弱みがどこにあるか。それを先に読んで、駒を置きます。八・三抗争も、血のハロウィンも、関東事変も、裏では彼の設計が動いています。戦う前から勝負の形を決めてしまう人間は、戦闘力の物差しでは測れません。だから彼の登場場面は静かです。叫ばないし、威嚇もしません。ただ結果だけが積み上がっていきます。その静かさが、かえって怖いです。
次に、動機が驚くほど小さいことです。
あれだけの計画の出発点は、日向への片想いです。日向が憧れていた「ヒーロー」の姿に自分を重ねたくて、不良の頂点を目指します。何十人もの人生が壊れていく事件の出発点が、一人の少年の片想いです。この釣り合わなさが、稀咲という人間を決めていると思います。動機が世界征服や復讐のような大きなものだったら、彼はただの黒幕で終わりました。動機が小さいから、彼は「理解できない悪」にならずに、「大きくなりすぎた子供」として読めます。怖さと哀れさが、同じ場所に同居しています。
そして、稀咲は武道の裏側の姿だと思っています。
二人は似ています。喧嘩は弱い。日向を想っている。力ではなく頭と足で何とかする側の人間です。違うのは、武道にはやり直す力と、背中を預けられる仲間がいたこと。稀咲には、一人で積み上げることしかありませんでした。誰にも本音を見せず、誰のことも信じず、計画だけで上を目指しました。稀咲は、武道が選び損ねたかもしれない人生の形です。だから武道は彼を完全には憎みきれませんし、読んでいる側にも同じ引っかかりが残ります。
もう一つ、どの未来でも登ってくることです。
この作品はタイムリープもので、過去を変えるたびに未来が書き換わります。なのに、稀咲はどの世界線でも形を変えて上位にいます。超能力者ではありません。ただ、環境に合わせて自分を作り替え、執念だけで毎回たどり着きます。この再現性があるから、稀咲は「倒せば終わる悪役」ではなく、構造そのもののように見えてきます。彼個人を消しても、彼を生む仕組みが残るのではないか。そう思わせるところまで行くと、悪役としての格が一つ上がります。
最後に、彼の最期が呆気ないことです。
天竺編の終わり、稀咲の死には様式美がありません。逃げて、泣いて、ほとんど言い訳のような本音を吐いて、トラックに轢かれて死にます。散り際を格好よく描いてもらえる悪役は多いですが、稀咲にはそれが与えられませんでした。他の登場人物が少しずつ伝説の側へ近づいていく物語の中で、稀咲だけが最後まで「ただの人」として終わります。その報われなさが、作品を読み終えた後も彼だけを現実の側に残しています。
魅力的な悪役の条件は、強さではないと思います。その人間にしかない歪みが、最初から最後まで一貫していることです。稀咲の歪みは、片想いです。それが作中で一度も格好いいものとして扱われず、最後まで惨めで、小さくて、本物でした。だから彼は残ります。僕はそう思います。